ヨシモト新喜劇で頑張ってた船場太郎さんが亡くなったそうです。八十と少し、まだ若かったんですね。91年にヨシモトを辞められて、二十数年大阪の市議さんだったとは、知りませんでした。
「釣りキチ三平」の原作者の矢口高雄さんも亡くなられた。マラドーナさんも亡くなってしまった。60歳だったとは、自分とそんなに変わらなかったんですね。ビックリしました。晩年、ペレさんほど大事にされなかったから、それも残念だったけど、でも、彼なりにはやれたという充足感あったかな。いや、そんな、これをしたから満足ということなんて、あり得ないな。いつまで経っても満足できないし、やりたいことはあったでしょう。
マラドーナさんは、やりたいことがあるのに、体がついてこなかったり、自分の帝王としての体質が、つい自分の体を蝕んでしまって、輝いてた時代の体をキープできなかったのは、それは悔しかったでしょうね。
ああ、やりたいことがあったはずなのに、亡くなってしまった。祈ろうと思う。
他にもたくさんの人が亡くなっています。いちいちメモしていないけど、このコロナの時代に、次から次と有名な方たちがいなくなってしまう。
この世にいる私たちも、何だかフワフワとした危ない雰囲気に呑まれそうです。でも、私たちは、自分のやれること、せいぜいやっていくしかありません。
私は何をするんでしょう?
私は、私の生き方を見つけるというテーマがありました。今は、今までの生き方の延長でしかないけど、何か新しい生き方を模索したいと思っています。それはパソコンまみれの人生ではなくて、もっと地に足をついた、人の広がりを新たにする生き方というイメージはあるんだけど、それをどんなふうに展開するか、全く具体案がありません。
そんなことばかり書いてるから、何も始まらないわけで、何か具体的な一歩を踏み出していきたいんです。
また、夢ばっかり食べてるバクみたいなこと、書いてますね。