甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

バケツと井上光晴 その1

2020年02月29日 07時58分07秒 | 本と文学と人と

★ 2014年10月16日 22時13分37秒 | 本と文学
ということで、以下の記事を書いていました。

 それを一部コピーして載せてみます。

 ほんの少し冒頭を読んでみたら、なかなか良かったので、もう一度大事な作品を取り上げてみようと思ったのです。そして、現代に意味を問いたかったのです。でも、そんなことは私の仕事ではないので、無責任に思ったことを書いてみます。

 戸島炭鉱から長崎港まで四時間の船の中で、仲代庫男(なかしろ・くらお)はすでに長崎から戻ってきた第二次調査隊の「とても言葉にはいえん」という報告を反芻(はんすう)して心を決めてはいたが、大波止(おおはと)の桟橋に下りて間もなく彼は芹沢治子(せりざわはるこ)の生死を調べることを断念せねばならなかった。

 治子さんと文通はしていたみたいだけど、彼女にしばらく会えてなかったのです。彼女とは大阪から長崎に戻るまで一緒に旅をしただけで、付き合っているとか、そんな関係ではありませんでした。ただ混乱した世の中で、お互いに生きているというのを確かめ合えたら、それでよかった、という関係です。

 ボクなんかは、こうした旅で出会った人とそれからずっとつながった、という体験がないので、何だかうらやましかったのだけれど、昔は、一期一会で、出会った人とずっとその関係を続けることってあったのかなあ。



 もしかしたらその日芹沢治子は親類かどこかにでかけてという思いがそれまでの唯一の希望だったが、目の当たり変わり果てた風景を前にしては、そのことを望む余裕さえ失ってしまったのである。所々紫色の煙がうっすらと立ち上り、それが死体を焼く煙だと知るまでによほどの時間がかかるような、何を考えてよいのかわからぬ足どりで彼は誰も人間のいない浦上の丘を歩きつづけた。

 主人公は、長崎の町に船でたどり着きました。八月の何日なんだろう。原爆が投下されて、何日かが経過して、亡くなった人たちがたくさんいて、そういう人たちをあちらこちらで荼毘に付していたというのです。なかなかイメージしにくいけど、そういう風景が海からずっと見えただろうし、街は残骸だらけだったことでしょう。



 浦上(うらかみ)の赤い空の下に、それだけが生きもののように長崎医大の丘の裏を流れる川の水が音をたて、その平たくなった川辺に立って、そのとき不意に彼は芹沢治子に出さなかった手紙のことを思った。

 あの手紙がもしその日までに芹沢治子にとどいたとしても、それはもう彼女の体とともに灰としてさえも残っていないのだという思いが、どこか遠いところを飛ぶように彼の中に浮かび上がり、仲代庫男はあふれる水の中に靴のまま足を踏み入れた。

 ボクたちは、きっと何度も何度も、こういうことを経験するようにできているのかもしれません。コツコツ働いて、自分の生活というものをしっかり立てて、家族を持ち、みんなそれぞれが元気で暮らし、それがいつまでも続くようにと祈る、というのは実は夢で、現実はズタズタで、毎年どこかで災害は起き、簡単に人の命は吹き飛ばされ、みんな悲嘆の底に沈む。そういう運命から逃れられないし、そういうのを何度も何度も目撃するように、神様はちゃんと計画を立てておられるのではないか、という気にもなります。でも、原爆は人災かな。いや、人災も、人が巻き起こす変てこな運命の一つですね。



 なんとなくガスタンクがそこにあったと思われるような、黒い異様な臭気を放つ穴の近くで珍しく通りかかった男が、今日は二十日ですか、二十一日ですかと彼にきいたが、彼がこたえようとする間もなくふうふうといいながら返事もきかずに通り過ぎていき、そのときはじめて仲代庫男の目の中に涙があふれた。

 この男はどうしたというんでしょう。とにかく、主人公にこれが長崎の現実だと教えてくれる役割を持たされています。そうかもしれない。あまりにものすごい光景を目の前にしたら、感情はストップするし、むしろただ見とれるという方向で動くのかもしれません。けれども、そこに誰かのどうでもいい声がしたら、ふっと現実に引き戻されて、やっと感情というのは動くのかもしれません。



 猫の死骸のような格好をした黒い人間のかたまりが、倒れた貨車の横にいくつも並べられ、戦闘帽の下に茶色にしみたタオルをひさしにして、そのかたまりを一つずつ別の個所に運んでいる男の方がむしろ死人のような顔をしていた。わずか十五メートルか二十メートル離れた地点まで男はなぜ一人でその人間のかたまりを運んでいるのか、この腐った鉄のようになってしまった風景の中でぜんぜん無駄ではないのか。仲代庫男はその男のまるで手足を動かしていないようなのろのろした動作を見ているうちに吐き気を催してきた。

 この何とも言えない風景の中で、人間はそんなことをしていたのか、たぶんしていたと思うのですが、井上さんはそれを現実に見たんだろうか。それは、井上さんにしてみれば、ほんの十数年前の風景であったなんて、自分に置き換えてみればわかるんですけど、ものすごい現実に突き動かされて、書いてたんだなと思われます。

 続きは、また次回にします。バケツは出てきてません。

 ボクは、高校時代に読んだ『虚構のクレーン』を、ブログで紹介して、少しでも誰かに聞いてもらいたいと、何度も何度も同じことを書いているみたいです。

 新潮文庫で復刊されないかなあ。そうしたら、みんなに勧めるんだけど、活字を大きくして、解説も入れて、二巻に分けてもいいんだけどな。

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