先日、四天王寺の古本市に出かけて、またも散在してきて、食費は切り詰めて、クタクタになって帰ってきたんでした。何だか余裕がなくて、一生懸命大阪観光していた気がします。余裕がなきゃダメですね。
でも、夜に他の予定があったので、仕方がなかったのでした。
一色文庫で5冊の文庫本を買い、英霊堂に参拝し、芭蕉さんのお墓を探したけれど見つからず(境内にあると書いてありましたが、本当なんでしょうか?)、亀池をながめ、のんびりと会場へたどり着きました。
もう5冊は手元にあるので、そんなに無理して探す必要はなくなりました。欲しい本は特にないのです。ただブラブラ歩いて、何か目についたら買おうという、冷やかしの参加です。
絵はがきコーナーは最近どこの本屋さんでも力を入れていて、1枚数百円というのが展示されています。でも、誰も買っている人を見たことがないので、どうでもいいやと見ていました。
その中には、使用済みのハガキがいっぱいあって、こういうのまで商品になるのだと感心していると、何と「あれっ私の書いたハガキが売り物になっているのでは?」と、ビックリするようなのがありました。
丑年の年賀状なので、1973年にイモ版画で作った年賀状を私は作ったのだと思われますが、それとデザインも、下手くそな字もよく似たようなのがあって、どうして私の年賀状があるのと、しみじみ見たら、私の書いたハガキではありませんでした。でも、よく似ていたので、牛のデザインは私がどこかの本をマネしたものなので、たぶん昔からあるものだったのでしょう。そのハガキが売られていて、たまたま見つけた私が42年前に書いた年賀状を思い出したということでした。
もう、ハガキのコーナーは見るのはやめにして、とにかく文庫本の中から何か掘り出し物を見つけようと、探すことにしました。
そして、結果は?
1 幼年(福永武彦) 1972 講談社文庫 表紙には南桂子さんの女の子の版画があります。幼くして失った母の像を、美しい悲歌的旋律によって描く「幼年」ほかロマネスクな作品五編を収録してあるそうです。
2 十一歳の自転車(干刈あがた) 1991 集英社文庫 前に読んだ作品の別バージョンらしいです。
3 シモネッタの男と女(田丸公美子) 2013 文春文庫 米原万里さん追悼のエッセイも入っているということで買いました。
4 あと「画報 近代百年史」を10冊買いました。これはいつかスキャンしようと思っています。なかなか100円でこれだけの情報がつまっているのはありがたいと思います。
さあ、帰る時間が近づいてきました。勝まん院に行くつもりになっていたので、遠回りだけれど寄ることにしました。私立の進学校・星光学院がすごく立派になっています。まるで都心の大学のようです。けれども、大学ではないので、3階建てで、とにかく立派です。そこから西に細い道を入っていきました。
門をくぐっても、あまり記憶がありません。ここはどこなんでしょう。
ずっと奥に入っていくと、やっと多宝塔を見つけることができました。
何十年も前に、父母と私たち夫婦で来たような記憶があります。でも、少しあやふやです。とにかく父母を偲びたいと、ここにたどりつきました。母も遠くカゴシマにいるし、息子の私は父の平安を祈り、母が元気で暮らしていることを祈りました。
団体さんが現れて、「あれがバブルのころの一億円マンションです」ということで、物見高い私は、そこを通ってみることにして、結局20年後のオンボロ不動産に、あわれな感じを抱きつつ、帰ってきたのでした。
聖徳太子さんにお別れして、
口縄坂(くちなわざか)……ヘビのようにクネクネしている坂という意味だそうです。ここは途中で引き返し、
生玉神社にお参りし、ここは写真も撮らず、すぐさま帰ってきました。それにしても、近代のグラフ誌10冊はとても重いのにウキウキする重さがありました。まだちゃんと読んでませんけどね。読めばどんどん発見があるかもしれません。
でも、夜に他の予定があったので、仕方がなかったのでした。
一色文庫で5冊の文庫本を買い、英霊堂に参拝し、芭蕉さんのお墓を探したけれど見つからず(境内にあると書いてありましたが、本当なんでしょうか?)、亀池をながめ、のんびりと会場へたどり着きました。
もう5冊は手元にあるので、そんなに無理して探す必要はなくなりました。欲しい本は特にないのです。ただブラブラ歩いて、何か目についたら買おうという、冷やかしの参加です。
絵はがきコーナーは最近どこの本屋さんでも力を入れていて、1枚数百円というのが展示されています。でも、誰も買っている人を見たことがないので、どうでもいいやと見ていました。
その中には、使用済みのハガキがいっぱいあって、こういうのまで商品になるのだと感心していると、何と「あれっ私の書いたハガキが売り物になっているのでは?」と、ビックリするようなのがありました。
丑年の年賀状なので、1973年にイモ版画で作った年賀状を私は作ったのだと思われますが、それとデザインも、下手くそな字もよく似たようなのがあって、どうして私の年賀状があるのと、しみじみ見たら、私の書いたハガキではありませんでした。でも、よく似ていたので、牛のデザインは私がどこかの本をマネしたものなので、たぶん昔からあるものだったのでしょう。そのハガキが売られていて、たまたま見つけた私が42年前に書いた年賀状を思い出したということでした。
もう、ハガキのコーナーは見るのはやめにして、とにかく文庫本の中から何か掘り出し物を見つけようと、探すことにしました。
そして、結果は?
1 幼年(福永武彦) 1972 講談社文庫 表紙には南桂子さんの女の子の版画があります。幼くして失った母の像を、美しい悲歌的旋律によって描く「幼年」ほかロマネスクな作品五編を収録してあるそうです。
2 十一歳の自転車(干刈あがた) 1991 集英社文庫 前に読んだ作品の別バージョンらしいです。
3 シモネッタの男と女(田丸公美子) 2013 文春文庫 米原万里さん追悼のエッセイも入っているということで買いました。
4 あと「画報 近代百年史」を10冊買いました。これはいつかスキャンしようと思っています。なかなか100円でこれだけの情報がつまっているのはありがたいと思います。
さあ、帰る時間が近づいてきました。勝まん院に行くつもりになっていたので、遠回りだけれど寄ることにしました。私立の進学校・星光学院がすごく立派になっています。まるで都心の大学のようです。けれども、大学ではないので、3階建てで、とにかく立派です。そこから西に細い道を入っていきました。
門をくぐっても、あまり記憶がありません。ここはどこなんでしょう。
ずっと奥に入っていくと、やっと多宝塔を見つけることができました。
何十年も前に、父母と私たち夫婦で来たような記憶があります。でも、少しあやふやです。とにかく父母を偲びたいと、ここにたどりつきました。母も遠くカゴシマにいるし、息子の私は父の平安を祈り、母が元気で暮らしていることを祈りました。
団体さんが現れて、「あれがバブルのころの一億円マンションです」ということで、物見高い私は、そこを通ってみることにして、結局20年後のオンボロ不動産に、あわれな感じを抱きつつ、帰ってきたのでした。
聖徳太子さんにお別れして、
口縄坂(くちなわざか)……ヘビのようにクネクネしている坂という意味だそうです。ここは途中で引き返し、
生玉神社にお参りし、ここは写真も撮らず、すぐさま帰ってきました。それにしても、近代のグラフ誌10冊はとても重いのにウキウキする重さがありました。まだちゃんと読んでませんけどね。読めばどんどん発見があるかもしれません。