かくしてKの高校2年の秋は過ぎた。自分なりには盛り上がったのかもしれないが、内容的にはイマイチの秋だった。何がやりたかったのかわからなかったのだろう。そして、年末から年始にかけて、たいしたこともなく、ごく普通の冬休みがやってくる。
高二の大みそか [1976.12.31記]
勉強をやる気だけは大いにあるが、まわりがうるさいので何もなしえていない。とにかく年末だ。というのでうるさい。ついつい浮かれてしまうのだろうと思う。
三十一日は、何事もいたさず、ただフーフーと物を並べたりするので忙しかった。そして、あっという間に日が傾いて、キングギドラがやってたり(テレビで?)、スヌーピーがやってたり(これはたぶんNHK!)いろいろでした。
五時二○分ごろ風呂屋に行って、お客が満タンの中で自分ひとり体洗って、父上の背中を流して、六時ごろにはもう風呂から上がって、騒ぐ商店街を横目で見ていたら、あの有名な、学年が1つ下で、美人の誉れ高い女の子が、おしゃれをして歩いて行った。よそ行きの格好なんだろう。自分にはとうてい、あんないい格好はできないし、似合わないとあきらめて、俗人の世界を離れようとしたけど、離れきれなかった。
すぐテレビを見てしまった。けれども、大みそかは歌番組がはびこっているから、どうしようにも、仕方がないのでありました(……ぼんやり歌番組見てたんだろう)。
テレビの世界をぼんやりと見ていたが、大好きな岩崎宏美ちゃんが出ないから多少不満足であった。弟はピンクレデイが大変お気に入りで、そればかり言っていた。たしかにピンクレデイの二人は、それぞれ違った全く別のタイプの女性だから、それぞれの男に得票率が高いのである。クラスの友人も好きだし、弟も好き。こんなに人気があるなら彼女たちはとても儲かるにちがいない。
家族で坊主めくりなどして、九時すぎ、「紅白」を家族が見だした。いや気がさして十時、寝る。……と、十二時前に目が覚めた。
Kの高校二年生は、長いトンネルだった。どこまでも轟音がして、車窓から風景は見えず、思考停止の状態であった。それは成績面も人間関係もトンネルだった。そして、トンネルさえ抜ければ何とかなるし、トンネルは時間が経てばいつか抜けられる。そう思っていた。
自分でそれを切り開こうにも手詰まりで、あれこれもがいていたがどうにもならなかった。何一ついいことがなかった1976年が終わり、1977年がやってくる。そして、三年生となり、そうなりゃ受験で、国公立大学を目指すのだ! という大きな問題がやってきて、細かなことなんか考えず、とにかく勉強すればいいのだ、迷いはなくなるのだ、という安心感があったろうか。考えてみれば、もったいないことだった! まあ今さら悔やんでも仕方のないことだが、もっと高校生活を豊かにするやり方があったはずなのである。残念ながらKくんはそこに思い至らなかったのである。
大晦日ざわめく町の片隅でうたた寝しているひねくれ者あり
1976年はいつものように暮れていった。毎年恒例でお風呂屋さんはお客さんでいっぱい。湯船は自分のスペースを見つけることができない。だから、だれかが上がるとそこへ体を滑り込ませなければならない。座るところはなくなって、もうどこへでも勝手に座りこんで、とにかく一年のアカだけは落とそうとするお客さんたち。どこに一年のアカがあるのかわからないが、いつも開いてるお風呂屋さんが、この夜と二日の朝の営業の後は、五日まで閉まってしまい、それだけで大変な気分がしたものだ。とにかく世の中のあらゆる活動がストップするような、一種パニック状態にみんながなっていた。
年末の町中の大騒ぎから逃れる気分で、この夜うたた寝をした。できれば知らない間に次の日になっていればいい、サラリと新年を迎えたい。ところが、このボクは間の悪いことに新しい七七年の直前で目覚めて、ぼんやりと新年を迎える。……本当にボクの間の悪さは「超一流」! こんなことは全く自慢にもならないが、身に備わった資質とでもいうのか、それとも、身から出た錆というべきか。
ニューイヤーだ! 夜通し騒ごう! オール・ナイト・ロング! そういう浮かれた雰囲気を横目に見て、知らんぷりしてうかつに寝過ごす、それが自分のスタイル! なんとカッコイイ! そう考えていた。単なる悪ノリか、一緒に騒ぐ友人がいないだけのことか、そうすることがアイデンティティだったのか、それらのすべてか。
ピンクレデイよりも、少し下り坂に入っていたキャンディーズが好きで、それよりも高一のころに知った岩崎宏美ちゃん(ボクより学年が一つ上)の方がもっと好きだった。でもピンクレデイなら、ミーちゃんよりケーちゃんの方が好きで、その他にも好きなアイドルがあった。
八○年代初めころまでは、アイドルはアイドル然としていればよかった。バラエティ番組もあまりないし、歌を少し歌ったり、作られたイメージ通りを演じればよかった。それがお話もできて、笑いも取れて、アーチスト風になったり、いろいろできなくてはならなくなったのは、バブル崩壊のあたりなのか。あのあたりからアイドルはいなくなった。ただタレントさんがいっぱいになり、時々CDを出し、ドラマに出たり、うまくすれば映画に出て、将来は女優になるという人たちが現れた。それが一つの典型となった。今後はどうなるのかわからないが、ただかわいい子を演じるだけでは済まされない。
高二の大みそか [1976.12.31記]
勉強をやる気だけは大いにあるが、まわりがうるさいので何もなしえていない。とにかく年末だ。というのでうるさい。ついつい浮かれてしまうのだろうと思う。
三十一日は、何事もいたさず、ただフーフーと物を並べたりするので忙しかった。そして、あっという間に日が傾いて、キングギドラがやってたり(テレビで?)、スヌーピーがやってたり(これはたぶんNHK!)いろいろでした。
五時二○分ごろ風呂屋に行って、お客が満タンの中で自分ひとり体洗って、父上の背中を流して、六時ごろにはもう風呂から上がって、騒ぐ商店街を横目で見ていたら、あの有名な、学年が1つ下で、美人の誉れ高い女の子が、おしゃれをして歩いて行った。よそ行きの格好なんだろう。自分にはとうてい、あんないい格好はできないし、似合わないとあきらめて、俗人の世界を離れようとしたけど、離れきれなかった。
すぐテレビを見てしまった。けれども、大みそかは歌番組がはびこっているから、どうしようにも、仕方がないのでありました(……ぼんやり歌番組見てたんだろう)。
テレビの世界をぼんやりと見ていたが、大好きな岩崎宏美ちゃんが出ないから多少不満足であった。弟はピンクレデイが大変お気に入りで、そればかり言っていた。たしかにピンクレデイの二人は、それぞれ違った全く別のタイプの女性だから、それぞれの男に得票率が高いのである。クラスの友人も好きだし、弟も好き。こんなに人気があるなら彼女たちはとても儲かるにちがいない。
家族で坊主めくりなどして、九時すぎ、「紅白」を家族が見だした。いや気がさして十時、寝る。……と、十二時前に目が覚めた。
Kの高校二年生は、長いトンネルだった。どこまでも轟音がして、車窓から風景は見えず、思考停止の状態であった。それは成績面も人間関係もトンネルだった。そして、トンネルさえ抜ければ何とかなるし、トンネルは時間が経てばいつか抜けられる。そう思っていた。
自分でそれを切り開こうにも手詰まりで、あれこれもがいていたがどうにもならなかった。何一ついいことがなかった1976年が終わり、1977年がやってくる。そして、三年生となり、そうなりゃ受験で、国公立大学を目指すのだ! という大きな問題がやってきて、細かなことなんか考えず、とにかく勉強すればいいのだ、迷いはなくなるのだ、という安心感があったろうか。考えてみれば、もったいないことだった! まあ今さら悔やんでも仕方のないことだが、もっと高校生活を豊かにするやり方があったはずなのである。残念ながらKくんはそこに思い至らなかったのである。
大晦日ざわめく町の片隅でうたた寝しているひねくれ者あり
1976年はいつものように暮れていった。毎年恒例でお風呂屋さんはお客さんでいっぱい。湯船は自分のスペースを見つけることができない。だから、だれかが上がるとそこへ体を滑り込ませなければならない。座るところはなくなって、もうどこへでも勝手に座りこんで、とにかく一年のアカだけは落とそうとするお客さんたち。どこに一年のアカがあるのかわからないが、いつも開いてるお風呂屋さんが、この夜と二日の朝の営業の後は、五日まで閉まってしまい、それだけで大変な気分がしたものだ。とにかく世の中のあらゆる活動がストップするような、一種パニック状態にみんながなっていた。
年末の町中の大騒ぎから逃れる気分で、この夜うたた寝をした。できれば知らない間に次の日になっていればいい、サラリと新年を迎えたい。ところが、このボクは間の悪いことに新しい七七年の直前で目覚めて、ぼんやりと新年を迎える。……本当にボクの間の悪さは「超一流」! こんなことは全く自慢にもならないが、身に備わった資質とでもいうのか、それとも、身から出た錆というべきか。
ニューイヤーだ! 夜通し騒ごう! オール・ナイト・ロング! そういう浮かれた雰囲気を横目に見て、知らんぷりしてうかつに寝過ごす、それが自分のスタイル! なんとカッコイイ! そう考えていた。単なる悪ノリか、一緒に騒ぐ友人がいないだけのことか、そうすることがアイデンティティだったのか、それらのすべてか。
ピンクレデイよりも、少し下り坂に入っていたキャンディーズが好きで、それよりも高一のころに知った岩崎宏美ちゃん(ボクより学年が一つ上)の方がもっと好きだった。でもピンクレデイなら、ミーちゃんよりケーちゃんの方が好きで、その他にも好きなアイドルがあった。
八○年代初めころまでは、アイドルはアイドル然としていればよかった。バラエティ番組もあまりないし、歌を少し歌ったり、作られたイメージ通りを演じればよかった。それがお話もできて、笑いも取れて、アーチスト風になったり、いろいろできなくてはならなくなったのは、バブル崩壊のあたりなのか。あのあたりからアイドルはいなくなった。ただタレントさんがいっぱいになり、時々CDを出し、ドラマに出たり、うまくすれば映画に出て、将来は女優になるという人たちが現れた。それが一つの典型となった。今後はどうなるのかわからないが、ただかわいい子を演じるだけでは済まされない。