最近、通勤ルートを変えました。朝は今まで通りで、おもしろみのない道のままです。まあ、通勤におもしろみを求めても仕方のないことで、それよりも安全に行き来できたらそれでいいし、ちゃんと音楽とか聞いて、FMもきれいに入るし、朝の古楽の番組なんて、それはもう深遠で、限りなく広いし、とても貴重な舞楽だったり、サロンの楽しみだったり、宗教空間だったり、何度でも、ずっと聞いていたいくらいです。
でも、時間がくれば番組は終わるし、終わったら、ニュースとか、天気予報になってしまいます。ああ、永遠に古楽を聞き続けるなんて、できないものなのかな。(意識が遠くなって、寝てしまうのは確かですね!)
そもそも私は、今までどれだけ古楽に親しんできたというんです? ただの興味本意でしかありません。そんな聞き方をしているから、すぐにまた忘れてしまうんでしょう。偉そうに「古楽」を語る立場にはいませんでした。
だから、朝は与えられたルートを淡々と、あまり発見もなく、おもしろなさそうにブスッと運転しているだけです。新しいお店を見つけるとか、どこかで木に咲いてる花をチラッと見るとか、そういうことは、たぶんありません。
帰りも、同じ道を帰っていましたが、行きだけで十分ウンザリしていました。そして、帰りは渋滞などで時間は長いし、できることなら、違う道を走ろうと、ずっと市街地をうねうねと走り、パッと河岸段丘の上にある市街地から、たぶん一級河川のはずの雲出川の広大な河原に下りていく道の一瞬、この一瞬の爽快感を求めて、山の方の道をたどることにしました。
遠くの南北に連なる山々、そこに落ちていく太陽、山から海の方へ流れていく雲、段丘の上から広大な河原を見ると、一面のみどりで、もうすぐ台風も来るというのに、ここらはブランド米の取れるところだから、今やっと収穫が始まったばかりで、東西にみどりの田んぼは広がっています。
私は右手に落ちていく太陽、左に暮れていく濃い青の空、並行して走る高速道、帰宅する人々の車列、遠くの橋の手前の信号、そういうのを一瞬に見切って、それだけで「ああ、このみどりの世界にクルマもろともに飛び込んでいく」と思って、走り抜けていく(つもりになるのです)。
現実は、信号に引っかかったり、遅いクルマがいたり、空もどんよりしてたりもするんだけど、とりあえず一瞬はしあわせです。
この写真は去年のヒガンバナですが、もうオッチョコチョイの彼岸花もたくさんいて、それを田んぼのあちらこちらに見つけられる今は、もう一つしあわせプラスです。
あと二週間は余計のしあわせは続くでしょう。衰える花もあれば、せっかちな花もあるでしょう。私みたいにどんくさい花だってあります。
みんながそれぞれの咲く時期を見つけて、それぞれに咲いてくれるでしょう。クルマを止めて、どこかで写真でも撮りたいけど、それは今後の課題です。止められるところ、探します。