中学生の頃、80円だか、120円のキップを買って、大阪から奈良、京都、大阪とグルッとまわる旅をしたことがあります。駅から降りないので、壮大な時間のムダでしたけど、自分としては旅をしている気分になっていました。
奈良駅も昔の駅舎が使われていました。それから後、一度酔っぱらって大阪から終電で奈良まで行って、奥さんから「タクシーで帰ってきなさい」と言われて、酔いもさめて帰って来たことがあったけれど、昔も今もバカなことばかりしていました。
今は、バカみたいなことではなくて、自分がそのまんまおバカになりそうで、それが怖いんですけど、バカみたいなことは割と好きです。今は、そういうことができなくて、何だか縮こまるばかりです。
中学の時、たぶん、日曜日、昼からポッカリ時間があって、お金はないけど、電車でも乗りたかった。それで、天王寺から快速に乗る。そうしたら、奈良盆地へ入る前の大和川の渓谷あたりから気分は出てきて、谷間を抜けたら奈良盆地で、そのとっかかりが王寺という駅でした。
ここで快速のお客はドッと降りる。奈良に向かう人も乗り込んで、次は法隆寺、お寺は少し北の方の山すそに見えて、これぞ奈良盆地、これぞ斑鳩の里だ、と感心しながら、ずっと法隆寺を見るのでした。見ることはできるんだけど、なかなかその法隆寺に行こうというチャンスはなくて、何度か行きましたけど、たいていは駅から歩いて見に行くのだったかな。一度だけクルマで行ったことがあったけれど、法隆寺は駅から歩いて行くのがルールになっています。
今はどんどん都市化が進んで、法隆寺も住宅の波に呑み込まれそうです。せっかくの世界遺産なんだけど、お寺の周辺の広い範囲を奈良の田舎町のままにしてくれなかったみたいで、これはどんどん進んでいくでしょう。でも、そんなにまでして住宅を作って、だれが住むというんだろうな。確かに法隆寺あたりだと便利は便利なんだけど、それが経済なんだろうけど、仕方がないのかな。
そうこうしていると、奈良の駅に着くのでした。
それで、どうして奈良なんだろうと思ったら、たぶん、堀辰雄さんなんですね。「大和路・信濃路」という本があって、奥さんと春の奈良を旅していて、「あっ、馬酔木が咲いてるね」とかいう会話をしていたみたいでした。
中学生の私に、そんな会話の楽しみなんてわかるわけもなくて、つまらないことというか、意味不明な会話をしてるけど、これが文学なんだろうな。文学者って、何だか取り澄ましたようなことをおしゃべりするものだ、とかなんとか、よくわからないけど、文学のふりをしていたようです。
そして、奈良にたどり着けば、そこから向こうは未知の土地でした。何度か奈良まで来て、引き返してというのを繰り返した後、ある日決行しようとした時があって、とうとう奈良線で京都まで出ることにしたのです。
京都は細長いところで、京都の町は山城という国の北の方にあって、その南は宇治からいろいろな町があるのはわかってたけど、行ったこともなければ、関係も全くない土地で、でも、ディーゼルに乗って行ったら、京都にはたどり着くはずだと時刻表で時間も調べて、とうとう乗り込んだはずです。
川があったり、茶畑があったり、町もいくつか抜けて、いつかは京都に着いたはずです。
たぶん秋だったと思うんだけど、思いっきり窓を開けて、外から吹いてくる風を感じていました。メモ帳を開いて訳の分からない文句を書き連ねていたかもしれません。
そんなある時、右目かに痛みが走って、「あれ、何か痛いな」と、風景もあまり目に入らず、落ち着かないまま家に帰ったと思います。
何日かして、あまりに目が痛いので眼科に行くと、何かが入っているから洗い流すということで、拷問のような目の洗浄を受けました。プールの中で目も開けられない私が、水の勢いで目を開けたままゴシャゴシャされていた。
「あー、イタイー、キビシー」なんて言わなかったと思うけど、こころで悲鳴は上げていました。声も出なかったのかもしれません。
そして、目に入ったゴミは、鉄のゴミだったことが判明します。まるで尿管結石みたいだけど、ディーゼル車のゴミなのか、とにかく目に入ったらしい。
つまんない想い出ですけど、先日も木を切っていて、木のゴミがこれまた右目に入り、何日か痛かったんですけど、それは奥さんが綿棒でとってくれましたっけ。何ということでしょう。中学生の時も、オッサンになっても、目にゴミが入っただけで大騒ぎしている。
ちっとも変わらないし、あいかわらずのボンクラです。
もう、いいです。ボンクラでいこう! 目にゴミは二度と入れません!