小さい時は、学校の終わりころ、雨が降ると、みんな、おかあさんが、傘を持って来るのを、待っていた。もし、みんながかえって、だあれもいなくなって、ひとりぼっち、残ったらどおしようなんて、幻想におびえながら。
こないだ、久しぶりに、家に帰ったとき、急に雨が降ってきた。父が帰って来そうな、時間だったので、バス停まで、傘を持って迎えに行った。お宮の参道に面した道の、木の下に立っていると、父がタクシーで帰っていて、私のことを母から聞いて、すぐ、息を切らして、迎えに来た、遠く、霧雨の中で、かすんで見えるところから〝オーイ、ヒロサン〟と大声で、私を呼んだ、そのとき、小さい頃、夕方になったら、きまってその声を聞いていたのを、思い出した。
これは昨日読んでた伊佐山ひろ子さんの『嫌いは嫌い、好きは好き』(1987)というエッセイから抜き書きしました。
あれ、私って、お父さんに名前を呼ばれたことあるかな? たぶん、あったのだと思いますが、あんまりお父さんは名前を呼ぶということがありませんでした。よほどのことがないと名前を呼んで何かを言わない人でした。
大抵は穏やかに話しかけてくれるし、呼びかけなきゃいけない時は「オイ」とか、名前だけまず呼んで、そのあと何か伝えてたでしょうか。
私も、どちらかというと、名前を呼ぶのをためらうところがあります。何だか怖気づいてしまう。その点、母は断固として名前を呼び、一回でダメなら二度、三度と連呼します。これくらい徹底しないと私みたいなボンクラは呼び覚まされないんですけど、父は一回だけでしたね。
ひろ子さんのお父さんは、お嬢さんを呼びに夕方現われたらしい。そういう家族の形もありますね。家族があれば、家族ごとのパターンがありますもんね。何だか人恋しい場面の感じがします。