今日は四時半から起きています。だったら、今は十数時間起きてるわけで、もうすぐ寝た方がいいはずです。それなりに眠くなってきました。
でも、そうなるとわかってたのに、江藤淳さんの「妻と私」(1999)をついつい読んでしまって、落ち着かなくなりました。
どうして、よりによってそんな本を読んでいるのか?
江藤淳さんはいつからか、避けるべき保守系の論客だし、まともに相手をしてたらダメだ、あんなの嘘っぱちだと毛嫌いしてた時代がありました(私の中で)。でも、その江藤さんが1999年に亡くなって、十数年して西郷さんのことを書いてた本をたまたま読んでしまって、丁寧に時代をふりかえっているじゃないのと見直すことがありました。もう亡くなられて二十年も経過してますし、改めて読ませてもらおうと思ってた今日この頃でした。
本そのものは、図書館の除籍図書からもらってきたものです。奥さんが亡くなられる話だというのも知りつつ、読み始めました。この前の城山三郎さんのもそうだったけれど、夫として妻を先に見送った二人の作家それぞれの記録を、一つの人生として読ませてもらっています。
そして、ついさっき出会った文章、もうこれはメモしなくちゃと、横になって読んでたんですけど、もう一度ちゃんと起きなおして、パソコンも開いて、そこを抜き出そうというところです。江藤さんが、奥さんの病室で簡易ベッドに横になり、手を握りながら考えたことが書かれていました。
「こんなに何にもせずにいるなんて、結婚してからはじめてでしょう」
と、家内がふと微笑を浮かべていった。
「たまにはこういうのもいいさ。世間でも充電とか何とかいうじゃないか」
と、月並みなことを口にしながら、私はそのとき突然あることに気が付いた。
入院する前、家にいるときとは違って、このとき家内と私のあいだに流れているのは、日常的な時間ではなかった。それはいわば、生と死の時間とでもいうべきものであった。
四十何年か連れ添ってきた同級生カップルで、子どもさんはいないそうです。ずっと二人で過ごしてこられて、二人でいるということが日常的な時間であったのに、病室にいる時には、日常的な時間がやって来なかったそうです。
日常的な時間のほうは、窓の外の遠くに見える首都高速道路を走る車の流れと一緒に流れている。しかし、生と死の時間のほうは、こうして家内のそばにいる限りは、果たして流れているのかどうかもよくわからない。それはあるいは、なみなみと湛えられて停滞しているのかも知れない。だが、家内と一緒にこの流れているのか停まっているのか定かではない時間のなかにいることが、何と甘美な経験であることか。
ふつうの時間は、私たちの周辺のどこかを速い勢いで流れていくものです。けれども、生と死の時間は、その流れは感じられなくて、生きているのか、死にそうなのか、果たして死というものはどこにあるのか、わからないし、何かが止まっているような感じがあるのでしょう。普段は全くそんなことは感じないのに、命が亡くなりそうな奥様と一緒にいて、その「時間」を感じられたそうです。
この時間は、余儀ない用事で病室を離れたりすると、たちまち砂時計の砂のように崩れはじめる。けれども、家内の病床の脇に帰り着いて、しびれていないほうの左手を握りしめると、再び山奥の湖のような静けさを取り戻して、二人のあいだをひたひたと満たしてくれる。
私どもはこうしているあいだに、一度も癌の話もしなければ、死を話題にすることもなかった。家政の整理についても、それに付随する法律的な問題についても、何一つ相談しなかった。私たちは、ただ一緒にいた。一緒にいることが、何よりも大切だった。
まだ、五十ページほど残っています。やがては奥様も亡くなられることだと思います。それは1997年くらいのことで、その翌年には江藤さんは自死をしてしまいます。
それくらいに、ポッカリと生きる力を失ってしまったのかもしれない。いくら、本を読んでも、なぜそうなるのか、私にはわからないでしょう。
ただ、懸命にお互いを信頼して、一緒にいたいと思った夫婦がいたのだという事実を知るばかりです。
ボクは、流れていく時間というのよく感じることはあります。でも、生と死の時間というのは、真剣に感じたことはないかもしれません。いい年なのに、そういうことを感じないで生きてきました。でも、これから、何度も経験しなくてはいけない。
奥さんと一緒の時間、そんなのはありふれたものだったのに、それがありふれてない時間に変わったなんて、そこが怖いくらいです。経験したくはないけど、いつか経験するんでしょう。少しずつでも、自分を成長させていきたいです。