古墳と古い街並みを見て、半分諦めてしまった大安寺は存在しました。まさか見つかるとはもう思えなくなっていた。でも、とりあえず歩いてみようとしました。
幹線道路から外れてほんの少しだけ歩くと、そこは古い街並みになっている。かつてここに現在の奈良市とは違う、別個の集落があったのでしょう。JR奈良駅から歩いてこられるところだけれど、おそらく地元の人は、自分たちは奈良の町とは違う、少し遠いところとしての自分たちを意識する場面もあったかもしれない。
現在は、巨大な奈良市が存在し、そこに取り込まれているけれど、大安寺村というのがあったみたいです。いくら近代化されても、日本の大都市は、小さな村の集積体というところもあるのかもしれない。
左手にかわいらしい草花を見つけ、そこに元石清水八幡宮かと思ったら、なんと推古天皇をおまつりするお社がありました。推古天皇さんも、今もおまつりしてくれるのはいいけれど、こんな小さな祠なの……と思われるような、小さなお社でした。とりあえずお祈りして、さてと……右手はどうやら、めざす大安寺のようでした。
巨大なお寺の中核なのか、まわりに住宅はありませんでした。今もまだちゃんとした調査は行われていないらしく、田んぼと荒れ地と竹藪と、そういう先ほどの古墳公園の巨大化版みたいな区域の中に、急ごしらえのお寺の門が見えました。
中に入ってみると、とりあえず御祈祷をする本殿と、奈良時代の古い仏さまたちをおまつりする宝物殿と、伽藍の跡の案内板とがありました。
ああ、大安寺はそこにあった。けれども、にわか作りで、今に生きるために生活する場所と、何か実用的な場面で使われる建物はある。でも、観光するためのお寺ではないようで、荒廃した巨大なお寺跡を味わう場所という気がしました。
私みたいな生半可な観光客は、写真を撮るところがないと不満をため込んでしまう。
仏さまは撮影禁止。本堂は、拝観させてもらったけれど、薄暗いし、エアコンが効いていて今すぐにでも法事ができそうな感じでした。お寺として利用する人のためには開かれている。ただ見に来ただけの人間には、あまり開かれていない、そんなお寺のようでした。
門よりさらに南、お社を抜けて、森を抜けて、ポッカリとした広場に出ました。ここに西塔がったようです。生駒の山々に突き抜ける七重の塔、想像してみたら楽しいです。
今は団地が壁になっているけれど、東側には東塔。二つの塔がそびえ、千人近くのお坊さんたちが寝起きした巨大なお寺がかつては存在した。
事実はそうだけれども、今はあとかたもない。訪れる人々はいるけれど、私と同じような興味本位のお客はリピーターにはならないだろうし、わざわざ何度も見に来ようという物見高いお客を呼べないお寺になっている。
朱印は書いてあげられるだろうけれど、そういう朱印集めのお客に何を見せられるんだろう。
現在のような、新しい建造物がいっぱいの平城京跡のような見せ方にすればいいのだろうか。
むしろ、この何にもない感じで、それを見てもらう方がいいのかもしれない。
奈良市の範囲の中に、これくらいの空白地があるというのが素晴らしいことです。見渡せば都市化の波はすぐそばまで来ている。でも、ここだけは戦後の日本のような、それ以前の明治の日本の農村のような、何にもないけど、人とお社と小さな森が点在している。
それを見に来てもらう場所、という気がしました。
★ 三日ほど実家に行ってまいります。みなさま、よい週末をお過ごしください。私は近ごろ食べ過ぎで、体重がびっくりするような数値になっておりました。節制して過ごしてきます。どれだけ実行できるかわからないけど、とにかく太りすぎてしんどいみたい。