『論語』の学而篇というのだから、高校一年生の時に習った漢文にでもありそうな、いや、中学でもやってるんだろうか、とにかくそれくらいポピュラーな一節です。そこに友だちのことが書いてありましたね。
冒頭のところです。
55【朋有り遠方より来(きた)る】……自分と同じく学問を志す友人がはるばる訪ねて来てくれた。自分に理解者があるということは、心楽しいことである。〈学而〉
聞いたことがありますね。友だちが遠くからたずねて来てくれた。それはうれしいことではないか。ということでした。学生時代は、ともだちはみんな学校という枠の中にいて、自分もその渦中にいるから、友だちはいつもそばにいるものと思いがちです。でも、いざ外に出てみれば、誰が友だちになってくれるのか、見当もつかず、孤独で寂しい、そういうことは頭では理解してるつもりだったけれど、何とかなるだろうと思っている。
現実は、友だちはなかなか見つからないし、自分から心を開いて友だちを作ろうとするのは、とても疲れることではなかったかなぁ。大変でしたね。
だから、大人になってみれば、「友がいて、遠くから来てくれるのは、それはうれしいことなんだ」という真理に今さらながら納得させられます。簡単に来てはくれないものなのです。
どうして友だちは遠くにいるのか、近くにはいないのか? いや、いると思うんですよ。すぐそこにでもいると思います。でも、わざわざ自分を訪ねてくれたら、その気持ちがうれしくなりますね。そういううれしさ、みんなに届けたいから、どんどん私も出かけたいのに、なかなか行けないですけど、行きたいですね。
56【己れに( )かざる者を友とすることなかれ】……自分より劣った者を友とするな。自分より優れた者を友とせよ。〈学而〉
→「友だちは選んで作りなさい」という狭量な発言ではなく、為政者たるもののあるべき姿として、「何かの才能がある人を友とせよ」という意味らしい。
そうだと思います。人って、当たり前のことですが、何かしら自分にないものを持っていて、いろんな場面で自分の教えになります。だから、そういう見どころのある人、自分に刺激を与えてくれる人、一緒にいると楽しい人ねそういう人と大事な時間を過ごしなさい。そういう教えだと思われます。
この言葉のあとに、「過てばすなわち改むるにはばかることなかれ」と続いていて、友だちは、その人の見どころをちゃんと見なさいよ。必ずあなたの勉強になるはずですよ。失敗したと思ったら、すぐにそれを謝罪し、反省して、自分の方向性をちゃんと修正しなさい。とおっしゃっています。
反省することはたくさんありますし、人のいいところはちゃんとなきゃいけない。そういうところですね。
★ 56・如(しか) 「己にしかざる者を友とすることなかれ」でした。