名松線は、もう5年くらい家城以降の山奥部分が不通になっています。一度だけ終点の伊勢奥津(いせおきつ)まで通して乗ったことがありますが、家城から奥が楽しいのに、そこからがさらに利用者が少なくて、雨や嵐に弱いのです。でも、どうやら今、少しずつ再開に向けて工事が行われているので、近い将来開通するでしょう。
けれども、構造的な問題の、台風などに弱い面が改善されるわけではないので、何年かに1回は来る、すごい台風にまたやられるかもしれません。そうしたら、また数年代行運転をするか、それとも一気に廃線にするか、どちらかというと、次のすごい台風までのような気がします。JR東海にとって名松線はお荷物以外の何物でもなくて、いつでも廃止したいと思っているでしょう。
ヤキモキしているのは鉄道ファンだけで、世の中的には、なくなっても特に問題のない路線です。地元の人も多少は愛着はあるかもしれませんが、何しろ本数は少ないし、車両は1両しかないです。トコトコ走ってはいるけれど、あまり魅力が感じられないローカル線なんでしょうね。
私に、どれくらいの魅力の開発能力があるか、というと、たぶんないですね。私が気になるところは、世間の人々があまり気にしない、どうでもいいところばかりですから。
梅は、少しずつ咲き始めました。とても控えめで、杉花粉に耐えて、寒さをあまり気にせず、太陽は好きで、日の当たるところに花びらを広げているようです。線路のすぐそばで咲いていても、梅は電車と一緒に映えないですね。そこが損なところです。桜だったら、すぐに写真になるのにね。
うちのカメラでは、連写はできないようで、この1枚を撮ったら、あとはもう横を通り抜けていきました。なんということでしょう。
このポイントは瀬戸が淵というところです。橋が架かっています。
今から千年くらい前に藤原千方(ふじわらちかた)という人が伊勢と伊賀あたりを根拠地にして治めていたというのです。本拠地はどの辺だったのでしょうね。下流には巨大寺院の鴟尾(しび)が発見されたということですから、このあたりはそれなりに都にも近く、都に影響も与える大事なポイントだったのでしょう。
この千方さんが朝廷に反乱を起こしたため、都より紀友雄(きのともお)さんが鎮圧軍として派遣され、正面から戦わずにだまし討ちにした。切られた首は瀬戸が淵に流されたはずが、目をむいたまま上流へさかのぼっていったということで、少しこわーいお話の土地だったんですね。のんきに写真なんか撮ってる場合じゃないのに、私はのったりと写真撮ってました。どんどん夕暮れていきます。
家城からすぐに電車は折り返し運転なので、関の宮というホームが1つしかない駅で待ち伏せすることにしました。
だれもいない駅は、そこだけ時間が止まっています。だから、余計に電車は遅くなります。
仕方がないので、遠ざかってお月さんと電信柱と駅です。
しばらくすると、電車がやってきました。
だれも降りないし、だれも乗らない。お客はいるんでしょうか。あまりいないようですね。
そして、静かに去っていきました。こんなにゆっくり動いてくれたら、写真でも撮れるんですけど、線路のすぐ横で構えてたら、連写もできないので、本当にあっという間に通り過ぎてしまいます。
この電車(本当はディーゼルですね)が終わったら、あと1本しかないはずで、本当に生活路線にはなりきれません。うっかり定期券なんか買ったら、なんだか損した感じです。もっとしょっちゅう乗れたら、生活の足になるのですけど……。何か魅力ないかなあ。
この家城からもっと前進できる日は、今年来るでしょうか。そうしたら、今度は奥さんを連れて、乗りに行きたいです。でも、どこに行きましょう。北畠さんの山城の霧山城にでも登りますかね。
けれども、構造的な問題の、台風などに弱い面が改善されるわけではないので、何年かに1回は来る、すごい台風にまたやられるかもしれません。そうしたら、また数年代行運転をするか、それとも一気に廃線にするか、どちらかというと、次のすごい台風までのような気がします。JR東海にとって名松線はお荷物以外の何物でもなくて、いつでも廃止したいと思っているでしょう。
ヤキモキしているのは鉄道ファンだけで、世の中的には、なくなっても特に問題のない路線です。地元の人も多少は愛着はあるかもしれませんが、何しろ本数は少ないし、車両は1両しかないです。トコトコ走ってはいるけれど、あまり魅力が感じられないローカル線なんでしょうね。
私に、どれくらいの魅力の開発能力があるか、というと、たぶんないですね。私が気になるところは、世間の人々があまり気にしない、どうでもいいところばかりですから。
梅は、少しずつ咲き始めました。とても控えめで、杉花粉に耐えて、寒さをあまり気にせず、太陽は好きで、日の当たるところに花びらを広げているようです。線路のすぐそばで咲いていても、梅は電車と一緒に映えないですね。そこが損なところです。桜だったら、すぐに写真になるのにね。
うちのカメラでは、連写はできないようで、この1枚を撮ったら、あとはもう横を通り抜けていきました。なんということでしょう。
このポイントは瀬戸が淵というところです。橋が架かっています。
今から千年くらい前に藤原千方(ふじわらちかた)という人が伊勢と伊賀あたりを根拠地にして治めていたというのです。本拠地はどの辺だったのでしょうね。下流には巨大寺院の鴟尾(しび)が発見されたということですから、このあたりはそれなりに都にも近く、都に影響も与える大事なポイントだったのでしょう。
この千方さんが朝廷に反乱を起こしたため、都より紀友雄(きのともお)さんが鎮圧軍として派遣され、正面から戦わずにだまし討ちにした。切られた首は瀬戸が淵に流されたはずが、目をむいたまま上流へさかのぼっていったということで、少しこわーいお話の土地だったんですね。のんきに写真なんか撮ってる場合じゃないのに、私はのったりと写真撮ってました。どんどん夕暮れていきます。
家城からすぐに電車は折り返し運転なので、関の宮というホームが1つしかない駅で待ち伏せすることにしました。
だれもいない駅は、そこだけ時間が止まっています。だから、余計に電車は遅くなります。
仕方がないので、遠ざかってお月さんと電信柱と駅です。
しばらくすると、電車がやってきました。
だれも降りないし、だれも乗らない。お客はいるんでしょうか。あまりいないようですね。
そして、静かに去っていきました。こんなにゆっくり動いてくれたら、写真でも撮れるんですけど、線路のすぐ横で構えてたら、連写もできないので、本当にあっという間に通り過ぎてしまいます。
この電車(本当はディーゼルですね)が終わったら、あと1本しかないはずで、本当に生活路線にはなりきれません。うっかり定期券なんか買ったら、なんだか損した感じです。もっとしょっちゅう乗れたら、生活の足になるのですけど……。何か魅力ないかなあ。
この家城からもっと前進できる日は、今年来るでしょうか。そうしたら、今度は奥さんを連れて、乗りに行きたいです。でも、どこに行きましょう。北畠さんの山城の霧山城にでも登りますかね。