NHKのニュースに出ていたかわいらしい気象予報士さんが不倫騒動で降板して、私はなんともいえないやるせなさを感じました。特にファンであったとかではないのですが、それなりにかわいい反応のできている、女の子っぽい予報士さんで、ミスマッチの魅力があったのだと思われます。
気象予報士さんは、ある程度のクールさと、即断即決・明瞭な歯切れの良さが必要です。それを聞いて、そうかと信じ込ませる力がなくてはいけません。なのに降板したお姉さんは、柔らかで、女の子然としていました。そうした素人っぽさがウリで、たくさんの支持を得られていた。ついでに仕事仲間にも好かれて、いろんな男の人から声をかけられて、ついホロッと行ってしまった。
声をかける男も悪いし、引っかかるお姉さんもよくありません。でも、仕事場の男女の中には起こりうる話です。私も、昔、不倫に悩む同僚の相談を受け、本当に困ったことがありました。もっとその時にピシャリと言ってあげたらよかったのに、私は同僚に強く言ってあげられなくて、彼はずっと悶々としていました。でも、結局ちゃんと立ち直って、今では平和に暮らしていることでしょう。
男と女は、本当にどこでどんなことが起こるか、わからないものだと思います。幸い私は無事に、普通のオッサンになれて、とんでもない道へ陥ることなく、ぼんやりとした夫婦生活を送っています。これはもう奥さんのおかげで、ありがたいことです。奥さんが1人で生きていこうとしたら、私は置いてけぼりで、どうして別れさせられたのだろうと思ったことでしょう。とにかく奥さんを大事にしなきゃ! 言葉だけじゃなく、態度で示します!
そういえば、仕事の先輩で、不倫をしたがっている人がいました。彼にも、なるべくそんな方向へはいかないようにと、ヤンワリ言ってあげましたけど、この先輩は、もうおじいちゃんなのに、おさかんなことでした。もうついて行けない感じでした。もう好きにして! と、少し見放したりしましたっけ……。
何が言いたいのかというと、「しずかにわたすこがねのゆびわ」を読み終えて、主人公たちが20代前半から40代くらいまであっという間に駆け抜けて、みんな結婚し、出産し、離婚して、バブルの時代に、どう生きていけばいいのか、あいかわらず悩んでいた、というのが言いたいのかもしれません。
小説の中に、ただ1人結婚を経験しなかった百合子さんという人がいて、この人から主人公の芹子さんへの手紙で小説はフッと終わってしまい、あれ、これはどういう結末なの、とわからなくなったのです。
ここに来るまで、昔の仲間と話をしたり、お互いの子どもたちを一緒に遊ばせたり、昔隣の机だった男の人のうわさばなしをしたり、それなりに話がつながっていたような気がしたのに、最後は本当に、ここはどこ、私はだれ?
という結末です。
最後の方にこんな一節があります。
百合さん、こういうわらべうたを知っているでしょう、と言ってから、芹子は小さな声でうたった。
サラバータ
サラバータ
しずかにわたす
こがねのゆびわ
鬼のしらぬうちに
ちょっとかくせ
いいわよ
ええ、知ってるわ、と百合子が言った。
真中に目隠しをした鬼がいて、まわりに車座になった子たちが、後ろ手に持った石とかハンカチを回すのね。
そして目をあけた鬼が、誰が宝物を持っているか当てるの。
当てられると、次の鬼になる。
子どもの頃、遊んだことがあるわ。
私も子どもの頃、あそんだことがあるの、と芹子が言った。
しずかにわたすこがねのゆびわ、って何かしら。
このごろ、そのことを考えているのよ。
しばらくしてから百合子が言った。
苦しみ、のことではないかしら。
誰にでも、いつか、こがねのゆびわが回ってくる。
そして、鬼になる。
ぎりぎりの自分の姿になる、ということかしら。
そして、それを乗り越えた時、本当の自分に出会える。
そんなふうに感じるわ。
ああ、と芹子が言った。
そういうことかもしれないわね。
でも今の私には、本当の自分というのは、よくわからない。
こがねのゆびわというのは、女の言葉のような気がするの。女のからだの中にある言葉にならない声、思いのようなもの。
女が共有している体感のようなもの。
うまく説明できないんだけれど、ある時は、私は妻の立場にいて、夫のむこうにいる女の人とは逆の立場にいたわ。
でも、自分も1人になってみると、今度は妻と逆の立場になるかもしれない。
女の立場はぐるぐる変わるのよ。
そして、妻である時はわからなかった、逆の立場の人の気持ちがわかったりするの。
それから、ある人は早くから知っていたことが、ある人にはなかなかわからなくて素通りしていく。
けれど、ある時ふとそれがわかって、同じ言葉を言ったりするの。
わかるような気がするわ、と百合子が言った。
吉田藤子さんのことも。杏子さんのことも。
芹子さんのことも。ここにいるとよくわかる。
ここに1人でいると、話し相手がいないから、独り言を言ったりするの。
家で夫を待っている女の人の姿が見えるような気がするの。
この家で1人で寝ているとき、怖いのよ。
自分が怖いの。
そんな時は、暗闇を見つめて、いろんなことを考えるの。
そしてなかなか眠れないの。 P246
ああ、何度切り抜きをしても、わからないですね。何か大切なことを教えてくれているような気がするのです。人生を深めていくときに、すごく大切な何かだという感じなのですが、それが何だかつかめないのです。
私は、百合子さんのようにはなれません。1人暮らしをしたことが結局ありませんでした。うちの奥さんはちゃんと東京で数年間1人で戦っていたけれど、私は親元でヌクヌクしながら、毎日をぼんやりすごしていました。よその女の人と恋愛するわけではなく、毎日のつまらない日常を奥さんへの手紙に書くだけの毎日でした。
そして、結婚してからもう30年近く、こがねのゆびわを探そうともせず、ただ「生活」だけを追いかけてきました。もっと「生きる」とか、「愛」とか、「純愛」とか、「不倫」とか、何かを追求してもよかったのかもしれませんが、全く考えないでやってきました。たぶん、これからも「生活」を追いかけることでしょう。
奥さんが離婚したいと提案しても、ちょっと待った! 年金はどうする! とか、変なごまかしで、煙に巻いて、提案を取り消してもらうようにするでしょう。
私は全く地面にはいつくばっていますが、「しずかにわたすこがねのゆびわ」の主人公たちは、みんな自分の力で生きていこうとしています。この生き方にはギャップを感じます。でも、何か今の私たちとつながるところがある、という気がするのに、それが何とは思い至らなくて、読んだ後でも、ぼんやり読み終えました。
しばらくおいておいて、他の作品を読んでみます。そしたら、少しはつかめるかもしれない。
小説を熱心に読むオッサンではないので、もう少し研究が必要です。というわけで、ちゃんとしたレポートにはなりませんでした。申し訳ありませんでした。
気象予報士さんは、ある程度のクールさと、即断即決・明瞭な歯切れの良さが必要です。それを聞いて、そうかと信じ込ませる力がなくてはいけません。なのに降板したお姉さんは、柔らかで、女の子然としていました。そうした素人っぽさがウリで、たくさんの支持を得られていた。ついでに仕事仲間にも好かれて、いろんな男の人から声をかけられて、ついホロッと行ってしまった。
声をかける男も悪いし、引っかかるお姉さんもよくありません。でも、仕事場の男女の中には起こりうる話です。私も、昔、不倫に悩む同僚の相談を受け、本当に困ったことがありました。もっとその時にピシャリと言ってあげたらよかったのに、私は同僚に強く言ってあげられなくて、彼はずっと悶々としていました。でも、結局ちゃんと立ち直って、今では平和に暮らしていることでしょう。
男と女は、本当にどこでどんなことが起こるか、わからないものだと思います。幸い私は無事に、普通のオッサンになれて、とんでもない道へ陥ることなく、ぼんやりとした夫婦生活を送っています。これはもう奥さんのおかげで、ありがたいことです。奥さんが1人で生きていこうとしたら、私は置いてけぼりで、どうして別れさせられたのだろうと思ったことでしょう。とにかく奥さんを大事にしなきゃ! 言葉だけじゃなく、態度で示します!
そういえば、仕事の先輩で、不倫をしたがっている人がいました。彼にも、なるべくそんな方向へはいかないようにと、ヤンワリ言ってあげましたけど、この先輩は、もうおじいちゃんなのに、おさかんなことでした。もうついて行けない感じでした。もう好きにして! と、少し見放したりしましたっけ……。
何が言いたいのかというと、「しずかにわたすこがねのゆびわ」を読み終えて、主人公たちが20代前半から40代くらいまであっという間に駆け抜けて、みんな結婚し、出産し、離婚して、バブルの時代に、どう生きていけばいいのか、あいかわらず悩んでいた、というのが言いたいのかもしれません。
小説の中に、ただ1人結婚を経験しなかった百合子さんという人がいて、この人から主人公の芹子さんへの手紙で小説はフッと終わってしまい、あれ、これはどういう結末なの、とわからなくなったのです。
ここに来るまで、昔の仲間と話をしたり、お互いの子どもたちを一緒に遊ばせたり、昔隣の机だった男の人のうわさばなしをしたり、それなりに話がつながっていたような気がしたのに、最後は本当に、ここはどこ、私はだれ?
という結末です。
最後の方にこんな一節があります。
百合さん、こういうわらべうたを知っているでしょう、と言ってから、芹子は小さな声でうたった。
サラバータ
サラバータ
しずかにわたす
こがねのゆびわ
鬼のしらぬうちに
ちょっとかくせ
いいわよ
ええ、知ってるわ、と百合子が言った。
真中に目隠しをした鬼がいて、まわりに車座になった子たちが、後ろ手に持った石とかハンカチを回すのね。
そして目をあけた鬼が、誰が宝物を持っているか当てるの。
当てられると、次の鬼になる。
子どもの頃、遊んだことがあるわ。
私も子どもの頃、あそんだことがあるの、と芹子が言った。
しずかにわたすこがねのゆびわ、って何かしら。
このごろ、そのことを考えているのよ。
しばらくしてから百合子が言った。
苦しみ、のことではないかしら。
誰にでも、いつか、こがねのゆびわが回ってくる。
そして、鬼になる。
ぎりぎりの自分の姿になる、ということかしら。
そして、それを乗り越えた時、本当の自分に出会える。
そんなふうに感じるわ。
ああ、と芹子が言った。
そういうことかもしれないわね。
でも今の私には、本当の自分というのは、よくわからない。
こがねのゆびわというのは、女の言葉のような気がするの。女のからだの中にある言葉にならない声、思いのようなもの。
女が共有している体感のようなもの。
うまく説明できないんだけれど、ある時は、私は妻の立場にいて、夫のむこうにいる女の人とは逆の立場にいたわ。
でも、自分も1人になってみると、今度は妻と逆の立場になるかもしれない。
女の立場はぐるぐる変わるのよ。
そして、妻である時はわからなかった、逆の立場の人の気持ちがわかったりするの。
それから、ある人は早くから知っていたことが、ある人にはなかなかわからなくて素通りしていく。
けれど、ある時ふとそれがわかって、同じ言葉を言ったりするの。
わかるような気がするわ、と百合子が言った。
吉田藤子さんのことも。杏子さんのことも。
芹子さんのことも。ここにいるとよくわかる。
ここに1人でいると、話し相手がいないから、独り言を言ったりするの。
家で夫を待っている女の人の姿が見えるような気がするの。
この家で1人で寝ているとき、怖いのよ。
自分が怖いの。
そんな時は、暗闇を見つめて、いろんなことを考えるの。
そしてなかなか眠れないの。 P246
ああ、何度切り抜きをしても、わからないですね。何か大切なことを教えてくれているような気がするのです。人生を深めていくときに、すごく大切な何かだという感じなのですが、それが何だかつかめないのです。
私は、百合子さんのようにはなれません。1人暮らしをしたことが結局ありませんでした。うちの奥さんはちゃんと東京で数年間1人で戦っていたけれど、私は親元でヌクヌクしながら、毎日をぼんやりすごしていました。よその女の人と恋愛するわけではなく、毎日のつまらない日常を奥さんへの手紙に書くだけの毎日でした。
そして、結婚してからもう30年近く、こがねのゆびわを探そうともせず、ただ「生活」だけを追いかけてきました。もっと「生きる」とか、「愛」とか、「純愛」とか、「不倫」とか、何かを追求してもよかったのかもしれませんが、全く考えないでやってきました。たぶん、これからも「生活」を追いかけることでしょう。
奥さんが離婚したいと提案しても、ちょっと待った! 年金はどうする! とか、変なごまかしで、煙に巻いて、提案を取り消してもらうようにするでしょう。
私は全く地面にはいつくばっていますが、「しずかにわたすこがねのゆびわ」の主人公たちは、みんな自分の力で生きていこうとしています。この生き方にはギャップを感じます。でも、何か今の私たちとつながるところがある、という気がするのに、それが何とは思い至らなくて、読んだ後でも、ぼんやり読み終えました。
しばらくおいておいて、他の作品を読んでみます。そしたら、少しはつかめるかもしれない。
小説を熱心に読むオッサンではないので、もう少し研究が必要です。というわけで、ちゃんとしたレポートにはなりませんでした。申し訳ありませんでした。