久しぶりにうちの父の日記を打ち込んでみることにします。珍しいことが書いてありました。
1970(S45)年6月23日 火曜 曇り時々雨
6時15分起床。6時30分出勤です。一直休転(どういう勤務体系なんだろう?)なのでゆっくり行くつもりも、そうできずといったところで出勤。
(お仕事の記述があって、よく分からないのでカットします!)14時で帰ることになります。
Tさん(仕事の先輩)と理髪に行くことと話を風呂場で決める。安保反対集会出席時間待ちのため帰ったら、妻は洗濯していた。それから、いつも行く理髪店は理髪料四百五十円になっていた。先輩に「安い」と話していた手前、決まり悪かった。先輩は五百五十円。待ち合わせ場所で時間があったので一杯飲みに行く。気持ちの良いところで、割合安かった。先輩が全部会計を持つ。すみませんでした。
お父さん。仕事の仲間とお酒を飲むなんて、珍しいことでしたね。そんなに飲み歩きもしないお父さんだし、先輩におごってもらうなんて、得しちゃいましたね。まあ、結婚する時もサポートしてくれた先輩だから、いろいろ頼りにしてたんですね。何だか微笑ましいです。
17時(参加するメンバーが?)全部集まったので、ともに会場に行く。開会前から荒れ模様。学生らが入場してきたので開会後も大変でした。デモに入ってなかなか事思うように行かず、自分は途中で帰ることにした。特別機動隊大多数待機中です。
20時バスで降りてから、タイショー(警察? パチンコ? どっち? パチンコかな?)に連れていかれてしまいました。22時過ぎまで頑張ったけど、だめな時はだめといっているのにだめ。気分悪くして家に帰る。食後床に就いても寝つき悪いのでした。
うちのお父さんは警察に連れて行かれたのかな。本当かな。いや、世の中そういう騒然とした時だったんだろうか。
その他大勢の一人だったうちのお父さんは22時まで拘束されたのかな。
信じられないけど、そういう時代だったんですね。そんなふうにして取り締まろうという雰囲気づくりがなされていったんだろうな。
ご苦労様でした。そんな思いをしてお父さんもお仕事してたんですね。少しびっくりです。