甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

初恋の日とアグネス・チャン HSD-08

2014年04月22日 22時11分09秒 | High School Days
 よせばいいのにKは、クラスの雑誌『海鳴り』創刊号に、中学生のときの初恋をテーマにした詩を載せてしまうのだった。Kにはそうした露悪趣味みたいなところがあったのである。いや、むしろそうしたみっともない自分を披露して、同情を引こうとするズルい計算があったのだろうか……。


   初恋の日

 初恋の日のおいらは、カゼをひいていて、ハナ水たらり
 そして、池のほとりに彼女と二人でいるんだけど、
 やけにおじけづいちゃってぶるぶるふるえてた。
 手はついにふれることなく、寒さでこごえてた。

 そんなおいらに、池の水は怒っちゃって、
 嵐のように波立ち、目くじら立てて騒ぐんだけど、
 秋は寒くて、身にしみて、どうも思えようにいかなかった。
 どちらかというと、秋の紅葉にそぞろひかれがちに装い、
 君を恋している思いを抑え、
 ロマンチストとなって詩を作るけれど、
 秋でさびしく、むなしかった。

 人生はからまわり
 青春はそれがいちばんきつく、
 特にからから回ってた。
 そのものの力がいつもどこかに向けられてる。
 そのように       ……ハズカシ!



 当時のKの日記を見てみよう。

* アグネス・チャンが聞こえた [1975.9.15 午前0時20分ごろ]

 深夜放送を聞いたら、ハーイ、アグネス現れた。そして、思うことは、おいらが年を取って、オッサンになるだろうけど、アグネスも二十歳になったことを思い出した。エッ、二十歳だって! 信じられなかった。でも、よく考えてみると、そうである。もう二十歳なんだ。おいらが中1の半ばごろに、アグネスが香港から日本へやってきたんだもの。そのときが17歳だったんだから、もう、来日して3年はたってるんだから、そうなんだ。月日の経つのは夢のうちの感にたえないなあ。おいらはガキだったもん。まだ小学校の感覚が抜けきれないけれど、ようやく中学がわかってきて、恋をしたいなあって、思ってたころだもん。

 10月に来日したとして、そのころ(1973年)に遠足があって、京都へ行った。国際会議場のある宝ヶ池へ、池のほとりに弁当箱を開いて母のことを突如思い出したり、また忘れてしまったり、みんなと騒いだりしたあのとき、おいらはキョー子さんに恋してしまったんだなあ、なつかしい。もう一度あのときに帰って、彼女と仲良くしてみたい。一目惚れで、もうとてつもなく好きでたまらなかったあのとき、好きで好きでたまらせなかった、あの子……。

 みだらな文句を連ねて彼女を表現するのは止そう。とにかく、好きだった。その好きだった彼女との間には、「別れ」は常に存在してたわけだ。それをわからないまま、ただ2人は、好き・恋、そんな言葉の響きの美しさに引かれて、恋をしてたんだ。何となくむなしいなあ。あんなに思ってたのに別れてしまうなんて、うつり気なおいら、バカなオイラ、まわりのヤツらの言葉にまどわされ、あの子の悪口をダラダラ本人に書いて、そして別れるなんて、何も言葉も交わさないまま、あの子と別れてしまったおいら。

 アグネスの真似がうまくて、とても可愛くて、ピチピチ現代の女性の象徴みたような女子だった。彼女も少女だったんだなあ。おいらもまだチビッコだったんだ。恋すれど恋は幼し。ただ熱上げるのみ。アグネスの来日よりもう3年たって、おいらにも3歳が加えられた。でも、変わらないのは、女性を思うことなんだなあ。





 高1の秋に、中1の秋から冬にかけての恋の思い出にひたっているということは、よっぽど高校時代が不遇であったか、話題が乏しかったのか、それとも単なる露出狂というべきか、悪趣味なことである。そんなことも気づかずにいい気なもので変な詩をクラスのみんなに披露し、自宅では懐古趣味の日記を書いていた。

 Kはこのころ日々の勉強に追われ、週に3回は現役予備校へ行くものの成果は上がらず、「勉強」が大きなプレッシャーになっていた。それでも進んで勉強をせず、いやいや机に向かうだけで、時間の空費だけをしていた。そうした虚しさを紛らすため、生徒会活動やら、クラス冊子作りやら、文芸調のノリで活動していた。しかし、本業がダメでは心が晴れることも少なかったのである。

 だから、つい懐古的になり、朝の通学で昔好きだった子たちの姿にときめかせることばかりしていた。彼女たちとはなんの関係もないし、話をする機会は全くないし、こちらからアプローチする勇気もないのに、ただ懐かしさからか彼女たちを探すのだった。少しやけくそ気味な日々がつづく。



 その最大のターゲットがキョー子さんで、中1の秋から冬、2人は交際しているということになったのだった。友人がとりもってくれた仲ではあるが、デートをするわけでもなく、親しくおしゃべりするわけでもない。とにかく「つきあっている」という関係は心の中で成立し、それに満足していたKは、彼女からの年賀状にときめき、写真を見てはためいきをつき、その名前を呼び、親しくお話している場面を空想したりしていた。どうしてもっとデートをしたり、放課後に待ち合わせたり、自分たちのことをおしゃべりする機会を持とうとしなかったのか。今となっては全く不思議だが、当時はそれでKは十分満足だった。彼女から一度か電話がかかってきたときも、どのようにして母をごまかすかばかりを考え、まるでお話ができなかったりするヤツだった。全く話にならない交際で、今の若者たちから見れば、これは「交際」とはいえないようなものである。

 とにかく、学校の廊下ですれちがうときに見つめ合ってニコニコするだけの関係で、それがバレンタインを乗り越え、2年生に向かってもそのままだった。ところが、Kの日記にもあるが、2年生になって「彼女が不良になった」「服装がおかしい」「スカートが長すぎる」「先生に反抗したらしい」などのウワサを聞く。迂闊なKはそれをそっくりそのまま彼女に手紙で注意してしまう。その直後、言葉も親しく交わしたことのない交際相手からの不条理な手紙に彼女は激怒し、二人の関係はあっけなく終わる。単なる仮想恋愛ではあったので、もろいものだった。そうなると今度は、廊下ですれちがう度にきつい視線、つづいて完全なる無視となり、Kのはかない交際は消滅する。



 女の子は、ある時はお化粧や服装に凝り、びっくりするくらい派手になってしまったり、突然不良っぽく変身したりする時がある。そうした表面的な変化で一喜一憂するのは恋しい男の常であるが、そこを踏みとどまってうまく調整できる人こそ男女交際をする権利を有するのだ。それができずに単純な手紙を書いたKは男女交際をする権利と能力がなかったのである。果たして当時のKに交際の展望はあったかどうか。たぶん、何も考えていなかったので、早晩終わるはずのものだったろう。

 はかないつきあいが終わって2年以上経過しても、Kは彼女に対して密かな思いは持ち続けていた。表面上は無関心を装ってはいたが、心はいつも波立ち、高校生になっているのに、そのドキドキはかすかに続いていたのである。決して自分から何も行動を起こせないくせにである。



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