いよいよこの「菅笠日記」の一番大切なところにやってきました。宣長さんは、ここでお父さんのことを偲ぶために、ずっと旅してこられたのです。
短歌も詠みますよ。涙も流しますよ。しんみりとだけど……。歳月の流れもかみしめちゃいます! もうお父さんととことん心の交流をしなくちゃ!
ゆきゆきて。夢ちがへの観音などいふあり。道のゆくてに。布引の桜とて。なみ立る所もあなれど。今は染かへて。青葉のかげにしあれば。
旅ごろもたちとまりても見ず。かの吉水院より見おこせし。滝桜くもゐざくらも。此ちかきあたり也(なり)けり。
しばらくお山の上を進んでみます。そうすると、夢違え観音というのがあったりします。道の向こうには、布引の桜といって、布を引いたようにあたり一面を覆うような桜というのもあるようでした。けれども、もうそれらの桜は散り落ちて、青葉若葉になっているようでした。
わざわざそちらには行かないで、吉水院から見てみただけでした。滝桜、雲居桜と呼ばれる桜の木も近くにあるようでした。
世尊寺。ふるめかしき寺にて。大きなるふるき鐘など有。なほのぼりて。蔵王堂より十八町といふに。子守の神まします。此御やしろは。よろづの所よりも。心いれてしづかに拝み奉る。
世尊寺というのは古めかしいお寺でした。大きな古い鐘もありました。さらに進んで、蔵王堂から二キロほど行ったところに、子どもを見守る神様がおられます。このお社は、他の所よりも、心を込めて静かに拝み申し上げました。
さるはむかし我(わが)父なりける人。子もたらぬ事を。深くなげき給ひて。はるばるとこの神にしも。ねぎことし給ひける。しるし有(あり)て。程もなく。母なりし人。たゞならずなり給ひしかば。かつがつ願ひかなひぬと。いみじう悦(よろこ)びて。同じくはをのこゞえさせ給へとなん。いよいよ深くねんじ奉り給ひける。われはさてうまれつる身ぞかし。
実は、それには理由があって、昔、私の父上が、子どもがいないのを深くお嘆きになって、はるばるこの神様にお祈りをなさったということがありました。その霊験が現われ、しばらくしたら、母上はただならぬ状態になり、とうとう願いが聞き届けられたと、たいそう父上は喜ばれて、できれば、男の子をお願いしますと願われたそうです。そして、生まれてきた子どもが私だったのです。
十三になりなば。かならずみづからゐてまうでて。かへりまうしはせさせんと。のたまひわたりつる物を。今すこしえたへ給はで。わが十一といふになん。父はうせ給ひぬると。母なんものゝつひでごとにはのたまひいでゝ。涙おとし給ひし。
子どもが十三歳になったら、必ず自分で連れてきて、お礼参りをしようとおっしゃておられたのでした。それなのに、あと少しというところで、私が十一歳の時、父上はお亡くなりになったのですと、母上は何かのついでには語り、その度に涙を落としておられました。
かくて其(その)としにも成(なり)しかば。父のぐわん(願)はたさせんとて。かひがひしう出たゝせて。まうでさせ給ひしを。今はその人さへなくなり給ひにしかば。さながら夢のやうに。
そして、私が十三になったので、父であり亡き夫の願いを果たさせようと、かいがいしく母上は準備をしてくださって、私をお参りに行かせてくださったのでした。今は、その母上もこの世にはおられなくて、まるですべてが夢のように感じられるのです。
思ひ出(いづ)るそのかみ垣にたむけして麻よりしげくちるなみだかな。
袖もしぼりあへずなん。
いろんなことが思い出されます。亡き父母の思いを受けて、十三の年にお参りさせてもらった神様に、今こうして再びお参りすることができています。その神様にお参りしてある麻よりも、次から次とわき出てしまう涙なのです。
涙があふれ出て、袖で涙をぬぐっても、どうにもならないほど、こみ上げて参ります。
★ スイッチが入りました。偲びたい気持ちはいつも持っているんです。でも、何でもないところではスイッチは切れたままですし、そんなとこでは平然としている。
それが、無防備になって、ニュートラルな気持ちになったら、あとは風でも吹いたら、花でも見つけたら、もうスイッチオンなんです。
人って、ムズカシイ!