51【彼を知りて己れを知れば( )戦あやうからず】……敵と味方の情勢によく通じていれば、何回戦っても負けることはない。《孫子》 十? 百? 千? 万? どれでしょう?
講談社文庫で、海音寺潮五郎先生の「孫子」が出ていました。ラジオの日曜名作座で森繁先生が朗読されていて、こんなにおもしろい世界があったのかと、あわてて買いました。
もうずいぶん昔の話です。今では本屋さんに売っていないと思うけれど、みんなが掘り起こさないといけないと私は思います。海音寺先生も吉川英治さんも日々忘れ去られようとしています。とはいうもののしたたかに生きているかなあ……? 今は今の楽しみ方、発掘の仕方があるかもしれないから、ゲームかアニメかで古典を新しく作ってくれたらいいんですかね。
そうしたら、私は絶対に手を出さないとは思います。私はクラッシックなのが好きだから、クラッシックな楽しみ方しかできません。でも、みんなが語って聞かせることって大事とは思うので、私もせいぜい古典を語りたいです。語る権利あるかな、それはわからないけど、オッチャンなんだから、昔のことはそれなりに語れますか……。
ああ、私は、何もない方がうれしいんですね。だから、ポイッと、呉のお城があったところだとか、呉と越が戦ったところだ、というところに放り出してもらう方がいいです。廃墟に放り出してもらえたら、少しは私も学べるんですけどね。
兵法書の「孫子」を書いたという孫武というひとは、春秋時代後半の呉の国で、伍子胥(ごししょ)さんにスカウトされたということになっています。
海音寺潮五郎先生の「孫子」から抜き出しますね。子胥(ししょ)さんが王様の前に連れ出します。それ以前にいくつか孫武の著作を紹介することはありましたが、本人を連れて来るのは初めてだし、理論は知っていたけれど、どれくらいの実力があるのか、どれくらい実践的な人なのか、そこは子胥(ししょ)さんもはかりかねていました。
(王様の闔閭 こうりょ は)試してみようと思った。
「孫先生」
と、改まった調子で呼びかけた。
「はい」
孫武の返事はものに驚いたようだ。威厳などさらにない。
闔閭(こうりょ)はゆったりと椅子に背をもたしかけ、くつろぎ切った態度で言う。
「先生の著述十三篇、わしは一息に拝読しました。まことに見事なものと、感銘浅からざるものがありますが、実地に用いても効果がありましょうか。由来、理論と実地とは一致しないことの多いものですが」
こちらで子胥は見ていて、闔閭が孫武を侮り切っていることがわかった。おしいこと、王はついに孫武を用いる気がなくなったと思った。
すると、思いもかけないことであった。孫武の様子が凛とひきしまって来た。椅子を立って、拝をして、言う。
「理は形(実)を離れたものではありません。形の中に理を見て整理したものでありますれば、理の中に形もあるべき道理であります。人の兵法は知らず、拙者の兵法では、理は即ち形であり、形は即ち理であります。実地に応用して役に立たないなど、決してないと、固く信じています」
きびしい調子であった。これまでの優柔さをかなぐり捨てていた。怒っているようであった。ほんとにおこっているかも知れない、兵法を非議されては、孫武にとってはがまんできないはずと、子胥は考えた。
子胥さんを通してこの場面は描かれています。たしかに「孫子」という小説は、彼なくしてはドラマは成立しなかったはずなので、それでいいとして、孫武さんはどうするのでしょう?
「フフーン、そういうものですかな」
闔閭はおちつきはらって言ったが、ふとにこにこした。
「先生の兵法をもって、女でも兵として訓練できますかな」
孫武は王の目を正視し、しばらく見つめていた後、うなずいた。
「できますとも」
「ほう、できますか。そんなら、一つ後宮の女どもでやって見せてもらいましょうか」
これは悪謔(あくぎゃく)であると、子胥はこちらで考えた。制止しようとも思ったし、どうなるか落ちつくところまで見たいとも思った。
「いたしましょう。後宮の女中方を最も勇敢な女兵といたせばよろしいものでございますね」
と、孫武は念を押した。
「その通りです」
調練の場所は王宮の庭がえらばれ、王は後宮の美女百八十人を出して、孫武にあてがい、自らは群臣をひきいて台(土を高く盛った物見台、屋根はない。屋根のある物見台は樹 しゃ )に上って見物することにした。
さあ、王様に試されている孫武さんはどうなるんでしょう?
後宮の女性たちは、へらへらしてまったく取り合わない感じであった。しかし、王の命令を受け、軍隊として成立させよと言われているのであるからと、とうとう孫武は、王様のイチバンのお気に入りの女の人二人(二人はこの軍事教練の部隊長になっていて、その責任をとらせるカタチでした)を処刑にし、女どもを引きつらせ、そこからはビシバシと鍛えたというエピソードなのでした。
お気に入りの女たちを、軍隊にさせよという命令がメチャクチャで、孫武さんは、そのメチャメチャの命令にも、将軍として答え、見事に軍隊とさせた。おふさげにものすごく真面目に答えた。そして、お気に入りの女二人を失った王は、しらけた気分となったものの、孫武を採用することを決めたという、デビューとしてはほろ苦い感じの、デビューとなります。
呉という国のあれこれを、ちゃんと紹介できるといいんですけど、せいぜいがんばります。
★ 答え 51・百(戦)あやうからず でした。
講談社文庫で、海音寺潮五郎先生の「孫子」が出ていました。ラジオの日曜名作座で森繁先生が朗読されていて、こんなにおもしろい世界があったのかと、あわてて買いました。
もうずいぶん昔の話です。今では本屋さんに売っていないと思うけれど、みんなが掘り起こさないといけないと私は思います。海音寺先生も吉川英治さんも日々忘れ去られようとしています。とはいうもののしたたかに生きているかなあ……? 今は今の楽しみ方、発掘の仕方があるかもしれないから、ゲームかアニメかで古典を新しく作ってくれたらいいんですかね。
そうしたら、私は絶対に手を出さないとは思います。私はクラッシックなのが好きだから、クラッシックな楽しみ方しかできません。でも、みんなが語って聞かせることって大事とは思うので、私もせいぜい古典を語りたいです。語る権利あるかな、それはわからないけど、オッチャンなんだから、昔のことはそれなりに語れますか……。
ああ、私は、何もない方がうれしいんですね。だから、ポイッと、呉のお城があったところだとか、呉と越が戦ったところだ、というところに放り出してもらう方がいいです。廃墟に放り出してもらえたら、少しは私も学べるんですけどね。
兵法書の「孫子」を書いたという孫武というひとは、春秋時代後半の呉の国で、伍子胥(ごししょ)さんにスカウトされたということになっています。
海音寺潮五郎先生の「孫子」から抜き出しますね。子胥(ししょ)さんが王様の前に連れ出します。それ以前にいくつか孫武の著作を紹介することはありましたが、本人を連れて来るのは初めてだし、理論は知っていたけれど、どれくらいの実力があるのか、どれくらい実践的な人なのか、そこは子胥(ししょ)さんもはかりかねていました。
(王様の闔閭 こうりょ は)試してみようと思った。
「孫先生」
と、改まった調子で呼びかけた。
「はい」
孫武の返事はものに驚いたようだ。威厳などさらにない。
闔閭(こうりょ)はゆったりと椅子に背をもたしかけ、くつろぎ切った態度で言う。
「先生の著述十三篇、わしは一息に拝読しました。まことに見事なものと、感銘浅からざるものがありますが、実地に用いても効果がありましょうか。由来、理論と実地とは一致しないことの多いものですが」
こちらで子胥は見ていて、闔閭が孫武を侮り切っていることがわかった。おしいこと、王はついに孫武を用いる気がなくなったと思った。
すると、思いもかけないことであった。孫武の様子が凛とひきしまって来た。椅子を立って、拝をして、言う。
「理は形(実)を離れたものではありません。形の中に理を見て整理したものでありますれば、理の中に形もあるべき道理であります。人の兵法は知らず、拙者の兵法では、理は即ち形であり、形は即ち理であります。実地に応用して役に立たないなど、決してないと、固く信じています」
きびしい調子であった。これまでの優柔さをかなぐり捨てていた。怒っているようであった。ほんとにおこっているかも知れない、兵法を非議されては、孫武にとってはがまんできないはずと、子胥は考えた。
子胥さんを通してこの場面は描かれています。たしかに「孫子」という小説は、彼なくしてはドラマは成立しなかったはずなので、それでいいとして、孫武さんはどうするのでしょう?
「フフーン、そういうものですかな」
闔閭はおちつきはらって言ったが、ふとにこにこした。
「先生の兵法をもって、女でも兵として訓練できますかな」
孫武は王の目を正視し、しばらく見つめていた後、うなずいた。
「できますとも」
「ほう、できますか。そんなら、一つ後宮の女どもでやって見せてもらいましょうか」
これは悪謔(あくぎゃく)であると、子胥はこちらで考えた。制止しようとも思ったし、どうなるか落ちつくところまで見たいとも思った。
「いたしましょう。後宮の女中方を最も勇敢な女兵といたせばよろしいものでございますね」
と、孫武は念を押した。
「その通りです」
調練の場所は王宮の庭がえらばれ、王は後宮の美女百八十人を出して、孫武にあてがい、自らは群臣をひきいて台(土を高く盛った物見台、屋根はない。屋根のある物見台は樹 しゃ )に上って見物することにした。
さあ、王様に試されている孫武さんはどうなるんでしょう?
後宮の女性たちは、へらへらしてまったく取り合わない感じであった。しかし、王の命令を受け、軍隊として成立させよと言われているのであるからと、とうとう孫武は、王様のイチバンのお気に入りの女の人二人(二人はこの軍事教練の部隊長になっていて、その責任をとらせるカタチでした)を処刑にし、女どもを引きつらせ、そこからはビシバシと鍛えたというエピソードなのでした。
お気に入りの女たちを、軍隊にさせよという命令がメチャクチャで、孫武さんは、そのメチャメチャの命令にも、将軍として答え、見事に軍隊とさせた。おふさげにものすごく真面目に答えた。そして、お気に入りの女二人を失った王は、しらけた気分となったものの、孫武を採用することを決めたという、デビューとしてはほろ苦い感じの、デビューとなります。
呉という国のあれこれを、ちゃんと紹介できるといいんですけど、せいぜいがんばります。
★ 答え 51・百(戦)あやうからず でした。