「オシャマンベ!」をギャグにしていたコメディアンがいましたね(変なところにアクセントをつけてた。あれをナマっている、というんだろうか? いや、あれはわざとだから、ナマってるんじゃなかった? 泥臭い芸をされてて、私は割と好きでした。何てったって、伝統的なお笑いを引きついているような気がしたし、安定感がありました。親の世代の人も、知らぬ間に引き入れられてたでしょうか)。
全く意味がないし、つまらない、というか、あまりにそのままというか、本人が信念を持ってやってる単純芸だから、鬼気迫るものが隠れてたんでしょうか。私たちはその人が何ともないギャグみたいなのを言ってくれるのを待ってたんですね。おもしろさはその人が持っていて、私たちはその人が放つ空気が好きだった。
今のお笑いは全く見てないし、よくわからなくて、私は笑いに乗れていない気がしますけど……。
昔のコメディアンは、ヘンテコな、薄暗くて下世話な感じがありました。みんなトップに立つまでいろいろと苦労してたんだと思います。アメリカみたいな軽やかな話芸って、あったんだろうけど、どうだったかなぁ。
今のお笑いは研ぎ澄まされてて、私なんかには息苦しい感じがします。彼らは勝ち抜いたエリートみたいな空気がある気がします。いろんな番組で優勝という栄冠を得て、ギャラも上がって、箔がつくのでしょうね。まぁ、よくわかりません、全く見てないですから。
さて、長万部の駅にちょうど40年ぶりに来ました。その時にもカニメシを買いました。たぶん、駅のホームで一瞬で買いました。何だか誇らしかったけれど、ちゃんと彼女の分のふたつ買ったかどうか? 自分の分だけだったかもしれない。ケチだから、そんなだった?
かくして私は、今回、小樽から余市、余市から倶知安、倶知安から長万部、そこから特急で東室蘭と移動しました。
ただの電車の移動でしたが、函館本線は奇跡的な風景でした。ニセコの山々、ずっとこちらを見てくれている羊蹄山、ずっと晩秋の公園を淡々と走り続ける車両など、夢のような時間でした。
2030年に新幹線が通るとしても、景色は変わらないし、地域は何も変わらないかもしれない。
自然はとてもそのままで、新幹線が走ったとしても、土地の値段は上がるかもしれないけれど、人々の暮らしには何ももたらさない、かもしれないです。まぁ、それはみんな知ってることでしたか。
鉄道がなくなり、めったに使わない高速鉄道ははるか頭上を走り抜けていくだけです。生活が不便になるのに、それを甘んじて受け入れていかなくてはならない。そして、東京に出る用事があれば、みんな飛行機を使うのです。でも、小樽より向こうの人たちは、空港に行くにも不便だから、新幹線の駅までクルマで行き、そこから東京に長時間我慢して行くんだろうか。
雨も時々降って、スコットランドもこんなかなぁなんて思ってました。
小樽駅の東西には、不思議な響きの駅名がありました。「ゼニバコ」は前にも書きました。小樽を出たら電化からディーゼルの単線になって、シオヤ、ランシマ、ヨイチと続きます。このたったの三つなのに30分ほどかかって、ずっと海に近い山間部をクネクネと道を探しながら走っているようでした。余市でまた海側に出るのだから、いっそのことズドーンと海側をレールを敷けばいい話ですが、それができない歴史があったようです。
今の感覚で見てみたら、とても雰囲気のある静かな路線でした。廃止されたら、トロッコ列車か、貨物専用か(ディーゼルで引っ張るのは大変かな? いや、すれ違った貨物列車があった気がする)、何かいい利用方法を考えてもらいたいです。