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昨日からの雨は今は止んでいます。うちの奥さんはチューリップの写真を撮ってきたそうです。初めて植えた種類だったそうで、彼女のイメージとは少し違うものが出てきたようです。でも、それも受け入れて、こんな色だったのかとその意外性を楽しんでいるようです。偉いね、そういう風に私たちは生きていかなきゃね。
今は雨はやんでいるけど、また昼くらいから明日にかけてずっと雨は降るそうです。いよいよ外に出たくなくなるけど、でも、雨だからといって外に出ないのであれば、世の中は成立しません。雨であろうが、寒かろうが、人間は何らかの活動を続けているので、当然のことながら、雨でも誰かが私たちの生活を支えてくれています。
だったら、私も、雨が降ろうとも、何かをしなくちゃいけないです。私にできること、家の中の片付けと料理(昨日はイチゴジャムだけ作りましたね)と段ボールをまとめるくらいでしょうか。傘さしてお買い物にも行きたいです。
今朝は、三時くらいに目が覚めて、ハナ水が止まらなくて、四時半くらいまで本を読んでいました。そんなだから、生活がだらしなくなってしまいます。もっと規則正しく生きていたいのに、つい、「日曜だから、眠くなるまで本を読んでみよう」なんていう甘い考えを起こしたんでしたね。
とても甘い、とてもズサンな、とても年寄りじみた生活スタイルです。
もっと時間に縛られてヒーヒー言わなきゃいけないのに、若い人は実際にヒーヒー言いながら不規則な生活をさせられているのに、私はそんなのお構いなしでわがままに生きています。反省します(いつも口だけという反省とともに)。
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ウクライナの人々のことを思うと、私のだらしなさが申し訳なくなります。いくら申し訳ないと反省しても、どうにもならなくて、とにかく、できることをしなきゃ、と焦ります。でも、なかなか行動できていない。
そして、ふと「自由」というのを考えます。人の権利というのも思います。
どちらも大事なものなんだけど、なかなか私たちはこの二つを手に入れることはできていません。
人の権利は、いつも危険にさらされています。
普通に仕事がしたいと思ってても、「お前の仕事の仕方は何だ」と罵声を浴びせられたりする。
「そんな役に立たない部署はつぶしてしまえ」
「✖✖と△△は統合だ」とか、
「やつらは、仕事もしないのに給料だけをもらっている」とか
いかにも自分が見つけたように大声でメディアで訴えたり、西日本のどこかの集団がよくやる手口ですけど、当たり前にやってた仕事を認めない人たちは世の中にいるようです。
統合したり、廃止したり、首切りしたり、つるし上げたり、それが西日本では当たり前になっていて、それに歯向かう人たちはバサリと切り捨てられる。メディアも一緒になってあおるから、土地そのものが荒廃し、カジノやら大規模イベントやら、政府系の御用会社やら、そういうところだけが税金を吸い上げて着実に稼いでいく。そういうのが許されている社会があるようです。
幸いなことに、それはほんの一地域でしか広がらない、地域限定の集団催眠状態みたいなものだからいいものの、いい加減、その地域も目覚めてほしいんだけど、ロシアと一緒で情報操作されているみたいで、一定の支持率はあるようです。
人間って、だまされやすい生き物でもあるようです。というか、知らないことが多すぎるし、すべてを知ることなんてできないから、自分の見聞きしたものを頼りに、目の前のことに向かうことしかできないのが私たちの習性でした。
たくさん、たくさん人の権利は削り取られていく。人の権利というのは、本人が守ろうとしないと、すぐに奪われていくもののようです。
自由だってそうでした。自由も、いかにしてそれを維持していくのか、それは簡単に得られるものではなくて、どこかで立ち向かい、しんどい思いをしてやっと手に入れられて、これもまた誰かにそれを盗られないかどうか心配し続けなくてはならないもののようです。
国家なんて、そもそも何も守ってくれるものではありません。自分は、自分の権利を守るために常に立ち向かわなくてはならない。また、自分のまわりの人たちの権利も一緒になって守っていかなくてはならない。
そういうたくさんの意志が集まって、一つの集団を作る。集団はもちろんいろんな考えがあり、まとまらず、混乱し、だまし合い化かし合いもあったりする。でも、人それぞれがなるべく傷つけあわずに、話し合いで物事を決めていくのであれば、それをよしとする。
そういうのを国と呼ぶのであれば、それもいい。そういう国家であればいいのだけれど、そういう国家なんてありません。
大抵は、土地にトップという人が出てきて、その人の下ですべてが動かされていく。文句も言えず、我慢しながらトップの言うことを受け入れていく。そういうのが今まで国家であった気がします。今もそうでしょう。中国なんて何千年もそうしてきましたし、これからもずっとそうしていくのでしょう。
国というのを持ち出す人々、そういう人はあまり信じたくありません。
明治の初めの頃、「自由」とは何か、どんな風にそれを手にしたいのか、どんな風に自分たちの生きていく世界が進んでいくのか、そういうのを考えた人々がたくさんいました。エリートではなくて、ごく普通の人々がみんなで「自由」とは、「人の権利」とは、というのを考えていました。
ある意味すごい時代があったようです。でも、抑圧も相当ひどかったのかもしれません。人の権利なんて存在してなかったのかもしれない。
それから百何年か経過して、私たちは「自由」と「人の権利」を得たような気がしていますが、すべての人が得ているわけではありません。
私のつまらない行動が、世界の人々の「自由」と「人の権利」につながるように、せいぜいつまらない何かをします。とりあえず片づけをします。買い物にも行きます。傘をさして外にも行きます。家族ともおしゃべりします。
絵も描きたいと思います。これまたつまらない絵だと思うけど、誰かに笑ってもらえる絵を描きます!
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