人の仕事というのは、何かの分野において専門家になるということである。世の中にはいろいろなプロがい
て、その人たちのおかげで、私たちの社会は成り立っている。どんな仕事をする人も、みんなそれなりにプロになってお金を儲けている。プロでない人も、少しずつ技を磨いて、プロに近づこうと努力している。
サラリーマンという人たちがいる。といっても、職種はいろいろで、事務・営業・在庫管理・交渉・海外進出・外国語など、いろんなことを突き詰めた人たちがサラリーマンである。この人たちのおかげで現代社会のかなりの部分は運営されているように思う。一次産業(製造)、二次産業(加工)、三次産業(販売)というふうに区別しているけど、現代は、これらがいろいろと組み合わさっていて、みんなあれもこれもしたりしている。とにかく、その世界でお金を得るために、日々努力をしている。そこがプロなんだろう。
世の中には、何かを突き詰めた人というのがいる。職人さんと呼ばれるような人たちで、工芸・技芸など、さまざまなプロの人たちがいる。この人たちは、生涯現役の人もいれば、つねに最高のパフォーマンスを要求される世界では、引退して後進の育成に当たる人(何らかのプロ、コーチなど)もいる。そのキャリアはそれぞれの世界で違うかもしれないが、やろうと思えばとことんやれる世界であるだろう。お金はあとからついてくるものなんだろう。
社会人になるということは、何かのプロになるということである。そう考えるとわかりやすい。転職を繰り返す人は、一度何かの世界に入ったけれど、新しい世界が必要になったり、プロをやっていく上で環境に適応できなかった人であるのかもしれない。
そこで、「先生」という仕事を考えてみる。
お医者さんは医学のプロ、政治家は人間関係の調整が専門、何かの分野の「先生」はその道のプロでなければならない。そうなると、「先生」というのは、どういうことができるからプロなのか?
何かを教えることがプロなのか? 私の高校時代を振り返ってみると、何かを教えることはカラッキシの人がいたような気がする。だったら、人格を磨いて、子どもたちに尊敬される人になるために日々精進するプロなのか?
どれもこれも、なんだかいい加減な基準という気がする。先生というプロは、何だかあやしいプロである。いろいろな「学校の先生」たちがいるけれど、やはりこの人たちも、世の中と同じように細分化されていて、人間管理のプロであったり、受験の神様であったり、クラブ指導のプロ・その道何十年とか、いろいろ分かれているんだろう。
そこで、ふと考える。
夏目漱石の『こころ』に「先生」はどうなんだろう? あの「先生」は何のプロだったんだろう?
小説の中で、「私」が出会った時の「先生」は、若くてスラッとして、水泳なんかができる人だった。水泳の専門家か? さっと海を切り裂き、サッと浜辺にもどって来た。お泳ぎの分野の「先生」ではなかったし、「私」は水泳を学びたいわけでもなかった。
学問もそれなりに積んでいるみたいだし、生活にも困っていないようだし、話してくれる言葉も、若者にはとても啓示に満ちていた。どんどん吸収したくて、「私」は子犬のように「先生」にまとわりついていた。
「先生」にはたくさんのナゾがあって、若い「私」は、それらのナゾが知りたくて、「先生」のおうちに行くようになる。この関係は、なかなか明治ですね。当時は、何もしないでのんびり暮らす、何だかインテリなんだけど、よくわからない人たちがいた。でも、この人たちは、それぞれパワーは秘めていて、何事かが起きると、爆発する力があった。今は、世知辛い世の中だから、そんなゆったりした生活の若い人って、あまりいないような気がする。
でも、明治のころは、こうした「先生」みたいな人のところに行ってると、就職口なんかを見つけてくれたり、紹介状を書いてくれたり、誰かにつなげてくれるとっかかりにはなったでしょうね。
学校の「先生」でもないし、学問があるというわけでもない。「私」は、何かの技術を学びたいわけでもないが、適当なことばがないから、その人を「先生」と呼ぶことにした。それくらい慕わしい、何か気になる人だった。
言うなれば、生きていく上での「先生」、生き方のプロだったわけでしょうか。
この「先生」は、小説の後半で「私」あてに長ーい遺書を送ってくれるのですが、自分の命をかけて若い人に何かを伝えることになるわけだから、「私」には「先生」と呼ぶことができるでしょうか。
それで、最初の前提。人はこの世に生きていく上で、プロにならねばならない、というふうに書き出しましたが、『こころ』の「先生」は何のプロだったかなあ。
この稿では結論は出ないですね。また、いつか書くことにします。
ただ疑問が起きたのをメモしただけです。「先生」は何のプロ? 私に何を伝えた?
『こころ』を読みたくなりました。秋だし、ちょうどいいかな。まだ、早いかな……。
て、その人たちのおかげで、私たちの社会は成り立っている。どんな仕事をする人も、みんなそれなりにプロになってお金を儲けている。プロでない人も、少しずつ技を磨いて、プロに近づこうと努力している。
サラリーマンという人たちがいる。といっても、職種はいろいろで、事務・営業・在庫管理・交渉・海外進出・外国語など、いろんなことを突き詰めた人たちがサラリーマンである。この人たちのおかげで現代社会のかなりの部分は運営されているように思う。一次産業(製造)、二次産業(加工)、三次産業(販売)というふうに区別しているけど、現代は、これらがいろいろと組み合わさっていて、みんなあれもこれもしたりしている。とにかく、その世界でお金を得るために、日々努力をしている。そこがプロなんだろう。
世の中には、何かを突き詰めた人というのがいる。職人さんと呼ばれるような人たちで、工芸・技芸など、さまざまなプロの人たちがいる。この人たちは、生涯現役の人もいれば、つねに最高のパフォーマンスを要求される世界では、引退して後進の育成に当たる人(何らかのプロ、コーチなど)もいる。そのキャリアはそれぞれの世界で違うかもしれないが、やろうと思えばとことんやれる世界であるだろう。お金はあとからついてくるものなんだろう。
社会人になるということは、何かのプロになるということである。そう考えるとわかりやすい。転職を繰り返す人は、一度何かの世界に入ったけれど、新しい世界が必要になったり、プロをやっていく上で環境に適応できなかった人であるのかもしれない。
そこで、「先生」という仕事を考えてみる。
お医者さんは医学のプロ、政治家は人間関係の調整が専門、何かの分野の「先生」はその道のプロでなければならない。そうなると、「先生」というのは、どういうことができるからプロなのか?
何かを教えることがプロなのか? 私の高校時代を振り返ってみると、何かを教えることはカラッキシの人がいたような気がする。だったら、人格を磨いて、子どもたちに尊敬される人になるために日々精進するプロなのか?
どれもこれも、なんだかいい加減な基準という気がする。先生というプロは、何だかあやしいプロである。いろいろな「学校の先生」たちがいるけれど、やはりこの人たちも、世の中と同じように細分化されていて、人間管理のプロであったり、受験の神様であったり、クラブ指導のプロ・その道何十年とか、いろいろ分かれているんだろう。
そこで、ふと考える。
夏目漱石の『こころ』に「先生」はどうなんだろう? あの「先生」は何のプロだったんだろう?
小説の中で、「私」が出会った時の「先生」は、若くてスラッとして、水泳なんかができる人だった。水泳の専門家か? さっと海を切り裂き、サッと浜辺にもどって来た。お泳ぎの分野の「先生」ではなかったし、「私」は水泳を学びたいわけでもなかった。
学問もそれなりに積んでいるみたいだし、生活にも困っていないようだし、話してくれる言葉も、若者にはとても啓示に満ちていた。どんどん吸収したくて、「私」は子犬のように「先生」にまとわりついていた。
「先生」にはたくさんのナゾがあって、若い「私」は、それらのナゾが知りたくて、「先生」のおうちに行くようになる。この関係は、なかなか明治ですね。当時は、何もしないでのんびり暮らす、何だかインテリなんだけど、よくわからない人たちがいた。でも、この人たちは、それぞれパワーは秘めていて、何事かが起きると、爆発する力があった。今は、世知辛い世の中だから、そんなゆったりした生活の若い人って、あまりいないような気がする。
でも、明治のころは、こうした「先生」みたいな人のところに行ってると、就職口なんかを見つけてくれたり、紹介状を書いてくれたり、誰かにつなげてくれるとっかかりにはなったでしょうね。
学校の「先生」でもないし、学問があるというわけでもない。「私」は、何かの技術を学びたいわけでもないが、適当なことばがないから、その人を「先生」と呼ぶことにした。それくらい慕わしい、何か気になる人だった。
言うなれば、生きていく上での「先生」、生き方のプロだったわけでしょうか。
この「先生」は、小説の後半で「私」あてに長ーい遺書を送ってくれるのですが、自分の命をかけて若い人に何かを伝えることになるわけだから、「私」には「先生」と呼ぶことができるでしょうか。
それで、最初の前提。人はこの世に生きていく上で、プロにならねばならない、というふうに書き出しましたが、『こころ』の「先生」は何のプロだったかなあ。
この稿では結論は出ないですね。また、いつか書くことにします。
ただ疑問が起きたのをメモしただけです。「先生」は何のプロ? 私に何を伝えた?
『こころ』を読みたくなりました。秋だし、ちょうどいいかな。まだ、早いかな……。