いつも見ているNHK-BSの「こころ旅」という番組では、子どもの頃に遊んだ神社の森とか、川遊びしたところとか、思い出につながる場所に私たちも一緒に連れて行ってもらいます。
そうした目的地の中でも、子どもの時代を過ごした小学校が廃校になってとか、すでに廃校になって石碑があるだけですとか、手紙の送り主の方たちの小い頃の〈思い出の〉学び舎に何度も連れて行ってもらいました。
たぶん、この何十年かはものすごい勢いで学校が統廃合されていて、小学校だけではなく、中学・高校も統廃合が進んでいるように思います。なくなってしまってから、かつてそこに私の青春があったと思い出すことは、本人がいる限りできますけど、そういう人たちもいなくなれば、ただの空地になり、廃校で、今では何にもなっていないところ、みたいなのが日本各地でポコポコ生まれているようです。
「こんなきれいな校舎なのに、使われていないのか、残念だな」と思ったり、「こんな環境で勉強したかった」と、今さら学生に戻れない私は悔しがりますが、あとのまつりでした。もうどうしようもない。学校を継続させるということは、人々の支持と、学校を支えようという地域の力が必要でした。どんなに超進学校であろうとも、それを支える人がいなくなったら、消えていくしかないのです。
いつも、他人事のように見てきた廃校あとというのは、実は未来の私たちの住んでいる国の未来像なのかもしれないな、という気もしてきました。
人口は着実に減っています。やがては一億を切り、何千万という数になっても、政府の方たちは適正な人口になってきたから、この人数に見合った経済発展と産業の充実をとか、言ってるような気がします。あいかわらずコンクリートの建物、新しい道、デザインされた橋、まるで道が経済を支えるのだとでもいうみたいだけど、道を走る人たちが、年寄りやら外国の人たちばかりで、若い人や中堅どころの人たちは、道を走る余裕もなくなってしまってないかなあと心配になります。
若い人や、今の社会の中堅の人たちは、みんな余裕をなくしている気がします。お金を稼ぎ、最大限の楽しみを得ている、自分の欲しいものは手に入れていく、夢を実現するのだそれなりに充実した日々を送っておられるでしょうけど、個々の目的・目標に必死になっている間に、ふとまわりを見わたしてみると、今まで自分が住んでいた環境がとんでもないことになっていたりしないかなあ。当然のことながら、町はものすごく変化しており、地方はあれこれしているように見えて、着実に廃れていると思うんだけど……。
町には路線バスはなくなっていた。商店街というものがかつてあったというの聞いたことがあったけれど、そういうのが生き生きしていたことなんて知らない。儲かるお店・繁盛しているこだわりの店というのは、いくつかあるけれど、それも最近のことで、昔からあるお店なんて、数えるほどしかないし、大規模商業施設は、数十年のサイクルで作ったり壊したりだから、若い頃に利用していたお店は、違う業態になっていたり、更地になっていたりするでしょう。
私たちは、自分の環境を廃墟にするために、認めてもいない建設や工事に、私たちのお金を使って突き進んでいったのでしょう。
そして、そのお金を、私たちが今、充実して暮らすお金に回せていれば、どれだけ変わっていったのか。
公共交通は地域全体で守っていく。学校はできれば作ったり壊したりはしないで、何十年・百年くらい使えるものをずっと使用していく。設備の更新はあってもいいから、古いものを手直ししながら再利用していく。そして、個々の家も、空き家をなくすために他人が利用できるようにしていく。
若い人が、その可能性を本当に出していきたいというのであれば、安価な料金で利用できる奨学金制度など、それはもういろんな人の知恵を集めて、返済しなくていいシステムを広げていく。
学校というシステムも、6・3・3・4という決まりきったものではなくて、12年の中等教育とか、4年・5年の初等教育とか、いろんな形を作り、若い時から専門教育を受けられたり、いろんな形の学校を作って行くとか、もっとアイデアがあってもいいだろうけど、切り捨てられる田舎の学校が生きていける方法も考えないと、それこそ田舎は学校跡ばかりになりそうです。
じり貧の日本に来てみたいという外国の人がいれば、暮らしやすいように法整備を整え、国籍を取得することもできるようにする。
もっともっと、未来に投資する方法はあるはずです。今は、目先の工事ばかり(または軍備ばかり優先されていて、肝心の他国との友好関係はまるで作れていない)で、未来は先細りです。
世界でもこんなに借金のある国なんて、たぶんないのでしょう。未来に借金して今の権力者につながる人たちがいい目を見るなんて、あまりに不公平だし、無責任だと思う。でも、誰もそれには手を付けないし、みんなそんなものだと鈍感になっている。入ってくるお金のはるか上の出費をし続ける国って、どう考えても普通ではないのです。でも、これはもう手を付けられないのかもしれない。
私は、責任も持たないで死んでしまうだろうけど、未来の廃墟は確実にやって来るし、今から生れてくる人たちは、小さなケータイおもちゃですべてができる気になって、ひたすらそれから派生する生活を守るために必死で生きていくことでしょう。そして、どうしてこんなに自分たちの生活が貧しいのか、ある日ふと思うことでしょう。
そして、田舎に行く度に、いろんな廃墟を見つけて、かつてここで楽しく生きていた人たちがいたのかと、田舎で生活してみたい。廃墟に住んでみたいとか、そんな風に思ってくれる人たちがいるのではないか、私はかすかに希望を持っています。田舎は日本を救う未来を持っているはずだ、とか、思っていますが、都会の人から見たら、トンチンカンなこと言ってらあ、となるでしょうね。
私はいろいろ教えてあげたいんだけどなあ。でも、そういうのができる時まで生きていられるのか、そして、ちゃんと私自身が地方の廃墟を活性化できているのか、私の生き方は問われています。
問われたまま、何も答えを出さないで、死んでしまう可能性もありますが、未来の人からうらやましがられるのん気な生活をしてみたいです。今は、ただボンヤリしているだけで、変てこな庭仕事をしているだけです。近所の人たちも、あのオッチャン何してるんやろ? と思ってるかな? いや、誰からも注目されてないか? いや、それなりに変なオッサンだという自負はあるんだけどなあ。