何も焦る必要はないのに、何かに突き動かされるようにして気持ちはフラフラしています。
私のやりたいことは、何なんだろう。
特にやりたいことはなくて、伸びすぎた庭の木を伐りたいのと、散らばっている落ち葉で焚火をしたいのと、散らかっている自分の部屋を片付けたいくらいでしょうか。
ほんとにつまらないことばかりが気になっています。家族のことでいえば、妻に何かプレゼントをしたいのと、もう少し彼女と運動したい。二人とも動かなさすぎ。特に私はひどい。横のものを縦にもしないし、何もかもがそのままで家はドッチラケになっている。
だったら、それらを片付ければいい。昨日は寒かったけれど、今朝はあたたかだから、片付けにはいい日です。ブログが終わったら、すぐに取り掛かればいいのに……。
ちっとも徒然草と関係ないですね。
実は、仁和寺の法師さんたちのことを取り上げようと思うのですが、それを書くには勉強が必要だと思い、取りかかれないでいます。
仁和寺って、皇族の方たちと関係の深いお寺です。ここにいる法師さんたちは、どういうお坊さんなんでしょう。あまり修行に熱心な方たちではないような気がします。それは偏見かな。でも、わりと楽? いや、そんなことはないかな。
延暦寺のように教義を追求するわけではないし、禅宗のお寺のように、哲学的問答で鍛えられるわけでもありません。
それなりにお坊さんたちがいて、1つの社会があったというのはわかります。だから、真面目な人がメインだと思うけれど、ふざける人、少しエッチな人、真面目過ぎる人、話の通じない人、頑固な人、それはもういろいろな人がいたことでしょう。
そこから3つのエピソードを兼好さんは取り上げていますが、お寺のいろんな話を聞くチャンスがあったのか、たまたまそちらの方面に住んでおられたのか。もう少し調べて、できたら今日なんて、奥さんを連れて京都にでも行きたかったんだけど、奥さんはその気がないようでした。
私のイメージの中では、仁和寺に行ったあと、方角が違うけれど、上賀茂神社にも行き、お参りして、名物のすぐきを買って、阿闍梨餅を自分用のお土産に買いと、京都観光空想は広がります。けれども、どれも既視感のあるもので、新鮮味はないなあ。同じことを繰り返しながら、それで満足したい気持ちになっている。
けれども、現実は空想からは遠く、どこにも行かないで家でくすぶっている。
中世のお坊さんのことを考えるため、高校時代に読んだ「宇治拾遺物語」を読もうか、とフトンの中で考えましたが、これも挫折しそうな気がします。
何も進まないから、とりあえず今日1日バタバタしてみます。みなさま、師走、いかがお過ごしですか。