甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

芥川龍之介「龍」のつづき

2016年05月03日 05時55分24秒 | 本と文学と人と
 こうなると話にも尾鰭(おひれ)がついて、やれあすこの稚児(ちご)にも竜が憑(つ)いて歌を詠んだの、やれここの巫女(かんなぎ)にも竜が現れて託宣(たくせん)をしたのと、まるでその猿沢の池の竜が今にもあの水の上へ、首でも出しそうな騒ぎでございます。

 いや、首までは出しも致しますまいが、その中に竜の正体を、目(ま)のあたりにしかと見とどけたと申す男さえ出て参りました。これは毎朝川魚を市へ売りに出します老爺(おやじ)で、その日もまだうす暗いのに猿沢の池へかかりますと、あの采女柳(うねめやなぎ)の枝垂(しだ)れたあたり、建札(たてふだ)のある堤の下に漫々(まんまん)と湛(たた)えた夜明け前の水が、そこだけほんのりとうす明るく見えたそうでございます。



 何分(なにぶん)にも竜の噂がやかましい時分でございますから、『さては竜神の御出ましか。』と、嬉しいともつかず、恐しいともつかず、ただぶるぶる胴震(どうぶる)いをしながら、川魚の荷をそこへ置くなり、ぬき足にそっと忍び寄ると、采女柳につかまって、透(す)かすように、池をうかがいました。

 するとそのほの明るい水の底に、黒金(くろがね)の鎖(くさり)を巻いたような何とも知れない怪しい物が、じっと蟠(わだかま)っておりましたが、たちまち人音(ひとおと)に驚いたのか、ずるりとそのとぐろをほどきますと、見る見る池の面(おもて)に水脈(みお)が立って、怪しい物の姿はどことも知れず消え失せてしまったそうでございます。

 が、これを見ました老爺(おやじ)は、やがて総身に汗をかいて、荷を下した所へ来て見ますと、いつの間にか鯉鮒(こいふな)合わせて二十尾もいた商売物(あきないもの)がなくなっていたそうでございますから、『大方(おおかた……おそらく)劫(こう)を経た獺(かわうそ)にでもだまされたのであろう。』などとわらう者もございました。

 けれども中には『竜王が鎮護(ちんご)あそばすあの池に獺(かわうそ)の棲(す)もうはずもないから、それはきっと竜王が魚鱗(うろくず)の命を御憫(おあわれ)みになって、御自分のいらっしゃる池の中へ御召し寄せなすったのに相違ない。』と申すものも、思いのほか多かったようでございます。


 説話ものをベースに、作り上げた世界とはいえ、芥川さんが上手にその世界を生み出していくなあと感心する描写です。語り口がいいのかなあ。だまされた気分で、次はどうなるのか読んでみようじゃないか、という気分にさせてくれます。

 おじいさんは、龍の目を見たということでした。それをある人は、かわうそじゃないのとひっくり返したり、人というのは、あっちへやったり、こっちへやったりして、面倒な者だなと、私なんかは思ってしまいますが、それをしないことには、人というのが成り立たないのだから、それを丁寧に描いている芥川さんは、若いのに、人の世界を見尽くしたような気分にはなったでしょうね。



 町は大騒ぎで、恵印さん(今回の事件の張本人)の叔母さんもうわさを聞きつけて、甥のところへ龍見物にやってきます。さすがに反響が大きすぎだと恵印さんは思ってしまい、自分のいたずらのせいで、こんなことになったと気が気ではなくなります。

 恵印はまた元の通り世にも心細そうな顔をして、ぼんやり人の海の向うにある猿沢の池を見下しました。が、池はもう温(ぬる)んだらしい底光りのする水の面に、堤をめぐった桜や柳を鮮にじっと映したまま、いつになっても竜などを天上させる気色もございません。殊(こと)にそのまわりの何里四方が、隙き間もなく見物の人数で埋(うず)まってでもいるせいか、今日は池の広さが日頃より一層狭く見えるようで、第一ここに竜が居るというそれがそもそも途方もない嘘のような気が致すのでございます。



 ここに妙な事が起ったと申しますのは、どういうものか、恵印の心にもほんとうに竜が昇りそうな――それも始(はじめ)はどちらかと申すと、昇らない事もなさそうな気がし出した事でございます。恵印は元よりあの高札(こうさつ)を打った当人でございますから、そんなばかげた気のすることはありそうもないものでございますが、目の下で寄せつ返しつしている烏帽子(えぼし)の波を見ておりますと、どうもそんな大変が起りそうな気が致してなりません。



 これは見物の人数の心もちがいつとなく鼻蔵(はなくら 恵印さんのことです)にも乗り移ったのでございましょうか。それともあの建札を建てたばかりに、こんな騒ぎが始まったと思うと、何となく気がとがめるので、知らず知らずほんとうに竜が昇ってくれればいいと念じ出したのでございましょうか。

 その辺の事情はともかくも、あの高札の文句を書いたものは自分だと重々(じゅうじゅう)承知しながら、それでも恵印は次第次第に情けない気もちが薄くなって、自分も叔母の尼と同じように飽かず池の面を眺め始めました。また成程(なるほど)そういう気が起こりでも致しませんでしたら、昇る気づかいのない竜を待って、いかに不承不承(ふしょうぶしよう)とは申すものの、南大門の下に小一日(こいちにち)も立っておる訳には参りますまい。


 ウソから出たマコト、ひょうたんからコマとか、そういうことになるのでしょうか。まさかあり得ないことです。もとは恵印さんのウソなんですから、絶対にあの小さな池から龍は出ないのです。



 けれども猿沢の池は前の通り、漣(さざなみ)も立てずに春の日ざしを照り返しておるばかりでございます。空もやはりほがらかに晴れ渡って、拳(こぶし)ほどの雲の影さえ漂っておる容子はございません。が、見物はあいかわらず、日傘の陰にも、平張(ひらばり)の下にも、あるいはまた桟敷(さじき)の欄干(らんかん)のうしろにも、ぞくぞくと重なり重なって、朝から午(ひる)へ、午から夕(ゆうべ)へ日影が移るのも忘れたように、竜王が姿を現すのを今か今かと待っておりました。



 すると恵印がそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分、まるで線香の煙のような一すじの雲が中空(なかぞら)にたなびいたと思いますと、見る間にそれが大きくなって、今までのどかに晴れていた空が、にわかにうす暗く変りました。

 その途端(とたん)に一陣の風がさっと、猿沢の池に落ちて、鏡のように見えた水の面に無数の波を描きましたが、さすがに覚悟はしていながら慌てまどった見物が、あれよあれよと申す間もなく、天を傾けてまっ白にどっと雨が降り出したではございませんか。

 のみならず神鳴(かみなり)も急にすさまじく鳴りはためいて、絶えず稲妻が梭(おさ)のように飛びちがうのでございます。それが一度鍵の手に群る雲を引っ裂いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲き起こしたようでございましたが、恵印の眼にはその刹那(せつな)、その水煙と雲との間に、金色(こんじき)の爪をひらめかせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧(もうろう)として映りました。



 が、それは瞬(またた)く暇で、あとはただ風雨の中に、池をめぐった桜の花がまっ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます――度を失った見物が右往左往に逃げ惑って、池にも劣らない人波を稲妻の下で打たせた事は、今更別にくだくだしく申し上げるまでもございますまい。

 さてその内に豪雨もやんで、青空が雲間に見え出しますと、恵印は鼻の大きいのも忘れたような顔色で、きょろきょろあたりを見まわしました。一体今見た竜の姿は眼のせいではなかったろうか――そう思うと、自分が高札を打った当人だけに、どうも竜の天上するなどと申す事は、なさそうな気も致して参ります。と申して、見た事は確かに見たのでございますから、考えれば考えるほどますます不審でたまりません。


 恵印さんは龍を見たと思いました。でも、自分でも半信半疑です。だれかに訊いてみないことには、今見たことが本当にあったことなのか、確信が持てないのです。



 そこでかたわらの柱の下に死んだようになってすわっていた叔母の尼を抱き起こしますと、妙にてれた容子も隠しきれないで、
『竜を御覧(ごろう)じられたかな。』と臆病(おくびょう)らしく尋ねました。

 すると叔母は大息をついて、しばらくは口もきけないのか、ただ何度となく恐ろしそうにうなずくばかりでございましたが、やがてまた震え声で、

『見たともの、見たともの、金色(こんじき)の爪ばかり閃(ひらめ)かいた、一面にまっ黒な竜神じゃろが。』と答えるのでございます。

 して見ますと竜を見たのは、何も鼻蔵人(はなくろうど)の得業恵印(とくごうえいん)の眼のせいばかりではなかったのでございましょう。いや、後で世間の評判を聞きますと、その日そこに居合せた老若男女(ろうにゃくなんにょ)は、大抵みな雲の中に黒竜の天へ昇る姿を見たと申す事でございました。

 その後恵印は何かの拍子(ひょうし)に、実はあの建札は自分の悪戯(いたずら)だったと申す事を白状してしまいましたが、恵門を始め仲間の法師は一人もその白状をほんとうとは思わなかったそうでございます。

 これで一体あの建札の悪戯は図星に中(あた)ったのでございましょうか。それとも的(まと)を外れたのでございましょうか。鼻蔵(はなくら)の、鼻蔵人(はなくろうど)の、大鼻の蔵人得業の恵印法師に尋ねましても、恐らくこの返答ばかりは致し兼ねるのに相違ございますまい…………。


 さて、ほんの一瞬のことでしたが、あの猿沢の池から龍は天に上っていったということでございます。

 現在の私たちは、この猿沢の池に龍がいるなんて、そんなことは思いもしませんが、芥川さんの魔術によって、小説の世界では飛び出て参りました。

 そのホンの一瞬がすばらしい。私も、こんな一瞬を描けたらと思ったりしますが、簡単なことではありません。せいぜいあちらこちら歩いて、いろんな人の気持ちになるしかないのでございます。

 という自分に引き寄せて、小さくまとめるクセ、何とかしないと物語は作れません。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。