去年の冬、18キップを久しぶりに買いました。でも、ナゴヤとか、大阪には出なくて、近辺をフラフラする旅しかできなかった。
一番の遠出は、紀伊勝浦の次の駅、湯川駅までの旅でした。
朝早く家を出て、寒かったけれど、南へ行くほど雪は降っていて、伊勢の国と紀伊の国を隔てる荷坂峠を降りていく時もずっと雪景色でした。
雪は尾鷲、熊野市でも積もっていました。こんなことがあったなんて、あまり記憶にないことでした。6年もこちらに住んでいたのに、雪は初めてだったのかもしれない。
いや、記憶から消し去ってしまったんだろうか。
雪まみれの尾鷲駅を出たら、今ならノンストップでクルマは山の中を走るんだけど、電車は昔通りに、海岸線を縫うようにして走ります。
どうしてこんな平地もないところを海岸すれすれに走るのか、そこに線路を通したというのが信じられないけれど、とにかく尾鷲の次の大曽根浦までは平地がわずかばかりあるのに、そこからは断崖絶壁の中をトンネルを通しています。
技術的にそれが可能だったのか、そこまでするのなら、もう少し山の中をぶち抜いて、最短距離にすればいいのに、どういうわけか、丁寧に海岸線沿いを走ります。
トンネルは何度か切れて、一瞬だけ海が見えます。とても高いところを走っていて、もし今ある線路が崩れたら、私たちはもろともに海に転落するし、その海は深くて、広くて険しいし、助けてくれるものはなくて、とても恐ろしい区間であることを知ることができます。
早く、ここを走り抜けて、もう一度普通のところに出たい、でも、海はキレイ!
と、思う間もなく電車はトンネルの中に入り、次はどんな海が見えるの? と期待していると、あと2度くらいチャンスはあるんだけど、最初の時間より短くて、明と暗を繰り返しているうちに入り組んだ湾の入江の駅に着くのでした。
それが九鬼駅だったでしょうか。そこに、注目している古本屋さんがあるんだけど、なかなかそちらに行けない。
今度は、それを目的に電車に乗らないと、簡単にはたどり着けないです。
いくつもの入り江、ほんの少しの平地、海と向き合う暮らし、狭い空間で人々は生きて、そこで生活をしているようです。
昔は、海が唯一の交通手段の時は、たぶん、貴重な港ではあったはずで、今はそれが漁業にしか使われてなくて、もったいない感じです。
そんなこんなを思いながら、熊野市、新宮市、那智勝浦町へと移動していったんですね。
3枚目が、朝の光をほんの少しつかまえてるかな。