甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

殺生岩・遊行柳

2019年07月06日 06時23分14秒 | 芭蕉さんの旅・おくのほそ道ほか

* いよいよ栃木県はここで終わりです!

 これより殺生石(せっしょうせき)に行く。館代(かんだい)より馬にて送らる。この口付(くちつき)のおのこ、「短冊(たんじゃく)得させよ」と乞ふ。やさしき事を望み侍るものかなと、
  野を横に馬牽(ひ)きむけよほとゝぎす

 私たちが滞在していた黒羽(四月十六日)から那須町湯本の殺生石見物に出かけることにします。領主の留守居役より馬で送ってもらうことになりました。

 その時の馬の手綱を取る男が言います。「師匠様、私に句を一つ短冊に書いてくださいませんか」と。

 馬子という仕事でありながら、雅なことを希望しているなあと感心して、

  広い那須野を馬の背に揺すられながら行くと、ホトトギスの鳴き声がしました。馬子さん、あの鳴き声がした方へ、馬を横に引き向けてください。もう一度ホトトギスの鳴き声を聞いてみたいのですよ。

 殺生石(せっしょうせき)は温泉(いでゆ)の出づる山陰(やまかげ)にあり。石の毒気(どくけ)いまだほろびず。蜂・蝶のたぐひ真砂(まさご)の色の見えぬほどかさなり死す。

 謡曲の『殺生石』で知られている殺生石は、温泉の湧き出る山陰にあります。石から発散する毒気はまだなくならず、あたりにはハチやチョウなどが、地面の砂の色が見えなくなるくらいに、重なり合って死んでいるのでした。

 それくらいに有毒ガスが出ているんでしょうか。私どもも、なんとなく腰が引けてしまう感じですけど、知られている名所に来てみました。

 また、清水ながるゝの柳は、芦野(あしの)の里にありて、田の畔(くろ)に残る。この所の郡守(ぐんしゅ)戸部某(こほうなにがし)の、「この柳みせばや」など、折〃にの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日この柳のかげにこそ立ちより侍りつれ。
  田一枚植て立去る柳かな

 また、西行法師が「清水流るる柳かげ」と歌に詠まれた柳は、芦野の里にあって、今も田の畔(あぜ)に残っていました。数百年の時を経て、西行さんに出会えた気分ではありました。

 この地の領主さんは戸部さんというんでしょうか(戸部をこほうと読ませていますが、名字ではなくて、官職を中国名で書いてあるそうです。本当は芦野さんなのだそうですが、わざとそれは出さなかったそうです。何しろ、芭蕉さんの旅の結晶化されたものですから)、

 そういうお方が、「この柳を見せたいものです」と何かにつけて話しておられて、その柳はどこにあるんだろうかと思ったものでしたけど、今日とうとうその柳のかげに入ることができました。

  これが西行法師ゆかりの柳かと、ほんのしばらくのつもりで立ち寄り、感慨にふけっておりましたが、気が付いてみると、早乙女たちは一枚の田を植え終わって立ち去っていくではないですか。知らない間にそれなりの時間が過ぎてしまったようです。私も、この柳のもとを去って、次なる目的地に行かなくてはなりません。過去の旅人たちが歩いてきた道を行こうと思います。

 さあ、いよいよ白河の関へ向かいます!


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