甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

さざえ堂の夕暮れ

2017年01月26日 22時06分09秒 | きたぐにへの旅
 こんなに毎日寒いのに、桜の写真やら、夏の会津若松やらのことを書こうとしています。どういうわけなんでしょうね。逃避行動かも知れません。いやはや、私は何をしているんだかなあ。

 そうでした。今朝、変な夢を見ました。帰宅したら、私の家の中が小さなノアの箱船状態で、たくさんの動物たちのつがいがいました。玄関の所にいた私の所に、ネコだか犬だかのつがいが来て、外へ出してくれというので、それでは出してあげようと出しました。それから、サギみたいなトリの家族がバザバサ玄関に押し寄せて、出せと言うので出して、ネズミみたいな小動物も出してあげた。

 3組くらいは憶えていますが、他の生き物たちは、外には出たがらず、家の中であちらこちら移動していました。私は、網を持ってきて、家の中にいるスズメとツバメを出そうとしたのだけれど、うまくつかまえられなかった。そんなこんなでモタモタしていると、急に目覚まし時計が鳴って、目が覚めて、「あれ、今日は何だか短かったなあ。もう少し夢の続きでも見せて欲しいなあ」と思いつつ、起き出しました。

 だから、今朝はモタモタしながら動いていたような気がします。何だかあわててテキパキ支度するということがありませんね。近ごろはわりとモタモタしている。明日は資源ゴミの日だから、今から準備をしなきゃいけないのに、これまたあまりちゃんと取り組まない気がします。「どうせ、来月は短いから、すぐ資源ゴミの日が来るよ」と言い訳するのが目に見えるようです。



 友人は、会津若松の人です。奥さんと仲良しでした。とてもできる人で、しかもとてもタフな人でした。山でもスキーでも海外でも、ホイホイ行ってしまうし、時間を有効にテキパキして動いていく人でした。

 ネッ、私とは違う人でしょ。私は何もかも後回しで、いい加減で、グダグダするのが専門で、ろくな仕事をしていない。前向きでフィジカルな趣味もないし、時間があったらすぐにだらけています。ああ、大違い。

 その友人の所へ、奥さんを連れずに行きました。しかも朝3時頃に家を出て、会津に着いたのは13時頃でした。すぐに会いに行かないで、喜多方ラーメンを食べてから会いに行きました。何というわがまま!



 私の入ったラーメン屋さんは、とても安くて、チャーシューがこんなに入っているのに500円でした。これも感激だけど、ラーメンの前にナスビの浅漬けを出してくれて、これまた感激したんでした。



 もう観光モード全開です。蔵の町を楽しもうとしていた。でも、友人にも会わなきゃと、意外と遠い会津若松と喜多方を行ったり来たりして、お昼過ぎにやっと会うことができたんでした。

 それですぐに、飯盛山に行こうと誘ってくれて、白虎隊が活躍した飯盛山をみせてもらいました。

 松平容保さんの歌碑やら、慰霊碑やらがあって、そりゃもう、会津の人にとって、時間は一度ここで止まって、ここから新たな時間が今も続いているのだと感じたんでした。そして、今は2011年からの新たな時間軸が生まれているけど、そこからの新たな歴史作りがつづいているんでしょうね。

 それをリフォームされた若松城が見守っている、そんな町でした。



 飯盛山を少し下りたところに、さざえ堂というお堂があって、友人は小さい頃よくここで遊んだ、ということでした。今は観光施設になっていて、拝観料が必要だし、不思議な建物だけど、ここで遊べた子どもたちがいたなんて、うらやましくもありました。



 かくして、友人の旦那さんと舅さんにもご挨拶させていただき、もう何十年か前に妻と夜行列車でこちらまで来たときのことを思い出したものでした。

 夜は、会津若松の、友人のなじみの寿司屋さんに連れてってもらって、奥さんのことを話題にしたり、他の共通のトモダチのことを話したりして、わりとホイホイと時間が過ごせました。それもこれも、すべてこの素敵なお友だちがあれこれと考えてくださったおかげでした。



 このお寿司屋さんの界隈は、あの野口英世先生が若い頃に、自らの道を開いていくときに歩き回ったところだそうで、そういうところで楽しい夜が過ごせて、そりゃもうありがたかったんでした。

 というのを5ヶ月経ってやっと振り返れるなんて、少し遅いけど、まあ、そんなもんですね。書いていて、また東北の旅をしてみたくなりますが、今年は無理なのかなあ。

 さざえ堂で一句考えましたが、これは「おーいお茶」に応募することにしました!


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