甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

順調、順調! 絶好調?

2017年01月27日 22時04分07秒 | わたしたち、家族
 「母のキャラメル」というエッセイ集、文春文庫から出ています。そこに、南條範夫さんの文章を見つけて、
「ああ、そういうことなのかなあ」と思ったので、メモしておいたのを貼り付けてみます。

 生まれてから十年、十五年くらいは、気力も智力も体力もすべて、年々急速に増加していたのだ。六十を超えてからは逆に、そのすべてが衰えてくるのは当然の現象で何の不思議もない。すべてそういうものだと、はっきり認めればよいこと、それをボケたなどと言って、自らおとしめたりがっかりする必要など、全くない。

 顔にシミができ、シワがより、色つやが悪くなり、髪の毛が白くなり、あるいは禿げてくる。人によって多少の差はあっても、こうした、いわゆる老いの現象が現れてきても、それは幼児が少年になり青年になり中年になってゆくのと同じことで、ただそれが逆行過程をたどってゆくだけのことである。慌てても、がっかりしても仕方のないことだろう。

 そんなことは気にしないで、言いたいことを言い、したいことをして、堂々と生きてゆけばいいのだ。


 私は、そこまでは行っていませんが、知らない間にオッチャンからオジイチャンへと進んでいるようです。まわりの皆さんも、そんなこと言わないで、もっと励ましてくれたらいいのに、すぐにジイサン扱いする者だから、自分もその気になって「ドッコイショ」「ヨイショ、ヨイショ」とか言っているうちに、ことばそのものになってきています。恐ろしいことです。

 だから、ことばをおろそかにしてはいけないのです。「……じゃよ」「……でげす」とか、変な言葉遣いをしているうちにそうなってしまうんだから、その気になってことばに乗っかっていると、そうなってしまう。

 ヤンキー言葉の人はヤンキーに、お嬢様言葉の人はお嬢様に、ザーマス言葉の人は高慢な人に、言葉は人間を作っていくのです。バカにしてはいけない。

 だから、自分を言葉で縛るのではなく、言いたいことを言い、使いたい言葉を使い、なりたい自分になればいいのです。知らず知らずのうちに体は時間を刻んでしまうのだから、せめて言葉だけは自分らしいものを使いたい。



 若い時から、毎晩床につくと、今夜はどんな夢をみることかと期待した。時には、こんな夢をみたいと思って、その通りの夢をみることもあったし、全く反対の夢をみて、がっかりしたこともある。いずれにしてもほとんど毎晩夢を見た。昼間でもぼんやりしているといつの間にか白昼夢に引きずり込まれていた。

 今や、そんな空想力の作り出す夢の世界も次第に間遠になり、夢を見ない夜さえある。日常生活が色彩のないものになると、夢までしぼんでしまうものなのか。どうしようもないと諦めながらも、老いの身にはこれが一番淋しく情けない。


 あれっ、私は昨日も変な夢を見ることができたし、今のところ夢はまだ健在のようです。年を取ると、本当にそうなるのかなあ、ああ、こんな時に父とつまらない話ができたらよかったなあ。



「お父さん、最近なにか夢を見たりする?」
「いやー、特に見ることはないかな」
「ホンマー、あんまり夢見いひんの?」
「そうやなー、お母さんはみるかな」
「オカンからも、夢の話って聞いたことないな」
「そうや、見た夢の話を言えたりするのって、大事やよなあ」
「また、お父さんの夢でも見れたらいいなあ」
「別にそんなん見なくていいよ」
「そうかなあ、オカンは、お父さんの夢が見たいって言うてたよ」
「あっ、そう。まあな、どっちでもいいけどな」

 お父さん、つまらない夢の話でも、できたらよかったですね。でも、お父さんは自分の見た夢を必死になって語ることなんか、しなかったもんね。してくれたらよかったのに……。

★ 先輩の方で、ぼけてたり、物忘れが激しかったり、何かをどこかに放置したり、カギを必死になって探したりしていたら、「順調、順調(に老化しているね)」とかけ声をかけてくれました。そうか、それは順調な老化なのか、卑下することも、焦る必要もないのだ、自然なことなのだと思ったんでした。


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