甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ナガシマと養老と「聲の形」

2020年08月01日 13時38分23秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 昨日、中京テレビでやってたのを録画して、つい今までHDで見て、全部見ました! 以前、BSか総合か、NHKでやってる時には無視して、新聞のテレビ欄で松岡茉優ちゃんが出ているというのを見つけて、録画することにしました。

 最後まで見たら、まゆさんはほとんど出てなくて、主人公の小さい頃の声を担当していただけだったそうです。私のミーハー魂もバカにされてますね。まあ、いいや、別の発見もあったし、おもしろいと思って見てたんですから。

 「聲の形」は2016年に公開された映画なんだそうです。もちろん、私はそんなことは知りませんでした。どういう映画かも知らず、それでも最後まで見られたんだから、なかなか大したものでした。

 主人公は男の子、頭がとんがってました。あとで振り返ってみると、心もとんがってたようでした。ガサガサ、ギザギザだったようです。アルバイトでためたお金を女の人の枕元にポンと置いていた。これは、彼女か? よくわからなかった、というのか、女の子像の見分けがつかなくて、それが大変でしたね。

 主人公は、そして、高い橋の上から川に飛び込もうかどうかと見ている。このどこかに落ちていく感じは、あとの物語とも関連するので、それなりに考えられたものだと思われます。でも、主人公たちがあまりに簡単に死を口にするし、ヒロインの女の子は、自宅から飛び降りようとさえする。

 そういう簡単に死を選ぶのは、私なんかからすると、いけないなあと思うんです。でも、今の若い人たちというのは、割と簡単に「死」を口にするし、死に近づけるかと思ったり、危なっかしいことをよくしているみたいです。自傷行為というそうです(ああ、どうして!)。

 死は、簡単に口にするものではないし、死によって何かが解決することもありません。限りない無です。残された者たちにも暗い影を投げかけ続けるものなのに、つい言ってしまい、つい近づこうとする。そこは今の若者の反映でもあるんだろうけど、これくらい人々の支持を集める作品であれば、そのあたりのことも考えてもらいたかったと今さらながら思うのです。



 主人公は、橋から落ちることをせず、小6の春になったみたいでした。

 転校生が現れます。硝子(しょうこ)という名前で、耳が聞こえないようでした。みんなにとけ込もうとするのですが、その一生懸命な姿が気に入らず、主人公は彼女のすべては偽善だから、それを引きはがして、本人の本性を出させようとします。

 けれども、女の子は、決して怒らず、感情もあらわにできず、どんなひどいことをされてもゴメンナサイを伝えるだけでした。会話は筆談ノートしかなく、主人公はあろうことか、彼女の筆談ノートを池みたいなところに投げ捨て、それ以降、女の子は学校に来なくなり、転校したということになっていました。

 主人公は、何も知らないままに彼女の補聴器を投げ捨て、何度も何度も彼女は補聴器を奪われます。冒頭の百何十万というお金は、彼の母親が女の子の親に支払った補聴器の弁償費用で、彼は五年経ってやっとそれを返済したのです。

 五年が経過して、水にぬれた筆談ノートをたまたま持っていた主人公は、五年前の関係を修復できないものかと手話サークルにいる女の子と出会い直しをして、そこから、小6のクラスのメンバーそれぞれも関係修復に動き、すべてがうまくいきそうに見えた高3の夏、ヒロインは自殺未遂をして、助けようとした主人公はケガをする。

 そして、もう一度過去の謝罪をして、気持ちをぶつけあって、新しい関係へと進んでいくという内容でした。

 ちゃんと落ち着くところには来たけれど、私はやはり、若者たちの死生観が頼りなくて、もっと死というものを見つめてもらえたらなあと思いました。

 私は偉そうなことは言えないけど、それなりに小さい頃から、いつも死ぬのは嫌だと思い、自らの死をイメージしたら、泣けてきたりした。そういう少年時代もありました。もちろん、すぐに忘れてつまらないことはするんですけど、死は忌避すべきものとしてちゃんと遠ざけようとしていたし、近づいてはいけないと思ってきました。

 今の若い人たちは、辛いこと、しんどいこと、嫌なこと、いっぱいあると思うし、その思いを人に伝えられていない部分があるのかもしれなくて、いざ追い込まれると、簡単に死というものを持ち出すところがあります。いや、「死」によってすべては帳消しにされると勘違いさせられている。どこからそんなおかしなことが起こったんだろう。大人でさえそんななんだから、子どもならなおさらかもしれない。




 「死」は何の解決にもならなくて、「生」に対して懸命に向き合うことでしか前に進まないのに、でもついつい「死の誘惑」が顔を出す。というのか、それ以外の方法をみんな教わってない気がする。

 どうしたらいいのか。今の世の中、大人たちが、楽しそうに生きてないからかもしれないし、大人たちが若い人にもっと死の怖さ・悲しさを伝えなきゃいけないなと思います。

 私は、大人の部類なので、これからチャンスがあれば、死の怖さ・虚しさを自分の思う範囲で語っていきたいと思いました。それが私の使命の一つなのかもしれません。

★ 長島スパーランド、養老鉄道など、三重県に関するところがいくつか出てきました。どうして出て来るのか、よくわからないままに見ていました。

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