私なんかじゃ、とても実体に迫れないけど、いつか、写真でも、俳句でも、文章でも、「ああ、いい話を聞いた」と、だれかに思ってもらいたくて、下手くそなブログをしています。
どこかに取材に行ったとしても、どこかで腰は引けているし、実体に迫れていないとつくづく思います。二十代の頃、マスコミ志望でいくつか受けたり、マスコミ講座ということで一週間くらい新聞社に出向いたりしましたが、もうそのころから実体に迫れない自分をつくづくと感じました。
ちっとも切り込んでいないし、本質に近づけていなくて、適当に周辺をうろついているばかりです。……と書いて、これはすべてにおいて私のやっていることだという気がしてきました。私は、大事なことをズバッとやらないで、いつもそうなのです。効率は悪く、まわりの人はもどかしいと思っているのだと思われます。
でも、私はあいかわらずです。ちっとも本質には迫りません。もう長年身につけた邪道です。正道ではなくて、横道・細い道・変な道を黙々とイヤだなと思いつつ歩くばかりです。
とにかく、本質に迫れていないという話ですね。
表紙の写真は、成田亨さんという特技監督デザインの方が、武蔵野美術学校に入学した頃の作品だそうで、「顔と手」というストレートな題名の、ストレートな作品です。たぶん福岡で見たはずなんですけど、そんなに印象はありませんでした。図書館から成田亨作品集という本を借りてきて、その冒頭に出ているので、思わず魅入られた作品です。
こうして見ると、吸い込まれる感じです。とても雄弁だし、アンパランスでもあります。目が大きかったり、顔が大きかったり、このギクシャクしたところで、何かを伝えていたりする。何かはわからないけれど、私たちは成田さんを通して、女の子の本質に迫れる気がするのです。
そして、この女の子の絵は、どこかに怪獣たちに通底するものがあって、女の子なんだけど、怪獣的なキャラがあるような気がします。……わかんないことを書いていますね。
先日、名松線の奥のカフェで見つけた小鹿田(おんた)焼のコーヒーカップの画像を借りてきました。コーヒーをグビッと飲んで、シフォンケーキもパクッと食べてしまい、暇を持てあましていました。それでつい、どこかで見たことのある、名前の思い出せない器をとっかえひっかえ見ていました。
すると、店主の旦那さんが、「おんた焼きです」と教えてくださいました。すかさず奥様が「生活雑器として焼かれているものです」と説明してくださいました。
そうなのか、おんた焼なんて、聞いたらああそうか、とわかる気がするけど、そちらに行ったこともないし、買おうと思ったこともなかった。私たちは、信楽と伊賀焼きで満足していて、よそのうつわというものに目を向けたことがなかったんです。ものすごくドメスティックになっていたみたい。そして、名前を聞いても、ポカンとしているだけで、そこから何も始まりませんでした。
うちの妻は、そこからあれこれ質問し、マスターご夫婦のとの会話を楽しんだみたいなのに、私は、いつものボケ作でした。この年で人見知りというわけにもいかないし、話す勇気がなかったんでしょうね。
ああ、イヤになってしまうけれど、それが私というキャラです。とうとう本質に近づけないまま、ポカンとしているだけなのかなあ。
そんなにシンミリするなよ! 私は全く見たことのない、成田さんがつくったヒューマンというキャラに少しだけ励まされています。こうして2人に指さしてもらうと、「そうか、まあ、少しだけ頑張ろう」という気にもなりますね。
どこかに取材に行ったとしても、どこかで腰は引けているし、実体に迫れていないとつくづく思います。二十代の頃、マスコミ志望でいくつか受けたり、マスコミ講座ということで一週間くらい新聞社に出向いたりしましたが、もうそのころから実体に迫れない自分をつくづくと感じました。
ちっとも切り込んでいないし、本質に近づけていなくて、適当に周辺をうろついているばかりです。……と書いて、これはすべてにおいて私のやっていることだという気がしてきました。私は、大事なことをズバッとやらないで、いつもそうなのです。効率は悪く、まわりの人はもどかしいと思っているのだと思われます。
でも、私はあいかわらずです。ちっとも本質には迫りません。もう長年身につけた邪道です。正道ではなくて、横道・細い道・変な道を黙々とイヤだなと思いつつ歩くばかりです。
とにかく、本質に迫れていないという話ですね。
表紙の写真は、成田亨さんという特技監督デザインの方が、武蔵野美術学校に入学した頃の作品だそうで、「顔と手」というストレートな題名の、ストレートな作品です。たぶん福岡で見たはずなんですけど、そんなに印象はありませんでした。図書館から成田亨作品集という本を借りてきて、その冒頭に出ているので、思わず魅入られた作品です。
こうして見ると、吸い込まれる感じです。とても雄弁だし、アンパランスでもあります。目が大きかったり、顔が大きかったり、このギクシャクしたところで、何かを伝えていたりする。何かはわからないけれど、私たちは成田さんを通して、女の子の本質に迫れる気がするのです。
そして、この女の子の絵は、どこかに怪獣たちに通底するものがあって、女の子なんだけど、怪獣的なキャラがあるような気がします。……わかんないことを書いていますね。
先日、名松線の奥のカフェで見つけた小鹿田(おんた)焼のコーヒーカップの画像を借りてきました。コーヒーをグビッと飲んで、シフォンケーキもパクッと食べてしまい、暇を持てあましていました。それでつい、どこかで見たことのある、名前の思い出せない器をとっかえひっかえ見ていました。
すると、店主の旦那さんが、「おんた焼きです」と教えてくださいました。すかさず奥様が「生活雑器として焼かれているものです」と説明してくださいました。
そうなのか、おんた焼なんて、聞いたらああそうか、とわかる気がするけど、そちらに行ったこともないし、買おうと思ったこともなかった。私たちは、信楽と伊賀焼きで満足していて、よそのうつわというものに目を向けたことがなかったんです。ものすごくドメスティックになっていたみたい。そして、名前を聞いても、ポカンとしているだけで、そこから何も始まりませんでした。
うちの妻は、そこからあれこれ質問し、マスターご夫婦のとの会話を楽しんだみたいなのに、私は、いつものボケ作でした。この年で人見知りというわけにもいかないし、話す勇気がなかったんでしょうね。
ああ、イヤになってしまうけれど、それが私というキャラです。とうとう本質に近づけないまま、ポカンとしているだけなのかなあ。
そんなにシンミリするなよ! 私は全く見たことのない、成田さんがつくったヒューマンというキャラに少しだけ励まされています。こうして2人に指さしてもらうと、「そうか、まあ、少しだけ頑張ろう」という気にもなりますね。