本文を読んでみましょう! 蕪村さん自身も、ここにたどりつくまでに長い歳月を要しています。ものすごく長い時間を経て、改めて故郷というのを振り返ろうとしています。普段は京都に住んでおられて、わざわざ大坂に行くのは、誰か知り合いを訪ねるとか、用事がないと行かないのです。
京都と大坂、舟だと下りは一晩で、上りは12時間くらいかかったそうです。歩いたら、速い人なら一日だったのかなあ。近くて遠い故郷でした。
さあ、どんな世界が広がっているんでしょう。
春 風 馬 堤 曲 十八首
〇やぶ入(いり)や浪花(なにわ)を出(いで)て長柄川(ながらがわ)
「やぶ入り」とは、正月十六日、奉公人が主家からヒマをもらって帰省することなんだそうです。
蕪村さんは、老境に入り、故郷に入ろうとしていました。本人がいくら懐旧の情を述べても、あまりにもリアルだし、いろいろと複雑な気持ちをはき出さなくてはならないから、そういうことはしたくない。
だったら、誰か違う人、帰省する女の人の気持ちになって、故郷というものを振り返ろうとした。少しフィクションというのか、普遍化が入っています。個人的な感情をいくら述べても、誰も聞いてはくれない。ドラマ仕立ての方が、作者としてもスイスイ書けてしまうし、聞く方もスンナリ入ってしまう。
そこが人の心の難しいところです。いくら真情を正直に述べても、人には伝わらないようにできているんだろうなあ。人って、つくづく共感できないようになっているみたいです。何だか悔しいなあ。とにかく物語仕立てです。
「浪花を出て」とは、大坂の街中から毛馬(市外・郊外の土地だったんでしょうね)に行くには、北長柄に出て長柄川(淀川の支流中津川)を船で渡り、それから五六町、毛馬堤を北上しなければなりませんでした。
やぶ入りになりました。故郷に帰るには、長柄川を渡って行くのです。街中を過ぎて、目の前の川を渡ると、しばらくは単調な川沿い歩きが始まります。
〇春風や堤(つつみ)長うして家遠し
春風が吹いています。毛馬村の長柄堤(ながらづつみ)はずっと延々と続いています。ふるさとを求めて歩いているけれど、いつまで経ってもたどりつけません。
足取りは、ちっとも軽くならないし、はるかに遠い。どうして、故郷への道というのは、もどかしいものなんだろう。簡単に着けたらいいのに、道中を楽しめなくて、カリカリしながら進まなくてはならないのでした。
〇堤ヨリ下テ摘芳草 荊與蕀塞路
堤より下りて芳草を摘めば
荊(けい)と蕀(きょく)と路を塞(ふさ)ぐ
長い堤防の下に降りてみました。ただの川原なので、公園として整備されているわけでもないから、草は伸び放題です。いろんな野草が道を塞いでいます。ただ、見つけた草を摘み取ろうとしただけなのに、トゲのある草にたくさんひっかけられました。
荊蕀何妬情 裂裙且傷股
荊蕀(けいきょく)何ぞ妬情(とじょう)なる
裙(くん)を裂き且(か)つ股(こ)を傷つく
野草の荊(いばら)というのは、ねたましいもので、容赦なく私たちに襲いかかるのです。その結果として、服のすそは引き裂かれてしまいますし、ふくらはぎまで傷ついてしまいます。
〇溪流石點々 踏石撮香芹
溪流(けいりゅう)石點々(いしてんてん)
石を踏んで香芹(こうきん)を撮る
川の流れにたどり着くと大小の石があちらこちらに散らばっていました。それらの石を踏んでかんばしいセリを取ろうとしてみました。
多謝水上石 敎儂不沾裙
多謝す水上の石
儂(われ)をして裙(くん)を沾(ぬら)さざらしむるを
これらの石に感謝したいと思います。なぜかというと、私の服の裾がおかげさまで濡れなくてすんだのですから。
さあ、水際に出てみましたよ。次は何が起こるんだろう。これ、六十のオッチャンじゃないんですよ。うらわかき女性が川べりまで出て、水の流れにふれているのです。
だったら、スンナリ聞けるんだから、不思議だな。オッチャンは損をしている。うら若き女性はそれだけで得をしている。まあ、仕方ないか。オッチャンでも、おもしろがってもらうためには、チャーミングなオッチャンにならなくちゃ! 火野正平さんくらいじゃないかな。タモリさんは、まあ、チャーミングかな。たけしさんは無理ですね。所さんはOK。他にはいないね。