いよいよ最後の五行です。三年間故郷に帰ることができなかった彼女は、いつおうちにたどり着けるんでしょう。
ネコも聞きました。柳もながめました。自分は接ぎ木の梅で、本来のカタチではないような気がしながら、それでも、じっと耐えて、故郷に帰れる日を夢見てきました。あともう少しでおうちにたどり着けそうです。
一緒に歩いてる蕪村さんは、彼女のもどかしい気持ちをほぐしながら、歩いている気分なんでしょうか。それとも、それはもう彼女を飛び越えて、自分自身の「故郷を喪失した者」としての声になっているのかな。
〇嬌首(きょうしゅ)はじめて見る故園(こえん)の家(いえ)黄昏(こうこん)
頭をもたげて、故郷を離れてから初めてわが家を眺めることができた。たそがれになっていた。何も変わらないように見えた。いつもの夕暮れみたいだ。私が故郷を離れてきた歳月はどうなっているのか。たぶん、それはどうしょうもない、紛れもない事実なんだけど、でも、目の前にある家は、何も変わっていないようにも見える。
戸に倚(よ)る白髮(はくはつ)の人弟を抱き我を
待(まつ)春又春(はるまたはる)
待(まつ)春又春(はるまたはる)
玄関の扉にもたれて、立っている母を見つけた。弟をかかえながら、今日こそは今日こそはと、この春の日々、わたしを待ってくださったのであろう。
お母さんはまだ若いのに、髪は白髪まじりになっていた。「はるまたはる」三年の年季奉公だったのか、約束したやぶ入りのころの帰省であったのか、ずっと待っておられたようでした。
〇君不見(きみみずや)古人(こじん)太祇(たいぎ)が句
亡くなった詩人で、炭大祇という人がいました。その人の俳句をご存じですか。その作品を取り上げてみます。もちろん、蕪村さんの友だちです。でも、若い女性は知らないかもしれない。
藪入(やぶいり)の寢(ぬ)るやひとりの親の側(そば)
やぶ入りで久しぶりに帰省した若者が、たったひとりの母親のそばでやすらかに寝ている。
そんな句があったのですね。とうとう故郷に帰ってきました! 言葉はなにもありません。ただ、一緒にいたいだけ。そばにいられるだけで幸せだった!
そして、幸せだったら、昔そうだったように、親のそばで、一緒に寝るのです。明日になったら、出ていかなくてはならないかもしれないけど、とりあえず、一緒にいて、同じ時間を過ごすのです。もう、言葉はいらない!
ずっと歩き続けて、ずっと遠回りをして、探すものを追いかけて、やっとたどり着けた。それはもう、言葉なんかいらない空間だった。昔、そうだったように、子どもとして寝るだけです。それでいいのです。
私たちは、どれだけ子どもになれるかですね。もうとことん子どもになってやれ!
そんなことは許されないとはわかっているから、だからこそ、せめて一晩寝るだけでもいいから、その時だけは子どもに戻ってしまいなさい、そういう蕪村さんの優しい誘惑で終わっています(私は、どれだけ親の前で子どもになってますか? もちろん、私はマザコン息子ですから、子どもになってるのかな。なりすぎかもしれない!)。