甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

幽玄の世界、熊野みちの郷社

2021年04月23日 22時11分32秒 | 三重・熊野さんぽ

 先月、仕事の帰りにたまたま寄った駅近く、電車が来るまでしばらく、行ったこともない神社にお参りしてみようと思いました。

 道に面した鳥居のそばには、「郷社・川添神社」という碑が立っていました。

 社務所の方に会釈して、「今からでもお参りしていいですか?」と訊ねてみました。そしたら、「どうぞ、お参りください」ということだったので、少し進んでみたら、なんと、お社は川を隔てた向こうの丘にあるのが見えました。

 お山の上まで上らねばならないお社というのはよくあります。ここは、そんなに高い山もないし、すぐそこに社殿があるだろうとみていたのに、一度坂を下りて、橋を渡り、ふたたび坂を上って拝ませていただくという形になっていました。

 鳥居をくぐったら、こんなにすごい奥行きのお社があるのも知らなかったけれど、その神社の社格がはっきり「郷社」という形にさせられていました。

 たくさんの人がお参りし、町の中心になっているお社がどんどん格が上がるというのは分かります。人々がそれだけ支持しているから、お金は集まるし、敷地も広くなるし、社殿も立派になる。そして、ランキングが高くなっていく。そういうシステムであれば、都会の有名なところは格式が高くなります。

 でも、私はそんなところにいつも行けるわけではないし、有名な伊勢神宮にも二年くらいはお参りしてないと思います。

 そういう上位のお社はそれでいいとして、何でもない、下位のお社でも、地域の人々から信仰され、支えられているのであれば、もうそれでいいし、そういう地域にあるお社こそ、私たちの原点だし、たいていそういうところは、自然との関連もあって、きれいな水が流れてたり、大きな木があったり、不思議な岩があったり、私たちの祖先が愛してきた自然がありました。

 地域の宝こそが、私たちの自然崇拝の一番の根っこにある部分であり、それを守り続けることが、私たちの暮らしを守ることにもつながっていたはずでした。

 それをすべて一つのところで統合・管理・運営していこうなんて、中央集権的な考え方を当てはめようとしたのは間違いだと思います。


 伊勢神宮から熊野三山へとつづく道は、昔はとても厳しい道だったでしょうし、どうしてわざわざ熊野へ行くのか、自問自答し、意義が見つからなくなる旅人もいたことでしょう。

 でも、街道沿いにポツリポツリとある神様たちは、「まあ、そう落ち込まないで、とりあえず熊野の向こうまで行ってみなさい」と、やさしく見守ってくださったことでしょう。そういうお社を地域の人々はしっかり守り、信じてきたと思うのです。

 私は、人々の信仰の旅の原点がここにあったと思うのです。そこにはランキングは必要ありません。信じたいものを信じ、有り難いものを喜べばいいのです。

 

 それほどに、ありがたい気持ちを起こさせてくれるお社に、たまたま鉄道写真を気取ってるときに見つけました。

 ああ、人生って、どこに出会いがあるのか、本当にわかりません。その出会いを大事にしながら、ポツポツと生きていくしかないかな。

 久しぶりの金曜の夜です。例によって酔っぱらっていて、用意した原稿はパスして、昨日の続きを書きました。明日晴れるかなあ。少しは歩かなきゃね。

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