甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

社格なんて知らない。ただお祈りしたいだけ!

2021年04月22日 21時47分24秒 | 草にうずもれて

 「無格社」というのがあったそうです。明治の末期の頃だそうです。

 明治時代は、国家によって神道が組織され、拡大させられた時代なのだと思っています。明治の最初の頃はそうでもなかっただろうけど、少しずつ教育によって国民全体を統合させようと考えた人がいたんですね。

 日本に住む人々は、長い時間をかけて自然の中のいろんなものに祈りを捧げてきました。けれども、江戸時代は人々をお寺(仏教)によって管理し、ある意味宗教を限定していきました。人々は近所のお社に祭礼の度にお参りし、葬式はお寺で行い、村に伝わる仏様や観音様、お地蔵様も鎮守の森も拝んできました。

 小さなお社は、地元の人たちのものであり、よその人たちがわざわざ拝むものではありませんでした。そんなに人の移動がなかったというのか、これもやはり限られた人しか旅はできなかったでしょう。お仕事か、流通か、芸能か、ふつうの人々はどれくらい旅をしたんでしょう。旅は特権的なものか、ものすごく貧乏なものか、どちらかだったでしょうね。

 だから、明治時代になって、「神道」による国民統合を企画した政府の偉い人たちは、小さなお社・鎮守の森などを整理・統合しようとした。あまり経済的ではないという判断でもあったんでしょうか。それとも、小さなお社は国家を運営していく上で宗教的には使えないとでも判断したのでしょうか。

 昔も今も、地域は無理矢理拡大させられています。広い地域が行政の区画にさせられて、その頂点に立つ人は、大きな権力を持ち、ムダを省く、コストを下げるとかなんとか、結局は偉そうな人が生まれて、人々は大まかにまとめられて、個々は自分で生きていくしかならなくなりました。

 小さなコミュニティで、お互いを助け合う空間なんていらない。それは不経済であり、先が見えているし、巨大な都市に住み、田舎は行政サービスのない不便なところであり、田舎はどんどん切り捨てて、都市部に住みなさい、というご指導付きの政策です。

 小さな集落ごとにまとまってもらっては困る、地域のコミュニティよりも、国家の下での大号令こそ末端まで行き届くものにしたかった。そういう頭の上で考えた宗教政策は、小さなものをつぶしていくことでした。

 かつて村ごとにお社はあったと思います。お寺もあったでしょう。日本のいたるところに集落とお社とお寺があった。それらをランク付けすることと、小さな集落をどんどん統廃合していくこと。「神道」においてもピラミッド組織を作ること、それらを第一と考えた。神社の頂点は「伊勢神宮」であり、そこに関連する人々は皇室の方々ということにしました。明治は、お寺の抹殺も企画され、それに載せられた人々もいたようです。私たちって、そういうそそっかしいところがメチャクチャあるのです。



 奈良や平安の頃なら、皇室の方々は伊勢神宮とつながりを持とうとはしていたようです。国家のつながりみたいなものを意識したのでしょう。皇室のお嬢さんをわざわざ単身赴任させて、伊勢神宮に近い町(明和町というのがあります!)で、斎宮(さいくう)というお役所にずっと住み続けることをさせられていました。季節ごとのおまつりやら、皇室の代表として神宮にお参りしたり、天皇の代わりにアマテラスさまにお仕えしていたのかな。

 けれども、鎌倉・室町・戦国・安土桃山と時代が変わるうちに、斎宮のシステムはすたれて、すべては土の中に埋もれていきました。発掘されたのはごく最近のことだと思われますが、少しずつ復元作業はなされているようですが、一番大事な建物の跡は近鉄のレールとホームがあって、発掘もできないようになっているということでした。

 規模の小さな無格社の多くは、明治末期の神社合祀で廃社とされ、たくさんの小さなお社はなくなりました。これとよく似た動き、お城でもありました。地域の武装拠点になりかねないお城はすべて廃止する。国家として国を管理する上で、そんなものは重要文化財であろうがなかろうが、どんどん壊さねばなりませんでした。明治政府は、武装勢力がお城にこもるイメージを持っていたんですね。それが怖かったし、いつ自分たちの権力が転覆させられるのか、不安はあったでしようか。

 お城もない、お寺は神社と分離され、古いお寺も取り壊しが続く。お寺は幕府を支えるシステムに組み込まれていたから、先ず古いものを壊して、政府の末端である役場のシステムの充実を図った。官僚制度を築き、地方を役人で管理することにした。

 諸社(民社、人々のためのお社。その反対が国家のためのお社であり、護国神社などはそれに当たるんでしょうか?)は、府社=県社=藩社>郷社>村社の順になっているそうです。こんなランキングなんですね。

 こういうのを見てると、昔も今も、政府のやることは同じで、教育でも、行政でも、宗教でも、自衛のための戦力であっても、すべてがシステム化するのが好きな人たちによって、管理され、ランキング化され、統合させられている。そこに祈る気持ちはなくて、ただの管理上の問題だけになっている気がします。

 それがうまく回っている時はいいんだけど、昔から作り上げられたシステムにふんぞり返る人たちが多くて、みんながそこに儲け口があるからと集まり、自分たちのいいように回そうとするから、当然不公平は生まれるし、不満はそれなりにあるのに、今も巧みな世論操作・懐柔によって、停滞しながらもすべては回っているようです。

 もちろん、個々の意志なんか尊重されず、ご都合だけで回っているみたいです。まあそれは、どこでも同じで、アジア的な国は偉い方になれば、好き放題ができるようです。



 私は、この社会の中で、せめて自分のまわりだけでも、自然なものだけを取り上げ、それを信じ、心通じる人たちと穏やかに生きていきたいです。

 経済も大事だけれど、若い人はそれが一番大事なんだけど、いつかはそれだけでは生きていけなくなる。そうならないために、年食った連中が、若い人々からうらやましがられるコミュニティを作り、そこに参加したいと言わしめたいのだけれど、できてないのです。

 ああ、若い人からうらやましがられる関係、作れたらねえ。私みたいなひねこびた人間が言うのも何ですが……。


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1 コメント

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宗教政策 (FUSA)
2021-04-22 22:06:47
私も最近、明治政府の宗教政策や文化政策などに対する疑問がどんどん膨らんでいます。
渡辺京二さんが著書「逝きし世の面影」の中で言われる「ひとりひとりの小さきものの幸・不幸など問題ではなかった。」という言葉が実感として沁みます。
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