新宮の町に行かせてもらったのは、もう去年の終わりごろでした。
懐かしい温泉に入ったり、昔よく買い物に行った商店街を歩いたり、うちの子が七五三みたいなのをさせてもらった速玉大社をお参りしたり、とにかく、自分の歩いたところ、何十年前に歩いたかもしれない飲み屋街、そういうところをやみくも歩きしました。
実は、そんなことができたのも、駅からまず神倉神社にお参りして、その後に適当に歩かせてもらおうという気持ちでいたので、その通りにさせてもらったんでした。ということは、神様のご加護により歩けたというべきなのかな。そういうことかもしれません。感謝しなくちゃ!
神倉神社は、山のてっぺんに大きな大きな石がドカッと載っていて、まさか落ちないの? とは思うんですが、全く落ちる気配もないし、のっかってる石というよりも、山全体がすべて一つの石で、たまたま落ちそうに見えるけれど、下につながっているのではないの? と思われるような、不思議な石です。
そんな石なので、ご神体になっています。
這うようにして登った参道は、簡単なものではありませんでした。
途中で引き返して来たという人たちが何人もいました。標高は何百メートルというのではないと思うんですが、とにかく急登で、いっぺんに重力が来るので、もういいやとなってしまう、そんな参道ではありました。
表紙の写真の、右上が岩のシルエットなんですけど、どういう形なのか、イマイチよくわからないですけど、これが私の礼儀というのか、神様にカメラを向けてるのが申し訳なくて、せめて逆光で、陰だけを撮らせてもらおう、というんですが、まあ、失礼であるのは確かです。
お祈りする親子もいたんですけど、そんなのも見えなくて、何となく有り難い感じに見えないかな。
これまた畏れ多い写真なんですけど、岩のすぐそばから新宮の町がとてもきれいに見えて、あまりの美しさについつい写真も撮らせてもらいました。
失礼なことばかりしました。
でも、ちゃんと敬う気持ちはあったんです。でも、結局はやってしまった。何だか罪深いことです。
いっそのこと、そこで写生する? いや、それも畏れ多いし、どうしたらいいんだろう。
とにかく、きれいだったんです。
何年か前、私はすべて白い装束で神の子として、ここの境内で火の粉を浴びながら、炎の一群にならせてもらいました。火がつくまではとても寒くて、早く何とかしてくれ、とかなんとか思ってたのに、全山で松明に火がともされたら、それはもうものすごい炎と熱気で、火照るようだったのを憶えています。
自分も炎の中で燃やされてしまうんじゃないの、という怖さもありました。
やがて、門は開かれ、神の子たちはふもとの町へ駆け抜けて行ったり、しずしずと歩いて行ったりしたんですが、あの時は一瞬だけ神の子でした。
それから二十数年が経過して、今は神をも恐れぬ(実はとても畏れてはいます)オッサンになってしまいました。
少しずつ、神様への気持ちを大事にしていきたいと思います。