昨夜(28・金曜の夜)、まさか寝落ちしないだろうと思って、横になったら、そのまま寝てしまいました。
気づいたら、24:30で、翌日になっていました。ああ、そんなものかぁ。いや、半分は朝までグッスリ眠りたいという希望もあったんだと思われます。
でも、私がそんなに簡単に朝まで寝続けるなんて、できるわけがなかった。二度寝にチャレンジしましたが、一時間悶々として、仕方がないので、眠れないんだったら、起きてしまえ! とパソコンを開きました。
そんなだから、また眠れなくなるんです。徒然草の抜き書きしたら、本読んで寝ることにします!
157段は割と長い文章ですけど、その冒頭に「そうなんだよな。なのに、私たちって、いけない方に転がってしまうんだよなあ」と思う三つの文がありました。
筆をとれば物書かれ、楽器をとれば音(ね)をたてんと思ふ。
筆をとれば物書かれ、楽器をとれば音(ね)をたてんと思ふ。
筆を手にとると、自然に物が書かれ、楽器を手にとると、自然に音を立てようと思いますね。
ハイ、その通り! 何も指の動かない私でも、ピアノをみたら、何だかそこからジャズピアニストになれそうな気がするけど、残念ながら、私にメロディを生み出す力はなくて(素養はもちろん、センスも何もかもありません)、弾きたいけど、何も生まれないんだよな、でも、憧れるんだよな、という気持ちになります。
盃(さかずき)をとれば酒を思ひ、賽(さい)をとれば「だ(てへんに難という字)」打たんことを思ふ。
杯を手にとると、酒を飲もうと思い、さいころを手にとると、かけ事をしようと思う、ということもありますね。
ハイ、サイコロは、何にも思わなくて、それでかけ事ができるなんて、そういう世の中があったというのは、少しだけ羨ましいです。
今の世の中は、かけ事のような、ギャンブル人生を送る人はいますけど、みんなが当たり前に、あれやこれやとサイコロに運命をゆだねるなんて、そういうガチャガチャした人のつながりみたいなのが、昔はあったのかなと思いました。
もう、そんなことする人はいないみたい。いるかもしれないけど、私のまわりにはいません。友だちには、毎週ガッチリ儲けている人はいるけど、私はギャンブルとは縁がありませんでした。
父だって、毎日、ひまを見つけてはパチンコに出かけてた、そんなこともあった気がしますけど、私は必ず負けるので、イラチな私は、関係がありません。宝くじもやめてしまいました。
心は必ずことに触れて来(きた)る。かりにも不善の戯(たわぶ)れをなすべからず。
心は必ず物事に触発されて起こってくる。かりそめにも、よからぬ遊びをしてはならないのです。
そう来たか、という感じです。
心は、単独で自発的に、クリエイティブに動くわけではなかった。心は、いつも何かに引きずられて、どうでもいい刺激であろうとも、つまらない言葉でも、誰かとの出会いとか、些細なきっかけで、まさか、そんなことが心に引っかかってたのか、ということが自分を突き動かしていた、なんていうことが起こります。
だから、心にはなるべくいい刺激を与えなさい! 変なものだと思うなら、近づけないようにする、それが基本でしたか。
わかっているんだけど、時々失敗しますね。アタマはすぐにパーになるし、限界はすぐに来るんだから、無理しないで、できる範囲のことをしなくちゃ。そして、なるべくいいもののそばにいたいです。