鈴鹿峠を越えて、国道1号線を京都方面に走っていきます。昔は有料道路であった水口グリーンロードを少し走ると国道307になるようです。彦根につながっている。
そこまで行くことはなかなかなくて、たいていは途中で近江八幡へ抜けたり、日野町や八日市市(今の東近江市)でフラフラします。たまにはヒトミワイナリーに出かけたり、道の駅・愛東でブドウ買ったりする。
湖東三山だって行くことはなかったのです。今回初めて1人で出かけました。そういう時には、わけのわからないことをしなくちゃならず、探検の殿堂・西堀栄三郎記念館を訪ねることにしました。
外観はなかなかいいじゃないですか。でも、たぶん中は冷暖房がイマイチだったり、老朽化していたり、人々の集まるところがなかったりする場合が多く、ここも少しだけそういう気配はありました。
昔は、施設が最新鋭のときには、南極体験ということでマイナス25度とかを体感する設備があったようです。でも今はそれも壊れてしまって、そういうコーナーがあったのだなというなごりだけがありました。
そもそも西堀栄三郎さんとは、どんな方なんでしょう。南極の探検家だそうで、越冬隊の隊長もされたということです。京都大学から世界を探検する道に進んで行かれたそうで、晩年は原子力の推進のお仕事をされたみたいでした。
西堀さんの顕彰コーナーが少しあって、2階は世界の探検家たちの足跡を振り返る展示があるようでした。でも、今回は滋賀県にゆかりのある人たちの作品が展示されていて、探検家の展示はどこかにしまわれたようでした。
大きな地球だけはしまうことができないので、真ん中にドーンとありました。
屋根の下はこんなふうに丸く大きく切り取られています。どこかに明かり窓があるともう少し明るいかもしれない。展示施設なんだから、太陽はいらないけれど、それもあってもいいかもと思いました。どこかに小さく明かり窓を開けるとかできないのかなあ。
でも、自然光が入ると、このような照明がだいなしになるし、バランスはむずかしいです。
そもそも小さな町が、町出身の探検家の記念館をつくろうだなんて、なかなか頑張っているなあと思うのです。でも、人はすぐ町の遺産も捨て去るものだし、記憶はどんどん廃れていくし、維持することができない。
だから、宗旨替えをして、作品ギャラリーに変わったり、いろいろな模索が続きます。
お金は、初期投資だけで、維持費はそこそこにやるというのが普通のパターンですから、職員もうまくまかなえないでしょう。
入り口にぬいぐるみが2つ。タロとジロとあります。
ブロンズもたぶんこれでした。越冬隊について行った犬たちのようです。
犬たちも、西堀さんも遠く、南極探検も昔ほど取り上げられない。本当はもっと語ってもらって、そこでのお話があれこれと広まればいいのに、今の若い人は、そんなことよりももっと刺激的なものを画面では見ているんでしようね。
いやむしろ、そういうものでしか世界というものを見られないのかもしれない。だから、世界は画面の中にあるものであって、自分がそこに行ってみる対象ではなくなっているかもしれない。
えらそうなことは言えません。私だってテレビで世界を見てきたような気になっている。
私たちは耳年増・目年増になっている。こんなんじゃいけません。もっともっと外に出歩かなければ! そう、渡り鳥たちのようにね。
そこまで行くことはなかなかなくて、たいていは途中で近江八幡へ抜けたり、日野町や八日市市(今の東近江市)でフラフラします。たまにはヒトミワイナリーに出かけたり、道の駅・愛東でブドウ買ったりする。
湖東三山だって行くことはなかったのです。今回初めて1人で出かけました。そういう時には、わけのわからないことをしなくちゃならず、探検の殿堂・西堀栄三郎記念館を訪ねることにしました。
外観はなかなかいいじゃないですか。でも、たぶん中は冷暖房がイマイチだったり、老朽化していたり、人々の集まるところがなかったりする場合が多く、ここも少しだけそういう気配はありました。
昔は、施設が最新鋭のときには、南極体験ということでマイナス25度とかを体感する設備があったようです。でも今はそれも壊れてしまって、そういうコーナーがあったのだなというなごりだけがありました。
そもそも西堀栄三郎さんとは、どんな方なんでしょう。南極の探検家だそうで、越冬隊の隊長もされたということです。京都大学から世界を探検する道に進んで行かれたそうで、晩年は原子力の推進のお仕事をされたみたいでした。
西堀さんの顕彰コーナーが少しあって、2階は世界の探検家たちの足跡を振り返る展示があるようでした。でも、今回は滋賀県にゆかりのある人たちの作品が展示されていて、探検家の展示はどこかにしまわれたようでした。
大きな地球だけはしまうことができないので、真ん中にドーンとありました。
屋根の下はこんなふうに丸く大きく切り取られています。どこかに明かり窓があるともう少し明るいかもしれない。展示施設なんだから、太陽はいらないけれど、それもあってもいいかもと思いました。どこかに小さく明かり窓を開けるとかできないのかなあ。
でも、自然光が入ると、このような照明がだいなしになるし、バランスはむずかしいです。
そもそも小さな町が、町出身の探検家の記念館をつくろうだなんて、なかなか頑張っているなあと思うのです。でも、人はすぐ町の遺産も捨て去るものだし、記憶はどんどん廃れていくし、維持することができない。
だから、宗旨替えをして、作品ギャラリーに変わったり、いろいろな模索が続きます。
お金は、初期投資だけで、維持費はそこそこにやるというのが普通のパターンですから、職員もうまくまかなえないでしょう。
入り口にぬいぐるみが2つ。タロとジロとあります。
ブロンズもたぶんこれでした。越冬隊について行った犬たちのようです。
犬たちも、西堀さんも遠く、南極探検も昔ほど取り上げられない。本当はもっと語ってもらって、そこでのお話があれこれと広まればいいのに、今の若い人は、そんなことよりももっと刺激的なものを画面では見ているんでしようね。
いやむしろ、そういうものでしか世界というものを見られないのかもしれない。だから、世界は画面の中にあるものであって、自分がそこに行ってみる対象ではなくなっているかもしれない。
えらそうなことは言えません。私だってテレビで世界を見てきたような気になっている。
私たちは耳年増・目年増になっている。こんなんじゃいけません。もっともっと外に出歩かなければ! そう、渡り鳥たちのようにね。