先日、ひとりで京都に出かけました。ゆっくり出たし、草津線の貴生川駅まではクルマで二時間かかりました。家を出てからもう渋滞だし、高速もトラックが一杯でした。
高速を降りてからは、わりと慣れた道をトボトボ走って、これは久しぶりだから楽しかった。見た目には変わらないいつもの滋賀県の風景。三重県とよく似てはいるんだけど、何かが違うんですよね。
そりゃね平和堂があちらこちらにあるし、飛び出し君はやたらと道沿いにあるし、よく似た土地なのに、空気は違う、不思議な世界に入り込んだと思うと、うれしかったんでしたね。
貴生川からは草津線で本を読んでいる間に草津についてしまい、そこからは新快速で一瞬のうちに山科でした。地下鉄で蹴上というところに着いて、琵琶湖疎水のパイプやレールを見ながら、岡崎公園まで降りて行きました。
あれ、ずっと高校生たちが駅に向かってたけど、よく考えてみたら、あの子らは中間テストだったんでしょう。男の子しかいなかったから、男子校だったんでしょう。楽しそうに、次から次と帰って行きました。
テストのあった日の午後って、翌日のテストは気になるけど、とりあえず解放された感じと、切迫感と、あれこれあったんでしたね。
トンネルの上を着飾った男女がポーズ撮って歩いていたけれど、あれはもう流行らなくなった前撮りというのか、記念撮影しているみたいでした。まだ、こんなことしてたんですね。日本の人だったのかどうか、私はそういうことに対する興味を失っていました。
もう、何だっていいから、好きなようにしてください。どうせ、大した写真も撮れないのに……、何だか皮肉っぼい、ブラックな私が出てしまいます。この暗黒面ももちろん私の大事な部分。でも、あまり人に対して向けてはいけない。そういう感情をどれだけ見つめられるか、それが私としての価値なんだけど、あまり見つめられていない気もする。
京都の国立近代美術館で絵を見たら、もう帰らなきゃいけない気分になっていました。ゴハンも食べてなかった。どこかで買えばいいやなんて思ってたら、どこでも買えなくなるのはこれまたいつものことでした。
ふたたび山科に出て、そこで来年の手帳を買いました。最近は1600円くらいのものを買ってましたが、ふたたび無印良品の手帳にしました。
何年か前のは、表紙のカバーが破けてしまって、しばらく遠ざかっていました。2022年のカバーが破けたら、もう買わないことにします。
そして、何年かしたら、また懲りずにまた買うかもな。
いつまでも同じことを繰り返しています。どんどん手帳はたまっていくけど、これらもいつか処分しなきゃいけないんだろうな。
再び貴生川に戻ってきたら、やっと都会から解放されたような気持ちになれて、家に帰るまで2時間近くはあるんですが、もうリラックスしてしまって、どんどん夕暮れていくんだけど、でもまあ、雨が降らないなら、誰も歩いていないはずの信楽に行ってみようと、遊ぶ気持ち満点で信楽に行き、もちろん誰もいなくて、高校生たちの帰宅時間になっていて、信楽高校からは三々五々生徒たちが駅へと向かっているようでした。
しばらく歩いたら、もう満足して、そしたらすぐに家に帰りたくなりましたが、まだまだそこからずっと運転し続けて帰ったんでした。