今日、クルマの免許更新に行ってきます。あと何年クルマに乗るのか、あと十年くらいは乗りたいけど、十年後、私は何をしているのやら……。たぶん、奥さんとどこかにいるのは確かですけど、三重県にこのままずっと住み続けられるかどうか。
三重県は田舎だし、観光名所はないし、伊勢神宮はガラーンとしているし、取るところがあまりないです。まあ、よそだって同じようなものかもしれない。要は、どれだけ私たちを活性化させてくれるかなんですけど、私は、もっと三重県の東西南北を走る街道を再活用して、街道ウォークを充実させて欲しいです。
熊野古道は何度も取り上げられ、世界遺産にもなりました。でも、一部の峠越えだけがクローズアップされ、その他の街道は埋もれているのではないか、と少し心配です。街道があったとしても、人が歩かないと意味がない。人が歩くには、何か楽しみがなくては歩けない。楽しみは、買い物であったり、食事であったり、人との出会いだったりする。
だったら、それを作っていくしかないけど、それは民間の活力というのか、お役所仕事ではできない。ということで、結局は何もしないのと同じで、地域任せになってしまいます。
かくしてせっかくの財産である街道は、埋もれていき、カーブがたくさんある所だけ、バイク好きのみなさんがやってくる場所になってしまう。
土曜の朝早く、母から電話がありました。
「あんた、5時には着くって言うとったから、電話したわあ。フェリーに乗れたん?」
昨夜、実家を出るとき、フェリーに乗れるか心配やわ、乗られへんかったら、帰ってくるわなと言い残していたから、心配した母は電話をしてくれたみたいでした。5時過ぎでした。
「もうすぐ高松に着くよ。」
「あっ、そう。乗られへんて言うとったからな。どうしたかなと思って……」
とはいえ、もう夜が明けてしまったよ! とは言わないで、
「もうすぐ四国に着くわ。」と答えました。
朝の高松港に着きました。フェリーにたくさんいたお客さんたちは、高松駅までの無料バスの列に並んでいます。1回目はすでに出ました。2回目に乗らないと、高松駅にはたどりつけないみたいでした。てっきり駅のすぐ前に船は着くのだと思っていましたが、そうではなかった。
それにしても、あんなにたくさんいたお客さんたちは、どこへ消えてしまったのか。みんないなくなりました。高松という町に、関西方面から来たジャジャ馬どもは、吸い込まれていきました。みんな元気だったのに、それらを簡単に丸め込む力があったんでしょう。
私は、港とお城と駅をとにかく見たかった。だから、皆さんたちとは違う方向へ歩いて行かなくてはならなかった。せっかくの海に面した町なのだから、そこは押さえおかなくては!
いつくもの路線があるみたいでした。オリーブラインは小豆島行き。もっとあれこれあるみたいだけど、朝の5時過ぎでは、船に乗るお客がまだいないのでした。
そうか。漁港ではなく、国際港でもなく、瀬戸内各地をつなぐ港なのです。瀬戸大橋のない頃なら、もっと船は頻繁に出ていたように思われます。今はわりとゆったりと朝を迎えていた。
お城も近くにあります。
海に面したお城です。お堀はもちろん海水で、海とつながっていて、上から見ていると、大きなクロダイみたいなのがたくさん泳いでいました。いけすになっていた。でも、釣りはしてはいけないのでしょうね。こんなに魚たちが自由に泳げるお堀は、みんなが我慢して作り上げたものなんでしょう。
まだ早くて、お城の中には入れませんでした。でも、お金もなかったから、入らなかったかもしれない。
町のマンホールふたは、なんと屋島の戦いの那須与一でした。しかもカラフル。この場面好きだったから、平家物語も読みたかったけど、最近は忘れています。
また思い出さないといけないな。できれば声を出して、youtubeにでも投稿しないといけない。そのうちやってみようと思います。まあ、誰も見ないでしょうけどね。