ハードスケジュールではありました。朝、松山を出たら、内子の町に行き、大洲のお城を見学する。それから、八幡浜に出て、船に乗って豊後水道を渡る。そして、臼杵でお泊りする。
大体そんな計画ではありました。時間も調べてみました。どうにか可能のようでした。でも、船は三時間くらいはかかるから、冬の海だし、日のあるうちに渡り切りたかったんです。
ということは、遅くとも、14時くらいには船に乗らなきゃいけなかった。ということは、朝ゆっくり出たとしても6時間ですべての日程をこなさなくてはなりませんでした。
移動はJRの普通です。最初の停車地の内子にはお昼前には着きました。次の電車のことを考えると、1時間と少しくらいしか時間はなかった。下調べもいい加減だし、とにかく歩けるなら、適当に街道らしきあたりを歩いてみようということにしました。
駅の案内所で地図をもらって、とにかく行けるところまで行くことにしました。最初は、内子座という劇場が目に入ります。当然内部を見せてもらえるのだけれど、私には滞在してじっくり一つ一つをたっぷり見るという余裕はありませんでした。とにかく、街道のあるあたりまで行く。それだけでした。
立派な劇場がありました。今も使われているのはそうだけれど、維持するのにお金がかかったり、演目をどのように決めるのか、どうすれば地域の人たちを呼び込めるのか、それは問題がありそうでした。
なかなか雰囲気はある。内部も見ていないけど、それなりの情緒はあるでしょう。昼間よりも夕方や夜、ここでお芝居でもしてもらったら、すぐに江戸の情緒が感じられるでしょう。
でも、それは素人芝居でも許されるのか。西洋劇だとどうなるのか。いろいろと考えさせられるでしょう。それに、駐車場がないと、今の世のなかお客を呼べないけど、それはどこかにあったんだろうか。町中にあって、どこか遠いところにクルマを止めなきゃいけないでしょうね。
四国には、こんぴらさんの所にも古い劇場がありました。同じような作りでした。常設で何かしているという訳でもなさそうで、時々東京から役者さんが来てくれるということもあるようですが、そうだとしても、残りの300日以上はどうなっているのか、広くみんなに使われているという訳でもなさそうです。ああ、貴重な宝が、ただの博物館になって使われないまま古びようとしている。
私たちは、そういうものしか持てない、箱だけはもっている人々ではありました。今もたくさんの使われないままの劇場はたくさんあるでしょうね。そして、みんなは演劇みたいな作り上げるのに手間のかかる演目を、作るのも見るのも遠慮したい気になっている。何だか、ちっとも身近なものになっていない。
都会では、演劇はわりとどこかではやっている気がするんです。でも、田舎では、舞台はあるのに、誰もそこに立てていない。
コーラス大会でも、カラオケ大会でも、仮想劇・仮面劇・神楽、なんでもいいのに、やれていない気がします。
何だかもったいない。
古い町の、宣伝だらけの、昔はオシャレだったはずの映画館にもたどり着きました。ここまで30分以上は歩いたでしょうか。ということは、そろそろ帰らなくてはならなかった。駅までまた違う道を歩いて、町の別の顔を見せてもらわなくてはならない。
それにしても、どうしてこんなところにこんな宿場町ができたんだろう。ろうそくやさん、他には、何か産業はあったんだろうか。
劇場も持てたのだから、町全体としてお金はあったはずです。ただの宿場町ではない気がしました。お酢屋さんもあった。他には? 見つけられなかったなあ。
山あいの町、古くからある宿場町、松山と西の方では大洲、八幡浜、南に下って宇和島と、それなりに町はあるけれど、それぞれどんな町なんだろう。
宇和島は漁業でしょうか。八幡浜はみかんと漁業? 大洲は? ただお城があっただけ? そうではないですよね。私は何も見ないで、ただ観光者として通り過ぎるだけでした。
そして、町がかつては栄えていたのに、今はそうでもないというのを見ています。
でも、決して見込みがないのではなくて、私たちがそこに何らかの価値を見つけられていないだけなんだと思います。
私はただ通りすがりの者、何か関わりを持ちたいと思ってやってきたけれど、滞在時間が短すぎて、少し写真を撮っただけでした。町のメインストリートは別にあって、そちらにはクルマも通り過ぎています。
山の高い所には、高速道路が見えるし、そちらにはスイスイとクルマは走っているような感じでした。鉄道はめったに来ないから、人々は高速で松山とつながろうとしているみたいでした。そうしないと、お仕事が生まれてこないのか。
そうではないと思いたいけど、何も思い浮かばない。
それでは、次の車両でいよいよ大洲駅をめざしてみることにします。