あちらこちらから引用させてもらって、無理無理に自分の古い日記を再生しようと思います。先ずは、映画の一番最後のところから、
Splendor in the Grass(草原の輝き) by William Wordsworth
Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass,
Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass,
草原の輝き 花の栄光
of glory in the flower, we will grieve not.
再びそれは還(かえ)らずとも なげくなかれ
Rather find strength in what remains behind.
その奥に秘められたる力を見い出すべし
その奥に秘められたる力を見い出すべし
翻訳:高瀬鎮夫(たかせしずお)
私のメモによりますと、1982.11.28の朝日放送でオンエアされてたのを見たということになっています。NHKの名作劇場ではありませんでした。
その前年の1981.11.29に、ヒロインのナタリー・ウッドさんが43歳で水死したという事故がありましたので、その追悼の意味も込めて放映されたのだと思われます。
ナタリー・ウッドさんは、ロシアからの移民のご両親のもと、サンフランシスコでお生まれということでした。17歳の時、「理由なき反抗」という作品にも出ています。お相手役は、ほんのわずかしか出演作のないジェームス・ディーンで、ここで注目されて、1961年には「草原の輝き」と「ウエストサイド物語」の2つの作品に出ています。
そこから20年、いろいろな作品に出てはいますが、あまり有名な作品には出ていないようです。「メテオ」という巨大隕石が地球にぶつかるというパニック映画にも出てて、私は見てしまいましたけど、ただ有名な女優さんが、いい仕事にめぐり合わず、何となく手持ちぶさたの感じの仕事をしている、みたいなところがありました。
もっといろんなキャリアが積めただろうに、途中でポツリといなくなってしまいました。
それは彼女の人生においてであって、「草原の輝き」の中では、そんなことはまるで感じられなかった。
それにしても、どうして「草原の輝き」なんだろう?
映画を見たのは、もう38年前ですか。内容もまるで憶えていない。ただ、ナタリー・ウッドさんと、ウォーレン・ビーティさんとが出てた。ウォーレンさんは、後々大活躍をするけれど、この時はまだ駆け出し俳優でした。
ただ、冒頭のことばだけがずっと印象に残っていて、ウッカリ者の私は、絶対にホイットマンだろうと、あちらこちらの本屋さんとか探し歩きました。昔のことです。
ネットの時代になって、調べてみたら、イギリスのワーズワースさんのだと簡単に知ることができた。ネットではいろんな人の訳をまとめたページもあったけれど、英文学者でもない私は、そんなことはどうでもよくて、映画で見たものが知りたくて、たぶん、字幕のお仕事で大家だった高瀬鎮夫さんの訳を当時は見たのだろうと、それを貼り付けました。わりと当時の雰囲気は感じられる訳です。
1行目の文句は、草原の輝いてた時間は戻ってこないよ、という内容ですね。
そんなのわかってます。初めて見た時の私も、それなりにわかってたと思うけど、重みも今では少し違うと思う。でも、若い時の私は、それが一つの真実ではあると感じたんでしょう。意味はわからんけど、そういうこともあると感心した。だから、ものすごくもう一度そのことばを聞かせてもらいたくて、映画に関することを調べようとしたんでした。でも、当時は見つからなかった。
残りの2行は、でも、その輝き(残念ながら、輝きの中にいる本人たちは、それを感じられないようになっているんだと思うし、感じてるヤツはウヌボレ野郎であって、光なんか見えていません!)の中に、力は隠されていて、そういう時間は過ぎ去るかもしれないけど、残された自分たちに、その時の輝きによる何か、英語では力強く「ちから」と書いてありますけど、それはずっと続くというふうにつながっていってるのかな。
確かに、時間は過ぎるけれど、大切な時間は、再現はできないけど、いつまでもその人の力となって、永遠に輝いていくのかもしれない。
輝きの中で出会い、別れ、好き合っていたのにハッピーエンドにならないで、悲しい結末になる。そういうこと、あるのかもしれないなと、経験の足らない(今も)私は感心したのだと思われます。
でも、今の私から見たら、それはすごくうらやましい。
うまくいかない恋もある。うまく結ばれる恋もある。そうした出会いと別れに一生懸命になっていること、そのものがものすごく輝かしいことだという気がします。
もうオッチャンですから、私は、映画の中の恋よりも、映画から託されたことばの方にシンミリします。いくら嘆いても、時間は戻らない。でも、確かにそれは輝いていた。そう書かれたことばそのものを、これからずっとかみしめていきたいです。
恋なんか、時間のムダ!(そういうことができないヤツの負け惜しみだけど)
それよりはテレビみてたり、ミカン食べたり、ジャム作ったり、庭の手入れしたり、母に電話したり、奥さんとおしゃべりしたり、しなくてはいけない。
あんなに輝いていた、お転婆そうなナタリー・ウッドさんは、もういないのです。
日記からの引用できませんでした。また、いつかしようと思います。うちにVHSはあったはずなんですけど、DVDもあるのかな。でも、もちろん、どこにあるのかわかりません。これも、ものすごいムダをしてますね。ハアー。
ナタリー・ウッドさんもはすっぱな女? 「メテオ」では科学者でしたっけ……。