【人間( )万事塞翁が馬(ばんじさいおうがうま)】 ……幸福や不幸は予想のしようがないということのたとえ。
★ 「人間」の読みは? 「にんげん」ではありません! 前漢の劉安の『淮南子』より
中国の北の方、国境の町に老人が住んでいました。国境の外には異民族がいて、いつ戦争がやってくるかもしれない。そうした不安の中で人々は生きていたのかもしれません。
ある時、老人の馬がどういうわけか逃げ出してしまいます。大事な売り物である馬を失い、老人はさぞやショックだろうし、近所の皆さんは慰めに行くわけです。それはもう農村の共同社会ですからね。
さて、老人はどうでしょう。そんなにショックを受けて様子ではなくて、わりとのんきに言います。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」
しばらく経ったある日、逃げ出した馬が北方の草原から良い馬を連れて帰ってきました。ついこの間、慰めに行った老人の所へ、人々は今度はお祝いに行かなくてはなりません。「良かったね。災い転じて福となるだね」と言わなきゃいけない。
老人は首を振りながら言います。「ああ、これが災いにならなきゃいいんだけれど、どうなるものかなぁ。」と言います。
あれ、ラッキーな事件なのに、このおじいさんも変なことを言う人だなと人々は思ったことでしょう。もっと素直に喜べばいいのに、などと心の中で思ったはずです。
それからしばらく、おじいさんの不安は的中して、老人の息子が馬に乗っていたときに落馬して足の骨を折ってしまうのでした。さあまたご近所の人たちの出番です。こんどはお見舞いに行かなくてはならない。共同社会というのは忙しいし、少しだけお節介なところもあるようです。
おじいさんは割とカラッとして言います。
「これが幸福にならないとも限らないじゃないかなぁ。」
二度あることは三度あるというべきなのか、懲りないおじいさんというべきか、ポジティブシンキングというのか、へこたれないおじいさんです。
息子さんのケガから一年、北方の異民族たちが国境の砦に殺到しました。さあ、戦争が北からやってきました。大変なことが起きてしまいました。若者は兵士として集められ、村人は残らず連れて行かれました。たくさんの若者たちが亡くなってしまい、村はその犠牲の下にようやく平和を取り戻すことができました。
おじいさんの息子さんは足を負傷していました。ですから召集されず、地元で待機することになりました。兵士に取られた若者は大半が亡くなったけれど、残された者たちは生き残った。苦い平和だけれど、国境に生きる人々とはそんなものだったのかもしれません。いつ戦争が起こり、いつ死んでしまうのか、それは神のみぞ知る、不安な日々だったことでしょう。
おじいさんは、何が不幸で何が幸福なのか、そんなのは紙一重で、不幸に見えた中に幸福はあり、幸福とみえたところに不幸のタネは落ちていた。それが人生というものなのかもしれないです。
この後、おじいさんはどのように生きていったのか、そのつづきはありません。人生は何が不幸で、何が幸福なのか、それはわからないんですから。
★ 先日、ひとりで香川県に遊びに行き、長いつきあいの友人に会ってきました。彼のお子さんたちは、結婚こそしていないけれど、それぞれが自立して、都会の真ん中に住んでいたり、お仕事で海外に出張だったり、ふるさとを離れているということでした。
もちろん、うらやましいことであり、すごいなあと思いましたし、素直に感心しました。
けれども、友人は、あなたのおうちもそれはそれでしあわせじゃないの、と言うのです。私の家では、こどもはずっと家に居続けています。独り立ちはなかなかできそうにありません。
いっぱい言いたいことはありますが、本人には言わず、ずっと心の中で思っています。口にしても、あまりことばは届かないみたいで、それがまたもどかしい。
うちの子は、不幸なのか、幸福なのか、私たちは不幸なのか、幸福なのか。
たぶん、私たちは幸福ではあります。いい子だし、なかなか上手に社会に適応できていないだけなのだと思われます。それは私たちもそうだったし、いつか道は開けるのではないか、そう信じて毎日を過ごしています。
なかなかその光明が見えなくて、モンモンとした日々がつづくんですけど、とりあえずうちの子が独り立ちできずにいるけど、少しザンネンだけど、いっしょに家族みんなでグダグタしていて、しあわせでもあります。
これでいいんだろうか、と思ったりもします。これが永遠につづくわけではないし、時間は有限です。やはり、何かうちの子と一緒に何かしてくれる人が必要です。私はたまたま奥さんがいました。うちの子は、だれかいるだろうか。それがすごく不安です。
どうしたらいいのか、何が結論なのか、わからないけど、私はとりあえずの日々を過ごしています。「世の中なんてサイオウの馬なのさ」とか言いながら……。
答え 人間は「じんかん」で、世間・社会という意味になります。「にんげん」とふりがなをふる人もいますが、それでも意味は通じますが、世の中は、一寸先は闇、人の幸せなんて相対的なもので、思いようによってはどうにでもなる、という意味で取りたいので、「じんかん」と読んだ方がいいのかなと思います。