昔、東京の人と話していて、わけの分からない単語が出てきて、何だか、東京の人って、訳ありで話すから、自分たちだけがわかる言葉を使ってて、それを知らない人たちを何となく、部外者みたいな扱いをするから、何だかイヤだなと思ったりしていました。
ジョージ、ブクロ、シモキタ、もっといろいろあったと思うけど、プンプンして聞いてますから、地名なのはわかるんだけど、どうしてフルで言ってくれないかなと、心の中ではカリカリしました。でも、表面は「ハハーン」みたいに聞いてたかな。
それが何の意味があるのか、今もわかりませんけど、自分たちでわかりあえる言葉を使って、仲間意識を作ろうとしてたんでしょうか。そんなもったいぶったことをしないで、フツーにしゃべれ! と、今では思うけれど、今は東京の人だけじゃなくて、田舎の人も、若い人は短縮形いのち、みたいにしてしゃべっているのかな。
自分のことも、「わたくしは」とは言わないで、「シンゾウこう考えた!」とか、「ユキナはねー」とか、「ノアはこうしてほしい❤」とか、もうグチャグチャになっています。
一人称を持たない日本人って、これでいいのだろうか。
ちゃんと、「アイ・アム……」と言えなくてどうするんだ!
若者言葉って、ちゃんとしやべらないことがいいことなんだろうな。そんなので、年寄りには通じないよ! バカらしい、とオイラ思っちゃう!(あれ、私のアイ・アムはどこへ行ったの?)
というわけで、東京の人が「ジョージで遊んでて……」とかいうのを聞いてたら、何だかもどかしい気持ちになりました。
それはどうやら、キチジョージ(吉祥寺)というのが正しい形でした。
私は、ずっと「キッショージ」と思ってたので、
「何だよそれは! 奈良の薬師寺の吉祥天女像はどうするんだよ。ナマは見たことないけど、切手の国宝シリーズの奈良時代の三つの中で一番高い五十円切手なんだぞ!」と怒ってたんです。
そんなこんなで、東京の人とおしゃべりし、「キチジョージ」という街があるらしくて、そこはみんなが遊びに行ったり、わりと楽しい街みたいだというのを知りました。ターミナルでもないのに、東京という空間は、いろんなエアーポケットが用意されていました.懐が深い街でもあったのです。
昔は、こんな関東の街の一角に近鉄デパートみたいなのがあって、関西人の私は懐かしくて、そこをフラフラしてみたり、高校の時の友だちがこちらでアパート生活を始めたと聞けば、そちらに遊びに行ったりしたんです。
当時付き合い始めた彼女の誕生日プレゼントも探しに行ったりしましたっけ。何を買ったやら、貧乏だから、ささやかなものを買いましたっけね。
つまらないオッチャンの思い出話だな。
そうですね。すっかりキチジョージなんて、忘れてました。
で、どうして思い出したの?
ハイ、最近友だちから手紙もらったんですけど、その封筒に、吉祥天女(あくまでも、キッショーテンニョ! キチジョーテンニョという読みもありかな)さんがいたので、ビックリしたんです。
昔から恋焦がれてたから、いつか、薬師寺に出ておられる時に会いに行こうと思ってたのに、なかなかお会いするチャンスがなくて、奈良の国立博物館にその他の大勢と出ている時に、初めてお会いすることができたんです。とても、小さな絵で、ガラスケースの中では、私なんかには何も語ってくれませんでした。
それ以来、たぶん、二十年以上お会いしていませんね。久しぶりに切手に貼られて出会ったというだけのことか……。なあんだ、そういうことか。
あれ、オッチャンの今は、キチジョーでもいいような気もしてきた。昔は、キッショーテンニョじゃなきゃ、イヤだったんだけどな。私の中の基準も変わっていくね。
彼女自身を見させてもらうと、小学生の私の好みのタイプではなくて、眉毛太いなあとか、頭のおだんご、変だなあとか、服装はシックで、ステキな女神様みたいなんだけど、昔風の美人であって、今の感覚には合わないな、などと、生意気なことを思ってました。でも、この切手様には会いたくて、でも、お金はなくて、ずっとお金をためて「エイ、ヤーッ」と買ったのだと思います。小学校時代だったと思うな。あこがれだったんですよ。