甘い生活 since2013

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写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

月の砂漠と地理巡検 大井川をめぐる!

2015年09月01日 21時32分02秒 | 旅の日記
 知り合いに誘われて地理巡検に出かけたことがあります。めぐるのは大井川の中流から河口までです。まあ、普通なら行かないところなので、せっかく誘ってもらったので、楽しんできました。それでも、私は「月の砂漠」に心ひかれ、田中城というふしぎなお城に感心してしまいました。

 ブラタモリという番組で、よく話題になるのは段差ですね。現代は段差やら、川などの水路をどんどん見えなくさせて、ノッペリした街を作るのに懸命になるもんですけど、そうした努力をかいくぐり、もとあった段差を読み取り、昔の街並みをイメージすることが、なんとなく中高年の楽しみ・たしなみみたいになりつつあります。

 それらを古地図やら、地理的な知識やらを使って読み解く楽しみみたいなのが少し注目されているので、私もできればそういうことをしたい。でも、どちらかというと、そこに住んでた昔の人たちの息づかいの方に心ひかれる方ですから、あまり段差みたいなのに喜ぶ感性を持ち合わせていません。

 とはいえ、できれば地図などでいろいろとイメージするのは身につけた方がよい能力なので、今からでも少しずつそういう感性を身につけたいと思っています。

 だから、地理巡検はそれなりに楽しかったんです。ついでに大井川鉄道やら蓬莱橋なんかにも連れて行ってもらって、こちらは大満足だったのです。ただ、橋を渡れなかったので、それは次の楽しみで、個人で行かなくてはなりません。まあ、今年の冬くらいに、富士山も見るし、蓬莱橋も渡るし、大井川鉄道だって乗っちゃうし、みたいなのをしようと思います。

 東海道23番目の宿場町・島田宿と、24番目の金谷宿は今は合併したようです。というのか、島田市に吸収されたというべきでしょうか。とにかく大井川をはさんで2つの町があったのに、大井川の両岸が1つの町になっています。



 まずは金谷側の上の方、牧ノ原台地のてっぺんから大井川を望みます。河岸段丘で、地理の教科書に出てきそうな見本になるような形です。大きな川、新幹線、在来線、昔の街道、大井川の奥の谷に向かう私鉄(大井川鉄道)、時々はSLだって走る。視界になんとなくおさまってしまうこじんまりした市街地、蛇行する川、遠くには南アルプス、天気のいい日には見える富士山、扇状地、漁港、茶畑、みかん畑、もういろんな要素がごっちゃに入っています。……静岡空港だって、この台地の上にあるようです。中国からのチャーター便がどんどん来ているそうで、近くのホテルの稼働率は100パーセントというのを、新聞で見ましたよ。何もかも含んでいますね。



 この台地を降りて、東京方面に向かう途中に、旧街道を見つけました。少しだけ歩くことにします。何と言うことはないのに、クルマの走っていない昔の街道はステキです。別に江戸時代にタイムスリップできなくても、とにかくそうした古い道を歩いているのだ、ここを昔の人は開発したらしい。今の人は、クルマが走りやすいように道をつけるけれど、昔の人は歩きが主流なので、歩いて坂を上り、せいぜい馬などでも上れるような、人間の体力に合わせて道をつけてくれています。ムチャな道はあまりないでしょう。クルマ社会だから、ムチャな道が開発されるけれど、歩いて行こうと思えば、自然と道の形も決まってくるようです。



 道を歩いていると、木漏れ日がこぼれて、なんでもない草たちがあやしく見えます。だから、白黒で撮ってみましたが、ほんの少しだけあやしさをつかまえられたでしょうか。



 島田側と金谷側の渡し場というのを見学しましたが、これはという写真はとれなくて、とにかくそういうことだったろうと適当にスルーして、もう少し下流にある蓬莱橋にたどりつきます。



 ここは高所恐怖症の火野正平さんがヨチヨチ歩いた橋でした。私は渡る気マンマンで来ましたが、地理的には取り上げるまでもないので、一行はスルーして、私は肩すかしです。だから一層次回への闘志が湧いて、そのまま埋もれている感じです。冬にはマグマを爆発させて、ここを渡りたいと思います。



 大井川は大河というものの、実際に見てみると、いつも頼りない感じで、川幅だけはやたら広いけれど、流れている水は何? これが「越すに越されぬ大井川」なの? とずっと思っていました。でも、きっとすごい時はすごいんだろうと思ってましたが、なんとここはずっと扇状地になっているそうです。

 だから、川の水は、川に流れるだけではなくて、地下も流れていたりするようです。一行は、引き込まれた水が利用されているところ、水害対策用に家の位置が水をかき分ける形で建てられているところなどで立ち止まります。

 観光的には、つまらないただの田舎町風なのに、地理的にはすごいらしいのです。案内をしてくれた先生は力説されています。「ふーん、そんなものか」とイマイチ乗り切れていない私は、半信半疑でした。

 でも、扇状地の下の方、海にかなり近い島田市から焼津市に下ってきた町で、わき水などを見せてもらうと、「ほー、扇状地って、こんなにパターン通りに伏流水みたいなのがあって、あちらこちらに噴出しているなんて、おもしろいものだなあ」と、少し納得です。

 この近所は、もう津波被害想定地で、避難タワーだって用意されているというのに、海も近いというのにわき水なんて、地理のおもしろさというのか、自然の仕組んだ装置のすごさというのか、とにかくビックリで、私たちはその自然の後追いをしているだけなんですが、それを知ることは、自分たちのまわりを理解することにもなるし、なかなかおもしろい。



 せっかく下流まできたのだから、河口まで連れて行ってくれるのかしらと期待していると、とうとう焼津の浜にたどり着きます。焼津というのは大きな漁港があるはずだから、ここはそのはずれの松林らしいのです。



 利右エ門という地域らしいです。松林を抜けて、浜へ出てみると、



 テトラポットと、浸食された海岸です。やはり日本各地で起こっているやせる浜と、テトラポットですが、そのテトラポットも手足をもがれたものもあったので、あまり役には立たないようです。対症療法ではダメで、根本的治療が必要なのだと思われます。でも、だれもそんなことはしなくて、とりあえず税金をつぎこんで、堤防やらテトラポットになるんでしょう。



 よく見ると、案内版があって、「月の砂漠」という曲の作詞者・加藤まさをという人がイメージをふくらませた浜辺ということでした。加藤さんは藤枝出身の方らしく、藤枝市内でも加藤さんの碑がありました。でも、インターネットで見てみると、千葉の海岸に月の砂漠は持って行かれて、そちらに記念館があるらしいです。三重県生まれの芭蕉さんの「おくのほそ道」という文学作品がまるですべて大垣で作られたかのような記念館をこの夏見学してきましたが、なんでも言ったモン勝ちの世の中ではあります。

 三重県は、芭蕉さんも、三浦しをんさんも、しをんさんのお父さんの古事記を専門とする佑之(すけゆき)先生も、とくに取り上げて顕彰するつもりはないようです。宣長さんでさえ、細々と松阪市が記念館を作っていますが、何だか老朽化して頼りない。佐佐木信綱さんも鈴鹿市が細々と記念館を運営していますが、それもボランティア頼みです。お金のあるところが言ったモン勝ちで魅力作りをしている。

 とにかく、三重県にはお金もなくて、教育施設もサッパリだし、全国学力テストもすべて平均以下ですし、なかなか突破口がみつかりません。……余計なボヤキでしたね。

 かくして私たちの地理巡検は終わりました。川をたどることはなかなか楽しいと知りました。いつかカヌーでたどりたいという夢がありましたが、実現は不可能ですね。せいぜい歩いて行くだけです。それも楽しいと思える私です。




★ 一年たって、とうとうあの蓬莱橋を往復してきました。この島田市まで電車で往復十時間、これが少しもったいなかったかもしれないけど、まあ、自分なりには本も少し読んだし、念願を果たしたし、おみやげも買ったし、何だか満足しています。台風は火曜日に関東に来るんですね。全く知らなかった。(2016.8.27 夜)


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