
国立競技場を破壊する前から、もったいないと思っていました。リフォームするだけでいいのに、どうしてさら地にして作り直す必要があるのか、よくわかりませんでした。けれども、決定はくだされ、破壊されてしまう。
新しいデザインにしても気に入らなかった。だれが決めたのかしらないけれど、たぶん安藤さんとか、いろんな建築家も中に入って選んだと思われますが、へんてこりんなデザインで、これまた気に入らなかった。もっと鳥かごだったり、古くさかったり、コテコテの日本風だったりすればいいのに、変に未来志向で、自転車競技のヘルメットみたいな形になってしまった。
まあ、どうせ私には関係のないイベントだからと思ったものの、私の税金だって少しは使われているはずだから、もう少しシンプルなものにして欲しかったんです。昔の国立競技場に屋根をつけて、貴賓席を新設して、ローマのコロッセオみたいなのにしてくれたら、昔の国立競技場はそんな雰囲気もあったので、そうしてくれたらという私の願いなど、だれも聞き入れてくれず、私も自分の願いをだれかに伝えることもなく、どんどん進んでしまい、現在に至っています。
1964年のオリンピックの建物は、何となくモダンで夢のある形をしていました。西洋風ではないし、和風でもなく、日本が世界に向かっていくメッセージ性があったような気がします。たぶん、町全体も世界に発信していこうという気持ちがあったと思います。
今度だって世界に扉を開こうという姿勢は見えます。でも、すべて商売がからんでいる気配がプンプンです。オリンピックを機会にアジアからたくさんのお客さんを呼び込んで、アジアの中心都市としてのオリンピックをやりたかったんですね。
1988のナゴヤではダメだった。1992だったか、2008だったかのオオサカも話にならなかった。大阪は海の中に大きな埋め立て地を作って、そこでオリンピックをやるつもりでしたが、見事に落選して、埋め立て地はあまり利用されずに、木を植えたり、U18の野球の世界大会をしてみたり、手持ちぶさたでブラブラしています。
オオサカも、ナゴヤも、落選から立ち直り、それぞれ自分にできる道を模索して、東京に並ぶことはあきらめて、自分たちの道を追求している。大阪都構想もその1つのはずでしたが、ただのパフォーマンス集団で、いずれ自民党と結託して、東京オリンピックみたいなのをやろうとするでしようけど、市民の支持は得られないのではないかと思っています。もう大阪は東京みたいにならなくてはいいし、なれないのです。
関西そのものの地盤沈下は激しく、すべて東京だけの1点豪華主義になっています。まあ、それでいいのです。オリンピックも大阪にはいらない。要るとしたら、教育の充実であったり、福祉の充実であったり、独自の手厚い行政みたいなのをするべきです。

東京は首都だから、標準的な・模範的な行政しかできないでしょうけど、各地で行われている独自の知恵を吸い取って、お金もないし、住んでる人も、地域の産業も元気はないけれど、そこに住む人々は何か楽しそうにやれているようにしてもらいたいです。
大阪に対する願望を書いていますね。オリンピックのことでした。この2020年オリンピックに関しては、政府のみなさんたちは浮き足立っているし、もうものすごくバブリーです。いけいけドンドンです。あまり何も考えずに突進している感じです。
だから、あとで指摘されてあとからバタバタしている。たぶん、今後もバタバタはつづくでしょう。みんな浮き足だっていますからね。
そういえば、三重県だってもうとっくの昔に浮き足立っています。20年に1回の遷宮は伝統的なイベントだから、おごそかに浮き足立っていて、浮ついているといってもベースは安定していました。
ところが、あと1年もない伊勢志摩サミットは、住んでいる人間は全く関係がないのに、知事さんやら、警察本部の方やら、自治会のオッチャンに至るまで、みんなが浮ついていて、何かにつけてサミット、サミットと口にします。そんなことより、もっとやらなきゃいかんことはいっぱいあるのに、サミットですべてがうまく回転するような気分でソワソワしていますけど、全く何のメリットもたぶんないでしょう。
それなのに、浮つかねばならない国民性なんでしようかね。もっと落ち着いて、教育や、生活を安定させ、住民が充実して仕事のできる環境作りとかしてほしいのに、今年1年はもう無理みたいです。
国としてはあと5年間、何かにつけてオリンピックといいつづけることでしよう。あと5年バブリーに国民を踊らせようという作戦ですね。国民もそれに乗って踊っている間に、自分たちのまわりで世界はどんどん動いていくのに、オリンピックのことで頭がいっぱいで、韓国も、北朝鮮も、中国も、アジアも振り返らないで、自国のドタバタだけを追いかけることでしよう。


とてもザンネンだけど、仕方ないですね。そういう政策らしいです。かくして私のわずかな税金はすべてスタジアムなどに投ぜられるわけですね。
もうそんなことなら、私もオリンピックなんかには完全に背を向けて、自分の生活一辺倒でいかなくちゃ! オリンピックのころ、自分は何をしているのか、そっちを懸命に考えたいと思います。
おっちょこちょいのデザイナーが出るのは当たり前です。すべて金儲けしか考えない中国風が吹き荒れているんですから、他人のことなんか考えるのがバカなんですから!
★ たぶん、私は2020年のナツまでずっと、入院中の父を思い出すでしょう。
母が「お父さん、オリンピックが東京に決まったらしいよ」と言うと、
父は黙って、何の返事もしませんでした。
父が生きていたら、90歳でオリンピックを迎えることができたのですね。伯父は90まで生きたので、弟の父もそれくらいやれたのに、ザンネンです。
私は、あの時の父の、何とも言えない顔をずっと忘れないでいたいです。たぶん鮮やかに思い出せると思っています。
新しいデザインにしても気に入らなかった。だれが決めたのかしらないけれど、たぶん安藤さんとか、いろんな建築家も中に入って選んだと思われますが、へんてこりんなデザインで、これまた気に入らなかった。もっと鳥かごだったり、古くさかったり、コテコテの日本風だったりすればいいのに、変に未来志向で、自転車競技のヘルメットみたいな形になってしまった。
まあ、どうせ私には関係のないイベントだからと思ったものの、私の税金だって少しは使われているはずだから、もう少しシンプルなものにして欲しかったんです。昔の国立競技場に屋根をつけて、貴賓席を新設して、ローマのコロッセオみたいなのにしてくれたら、昔の国立競技場はそんな雰囲気もあったので、そうしてくれたらという私の願いなど、だれも聞き入れてくれず、私も自分の願いをだれかに伝えることもなく、どんどん進んでしまい、現在に至っています。
1964年のオリンピックの建物は、何となくモダンで夢のある形をしていました。西洋風ではないし、和風でもなく、日本が世界に向かっていくメッセージ性があったような気がします。たぶん、町全体も世界に発信していこうという気持ちがあったと思います。
今度だって世界に扉を開こうという姿勢は見えます。でも、すべて商売がからんでいる気配がプンプンです。オリンピックを機会にアジアからたくさんのお客さんを呼び込んで、アジアの中心都市としてのオリンピックをやりたかったんですね。
1988のナゴヤではダメだった。1992だったか、2008だったかのオオサカも話にならなかった。大阪は海の中に大きな埋め立て地を作って、そこでオリンピックをやるつもりでしたが、見事に落選して、埋め立て地はあまり利用されずに、木を植えたり、U18の野球の世界大会をしてみたり、手持ちぶさたでブラブラしています。
オオサカも、ナゴヤも、落選から立ち直り、それぞれ自分にできる道を模索して、東京に並ぶことはあきらめて、自分たちの道を追求している。大阪都構想もその1つのはずでしたが、ただのパフォーマンス集団で、いずれ自民党と結託して、東京オリンピックみたいなのをやろうとするでしようけど、市民の支持は得られないのではないかと思っています。もう大阪は東京みたいにならなくてはいいし、なれないのです。
関西そのものの地盤沈下は激しく、すべて東京だけの1点豪華主義になっています。まあ、それでいいのです。オリンピックも大阪にはいらない。要るとしたら、教育の充実であったり、福祉の充実であったり、独自の手厚い行政みたいなのをするべきです。

東京は首都だから、標準的な・模範的な行政しかできないでしょうけど、各地で行われている独自の知恵を吸い取って、お金もないし、住んでる人も、地域の産業も元気はないけれど、そこに住む人々は何か楽しそうにやれているようにしてもらいたいです。
大阪に対する願望を書いていますね。オリンピックのことでした。この2020年オリンピックに関しては、政府のみなさんたちは浮き足立っているし、もうものすごくバブリーです。いけいけドンドンです。あまり何も考えずに突進している感じです。
だから、あとで指摘されてあとからバタバタしている。たぶん、今後もバタバタはつづくでしょう。みんな浮き足だっていますからね。
そういえば、三重県だってもうとっくの昔に浮き足立っています。20年に1回の遷宮は伝統的なイベントだから、おごそかに浮き足立っていて、浮ついているといってもベースは安定していました。
ところが、あと1年もない伊勢志摩サミットは、住んでいる人間は全く関係がないのに、知事さんやら、警察本部の方やら、自治会のオッチャンに至るまで、みんなが浮ついていて、何かにつけてサミット、サミットと口にします。そんなことより、もっとやらなきゃいかんことはいっぱいあるのに、サミットですべてがうまく回転するような気分でソワソワしていますけど、全く何のメリットもたぶんないでしょう。
それなのに、浮つかねばならない国民性なんでしようかね。もっと落ち着いて、教育や、生活を安定させ、住民が充実して仕事のできる環境作りとかしてほしいのに、今年1年はもう無理みたいです。
国としてはあと5年間、何かにつけてオリンピックといいつづけることでしよう。あと5年バブリーに国民を踊らせようという作戦ですね。国民もそれに乗って踊っている間に、自分たちのまわりで世界はどんどん動いていくのに、オリンピックのことで頭がいっぱいで、韓国も、北朝鮮も、中国も、アジアも振り返らないで、自国のドタバタだけを追いかけることでしよう。


とてもザンネンだけど、仕方ないですね。そういう政策らしいです。かくして私のわずかな税金はすべてスタジアムなどに投ぜられるわけですね。
もうそんなことなら、私もオリンピックなんかには完全に背を向けて、自分の生活一辺倒でいかなくちゃ! オリンピックのころ、自分は何をしているのか、そっちを懸命に考えたいと思います。
おっちょこちょいのデザイナーが出るのは当たり前です。すべて金儲けしか考えない中国風が吹き荒れているんですから、他人のことなんか考えるのがバカなんですから!
★ たぶん、私は2020年のナツまでずっと、入院中の父を思い出すでしょう。
母が「お父さん、オリンピックが東京に決まったらしいよ」と言うと、
父は黙って、何の返事もしませんでした。
父が生きていたら、90歳でオリンピックを迎えることができたのですね。伯父は90まで生きたので、弟の父もそれくらいやれたのに、ザンネンです。
私は、あの時の父の、何とも言えない顔をずっと忘れないでいたいです。たぶん鮮やかに思い出せると思っています。