藺相如さんや廉頗さんの時代は、恵文王の時代でした。BC298から266年の32年間の治世を全うしたようです。けれども、やがて廉頗さんはよその国に出てしまうし、藺相如さんもいなくなり、やがては秦に吸収されます。(BC228)
滅亡までに38年もあるから、国としては長続きしたのでしょうか。私はまだ数十年しかこの国に暮らしていないので、国が滅びるというのを経験したことがないのですが、そんなに長続きする国家というのはないのかもしれません。
盤石に見えた徳川様だって二百数十年、永遠に続くかもしれないように見える明治国家だって、いつ何時滅びるかもしれない。
今だって、国というのがあるのか、私たちは夢を見ているのではないのか。私たちはアメリカの属州としての国の中にいるんだろうか。よそからはどう見えるのか、よくわかりません。
とにかく、永遠に続く国なんてないし、滅んだり、滅ぼされたり、新しい国興ったり、いろんなパターンがあるのでしょう。
恵文王が32年間も在位していたということは、それなりに国としては治まっていたのでしょう。そして、その前に国を強くした人がいました。
それが武霊王さんでした。在位はBC326から298年の28年間でした。
そのいろんな新政策の中で、今回取り上げるのが、
83【( )服騎射】……あらゆるところからどん欲にいいものを取り上げ、吸収すること。空欄に適切な文字は? ア・狄(てき) イ・満 ウ・金 エ・胡
中国は、中華思想の国ですから、自分たちが一番優れていると思っていたでしょう。そして、一時期低迷していた時もありました。でも、21世紀の現在では、世界を牛耳っているのは、確かに中国の人たちです。それくらい、人もパワーもあると思われます。
そうすると、自分たちの国から外は、異民族であり、風習や言語、顔つき、文化いろんなものが違っていた。それがこの大陸にすむ人々の基本でした。
だから、万里の長城を作ったりした。でも、ふところに入ってくる者たちには優しいところも見せて、東の海の端っこの国が、生意気な手紙を持ってきても、受け入れてあげる度量がありました。
そして、新興国の優れた王様が、いかに周辺諸国と戦うかを考えて、今までなら戦車と歩兵で戦っていたのを、機動兵力で、飛び道具を持つため、異民族の風習をまねることを採用しました。
ふつうの着物なら、左の部分が前にきて、それを帯でとめるのが男の服装でした。けれども、異民族は、弓を射るために着物の右を前に来るようにしていた。そのほうが弓を射る時に都合がよかったのです。
そうした異民族の風習を採用するのにはためらいもあったでしょう。けれども、機能的で、その方がゆ馬上から弓を射ることができた。相手にはものすごい脅威だったことでしょう。うっかり相手に突撃すれば、射殺されてしまうのです。これでは相手は戦えなかった。
そうして、武霊王の時代に趙は全盛期を迎え、息子の恵文王は、後を継いだけれども、少しずつじり貧になっていった、ということになるのかな。
★ 答えは何でしょう? 83・エ でした。