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個人的なことを書いても仕方がないけれど、私はしいたけが好きなんです。
いつごろから好きなのか? 中学に入って、母がお弁当に干しシイタケの煮たのを入れてくれるようになって、メインのおかず、というわけじゃないのだけれど、これ一つでどれくらいゴハンが食べられるか、もう、びっくりするくらい、私の口の中でシイタケの幸せ感が広がります。そして、ガスガスとゴハンを口の中に入れてしまうのでした。
それくらい好きでした。
結婚してから、特に最近、なかなか干しシイタケが手に入らないし、なかなか高価な食べ物だし、産直に行って、原木シイタケは買ってもらえたりするんですけど、乾燥したのは買ってもらえない。
そりゃ、ナマのものを、すぐに食べさせてもらえるから、うれしいし、ナマの味はするんですけど、乾燥したのは、食べているとき、どこかの日向で太陽に照らされている香りがしてきて、そうした背景も一緒に食べることができるから、好きでした。
ナマのシイタケで作っているところ、生えていたところ、あまり想像はできません。たぶん、ギンギラギンの太陽が降り注ぐところではシイタケもできないだろうから、そんなに日向を感じることはできません。
そうでした。切り干し大根もそうでした。ただのしわくちゃの変てこなひも状のものなのに、あれを戻して煮物なんかにすると、どこからか太陽のにおいがやってきて、やはり幸せになります。
太陽を感じながら食べられるもの、それは貴重な食べ物でした。
乾燥シイタケも、切り干し大根も、日向を感じさせてくれて、好きな食べ物です。
ついでに、うす揚げも好きなんですよ。うす揚げのきれっばしが三つくらいお味噌汁に入っていたら、それこそそれだけでゴハンが一杯食べられるのに、ぜいたくにふた切れをつかんでゴハンひとすくいを食べたりしたら、これまた幸せでした。
つまらない幸せがいろいろありますね。幸せを浪費しているというのか、つまらないことでハッピーになれるから、それはそれでいいのかな。
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というわけで、先日の二見の菖蒲園のあと、伊勢の市街地へ行き、古い町並みの河崎地区にあるつたやさんに行きました。うちの奥さんは必ずラーメンで、私はかつ丼もいいなあ、ラーメンもいいなあと思いつつ、ついつい五目伊勢うどんにしてしまいます。
具は、写真の通りで、かまぼこ二切れ、なると一つ、ゆでたまご一切れ、ネギ少々、うす揚げが数切れ、麩が三つ、そして、シイタケが一つでした。
私は何も考えていないので、基本は真ん中からかぶりつきます。カマボコ、ネギ、うす揚げ、ゆでたまご、少しずつなくなります。
かまぼこを食べつくし、揚げもなくなって、麩とシイタケになります。
奥さんが「シイタケを最後にするんでしょ!」と予言します。
かくしてひねくれ者の私は、シイタケを食べ、麩を最後に残しました。変なところで素直じゃないね。いや、シイタケをわざと残しているのではなく、真ん中から食べたらそうなっただけですよ。ハハハハ。
それに、このシイタケはナマを煮たものだし……。乾燥シイタケなら、残したのか?
ああ、わからなくなってきました。とにかく、好きではあるらしい。でも、そんなに、太陽のにおいがするわけではない。なんとなく、最後の切り札として残してしまうようです。不思議です。私にも理由はわかりません。
でも、先日は麩を最後にしました。お餅みたいで、最後に残した甲斐がありました。