甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

いかがして人を恵むべき 徒然12

2019年01月31日 21時22分28秒 | つれづれ草の抜き書き

 徒然草の142段を2回にわたって見てきて、今日は3回目です。これで終わりです。

 いったい何が言いたかったのか、だいたいのところはもうすでに出ていますし、最後の二つの文はオマケであり、簡単に実現しない理想の政治です。そんなの、私だって書くことができます。孔子さんだって、何度も何度もお弟子さんたちに伝えました。

 でも、政治というものの現実は、そんなに甘いものではなくて、富と権力が集まるものなので、たくさんのとんでもない人々が自分たちの思い通りのことをしようと、政治を振り回すのは、これは人間たちの当たり前です。

 だから、理想の政治は、あくまでも語られるものであって、実現されるものではありません。少しでも妥協して、なんとなくそれらしい形に持っていくのが政治家としての力量です。

 今の日本は、政治家にはみんな何も望んでいないのか、ハードルは低いし、たいていのことは許されているようです。もっとシビアーな採点方法でもあれば、そして、すぐに引き下ろすシステムでもあれば、活用するんだけど、政治家がそんなシステムを作ることは絶対にないので、ゆるーい空気の中でやりたいことをしているんでしょう。国民はあまり怒らないし、みんな自分のことで精一杯なんですから。



 復習をしておくと、関東武者は荒っぽいものだと偏見で見ていたら、人情味のある発言をしているのを聞いて、びっくりしたというのが書かれた後、つづいて、出家した人が目の敵にする、人にこびへつらい、お金のためなのかやたら卑屈な態度を取る人間がいる。でも、この人たちは好きでそんなことをしているわけではなくて、実はすべて家族のために、恥を忍び、屈辱に耐え、じっと我慢して生活していることがあるのだという指摘がありました。

 どちらも、人は見かけによらない。その内実は、どれほどその人の中で葛藤やら、優しさなどがあるのかわからないのだ、というのを書いていました。そうした人たちを、もう少し穏やかに暮らさせてあげるにはどうしたらいいのか?

 そこに政治が関わってくる、というのが142段の目玉になりそうでした。 

 さて、いかゞして人を恵むべきとならば、上(かみ)の奢(おご)り、費やす所を止め、

 さあ、どのようにして人々を豊かな暮らしに導けばいいんでしょうか? それには、先ず、上に立つ者が、おごり高ぶり、ぜいたくするのをやめなければならないのです。

 上に立つ者は、謙虚で質素でなくてはならない。このこと自体難しいことです。人を押しのけて、自分だけが豊かでぜいたくな暮らしをして、やりたいことを自由にやりまくる、というのが政治家の初期の目的だったわけで、そのためにこの世界に飛び込んだわけだから、スタート地点は大きく離れているのが現実です。

 兼好さんがとぼけたことを言っている、現実認識ができていないというべきなんだろうか。

 民を撫(な)で、農を勧(すす)めば、下に利あらんこと、疑ひあるべからず。

 人民を大切にして、その人たちの気持ちになり、人々が食べていくための食料をまかなう農業を推進していけば、人々に利益があるということは、疑うことはできないはずなのだ。

 人々のことを思い、農業を推進する。簡単なことだけど、今の世の中では、何が人々を愛することなのか、人々って誰なのか、農業はただ生産性が高まればいいのか、だったら、どんな農薬にも負けない強い作物を大量に作って、安い値段で売ってやれば、それですべてが丸く収まるのか、農薬を使いまくることは環境に負荷をかけないのか、あちらを立てるとこちらが立たずとか、バランスが大事だったり、何がいいことなのか、判断に困ることが多いでしょう。

 生産性が高いだけでは、現代の農業としてはダメなわけです。どんどん値段が下がったら、農家はやっていけなくなるし、世界を相手にどのような農業をするのか、それが難しくて日本の農業がずっと悩んでいたことでした。日本は小さなことを丁寧にやっていく農業をしてきたんですから。

 でも、少なくとも、この一億二千万の人々の住んでいる島々のことを考えると、この島の中である程度安心できる農作物を生み出していくということは大切だと思われます。大量生産で安価なものを作る国はあるけれど、それが果たして安心なものなのか、私は疑っています。安いものにはカラクリがあるはずだと思ってしまう。

 最後の一文は、

 衣食(いしょく)尋常(よのつね)なる上に僻事(ひがごと)せん人をぞ、まことの盗人(ぬすびと)とは言ふべき。

 衣食が足りて普通の水準であるのに、それでも罪を犯すようなことをしようというような人、そういう人こそ、本当のドロボーということができるでしょう。

 人に何かとんでもないことをしてしまう人、そういう人には動機があるはずでした。盗みも、詐欺も、殺人も、性犯罪も、何か原因があって起こしてしまうのが普通でした。

 たいした理由もなくて罪を犯そうとする人、その人は真の犯罪者だ、というのですが、最近そういう人が増えている気がする。いや、どうかな……。

 何だか、兼好さんに乗っかって、いつものボヤキを書いてしまったような気がする。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。