系統立てて書いていこうという気持ちがあるので、不勉強だから筆が進まないということに気づきました。どうせ不勉強なのだから、好きなところからヒッチャカメッチャカに書くことにしました。
構想十数年の「中国の歴史と言葉」は、このまま不勉強だと完成しないおそれもあるので、好きなところから書いていくのです。もうふんぞりかえることにしました。
これはたまたま孔子さんのことばですけど、「論語」も、時々なんだこれ? というのがあるので、それに関して適当に書いてみて、それで進んでみることにしました。
それで、今までちゃんと項目別に、孔子さんの「学」についてやってたのに、突然に長沮桀溺(ちょうそ・けつでき)さんのことにチャレンジします。さあ、どうなることやら……。
「論語」も終わりの方に来ると、わりと物語っぽくなっています。微子編の6番目の話です。
長沮(ちょうそ)桀溺(けつでき)耦(ぐう)して耕(たがや)す。孔子(こうし)これを過ぐ。子路(しろ)をして津(しん)を問わしむ。
長沮(ちょうそ)曰わく、「夫(か)の輿(よ)を執(と)る者ものは誰(たれ)と為(な)す。」
子路(しろ)曰わく、「孔丘(こうきゅう)と為(な)す。
曰わく、「是(こ)れ魯(ろ)の孔丘(こうきゅう)か。」
対(こた)えて曰わく、「是これなり。」
曰わく、「是(こ)れならば津(しん)を知らん。」
農夫が作業をしているところのそばを通りました。孔子さんは、弟子の子路さんに「津(しん)」川を渡るところはどこかと尋ねさせました。農夫さんは馬車の手綱を握っている背の高い紳士が気になったそうです。あの人はだれなんですかと逆に質問をしてきました。まあ、普通は、こちらから名乗らないと、見知らぬ人からは受け入れられないものです。
子路さんは、「孔丘(こうきゅう)です。」とそのまんま答えました。孔子さんは特に肩書きもないし、どこかで自分の理想を聞いてくれる主人がいないだろうかと、諸国を放浪していました。
「魯の孔丘」というふうに聞いて、農夫はピンと気づいて、「だったら、川の渡し場だって、わかるだろう」とイジワルな発言をします。えらく突き放されています。どうして素直に教えてくれないのでしょう。放浪中の孔子さんって、よくこんな目に遭うのです。
孔子さんが目立つからいけないのかな、立派そうに見えるから、みんなから冷遇されるのか、どうしてこう孔子さんにはいい風が吹かないのでしょう。気の毒な感じです。
孔子さん自身が、ノコノコと出かけていって、「渡し場はどこですか?」と尋ねたら、みんなすぐに教えてくれるんでしょうか。たぶん、無理な気がします。警戒して、逃げていくかもしれない。なかなかムズカシイですね。
でも、子路さんがいくのも考えものです。豪腕の子路さんだから、それでもみんな警戒したかもしれない。どっちにしろ、中国のお百姓さんって、何となく素直じゃないような気がしてきました。
いつまで経っても堂々巡りだから、もう1人の農夫に尋ねます。
桀溺(けつでき)に問う。桀溺曰わく、「子(し)は誰(たれ)とか為(な)す。」
曰わく、「仲由(ちゅうゆう)と為(な)す。」
曰わく、「是(こ)れ魯(ろ)の孔丘(こうきゅう)の徒(と)か。」
対(こた)えて曰わく、「然(しか)り。」
曰わく、「滔滔(とうとう)たる者は、天下みな是(こ)れなり。而(しか)して誰とともにかこれを易(か)えん。
且(か)つ而(なんじ)は其(そ)の人を辟(さ)くるの士に従わんよりは、豈(あ)に世を辟(さ)くるの士に従うに若(し)かんや」と。耰(ゆう)して輟(や)めず。
子路さんは、もう1人の農夫に尋ねました。すると、その人は子路さんの名前を尋ね、孔子さんの弟子であることを確認して、次のように言います。
滔滔(とうとう)たるもの、どんどん流れてゆくもの、せきとめられないもの、世界はみんなこれなのだ。それなのに、誰と一緒にこの世の中を変えようというのか。
それに君の師匠は、あれもダメ、これもダメと、「人を辟(さ)くる(選り好みする)」人なのに、どうしてそんな人間を切り捨てる男よりも、世の中そのものを避ける人に従う方がいいんじゃないかい」と言うと、農作業を黙々と続けていました。
さあ、子路さんも困りましたね。全くとりつく島のない人たちでした。
もうこのあたりで、この人たちが普通の農夫でないというのがバレてしまいました。こうした隠者って、どれくらい中国にいるのか、今もいるのか、よくわかりませんが、今の中国で隠者ってできるんでしょうかね。隠者だって搾取されるだろうし、農村は大変なことになっているだろうし、それでも隠者みたいな人がいてくれたら、何だかホッとしますね。
中国共産党も知らないし、清も知らない。国民党も、英国も、明も知らない人、いないかなあ。いるかもしれませんね。
子路(しろ)以(もっ)て告(つ)ぐ。夫子(ふうし)憮然(ぶぜん)として曰わく、
「鳥獣(ちょうじゅう)は与(とも)に群(ぐん)を同(おな)じくすべからず。
吾(わ)れ斯(こ)の人の徒(と)と与(とも)にするに非(あら)ずして、誰(たれ)と与(とも)にせん。
天下(てんか)に道(みち)あらば、丘(きゅう)与(とも)に易(か)えざるなり。 」
先生のところに子路さんが農夫たちの話を報告しました。すると先生はがっかりしていわれました。
「鳥やケモノと一緒に暮らすわけにはいかない。私は人間世界の中に生きているのだから、だれと一緒に暮らすというのか。人間世界の中でしか私たちは生きられないのですよ。
世の中で、普通の人間らしい世界が行われていたら、私は世の中を変えようとは思わないでしょう。でも、世の中に道は行われていないのです。だから、私は、世の中を変えたいと思っているんです。
私たちは人間なんです。トリやケモノではない。人間は人間の世界でしか生きていけない。だったら、その人間世界を少しでも住みよい世界にしなければいけないじゃないですか。
それをあの人たちはわかっていない。あの人たちは逃げているだけです。自分本位の、独善的な人たちです。そういう人たちと関わっている場合ではないのです。
さあ、君たち、私たちは人間世界を、人間らしく生きられるために、その方法を考えなくてはならないのです。
孔子さんたちの仕官の道、いつ開かれるんでしょうね。また、井上靖さんの「孔子」読んでもいいですね。それよりは「論語」を読む方がいいかな。
とにかく、孔子さんの放浪14年のできごとを読みました。私はこの妥協しないところ、ステキだなと思います。こんな強い信念がある人、そういないと思います。もう昔の話だけど、あこがれちゃいます。
★ 自分で書いたはずなのに、今初めて見たような感動があります。今は、2017年の1月3日の夜です。
「われこの人の徒とともにするにあらずして、誰とともにせん。」
私たちは、この人間世界の中で生きていくのであって、鳥やケモノたちと一緒に生きていくのではない。この人間世界を住みやすくするために頑張ることが私たちの使命であって、それをやりつづけることが私たちの生きる道なのだ。
わかっているけど、すぐ忘れてしまいます。趣味に走ったり、自分の殻にこもったり、余計な道に外れてばっかりです。もっとまっすぐに人間世界に向き合っていく。これを私も忘れずに、今年1年やっていきたいです。
構想十数年の「中国の歴史と言葉」は、このまま不勉強だと完成しないおそれもあるので、好きなところから書いていくのです。もうふんぞりかえることにしました。
これはたまたま孔子さんのことばですけど、「論語」も、時々なんだこれ? というのがあるので、それに関して適当に書いてみて、それで進んでみることにしました。
それで、今までちゃんと項目別に、孔子さんの「学」についてやってたのに、突然に長沮桀溺(ちょうそ・けつでき)さんのことにチャレンジします。さあ、どうなることやら……。
「論語」も終わりの方に来ると、わりと物語っぽくなっています。微子編の6番目の話です。
長沮(ちょうそ)桀溺(けつでき)耦(ぐう)して耕(たがや)す。孔子(こうし)これを過ぐ。子路(しろ)をして津(しん)を問わしむ。
長沮(ちょうそ)曰わく、「夫(か)の輿(よ)を執(と)る者ものは誰(たれ)と為(な)す。」
子路(しろ)曰わく、「孔丘(こうきゅう)と為(な)す。
曰わく、「是(こ)れ魯(ろ)の孔丘(こうきゅう)か。」
対(こた)えて曰わく、「是これなり。」
曰わく、「是(こ)れならば津(しん)を知らん。」
農夫が作業をしているところのそばを通りました。孔子さんは、弟子の子路さんに「津(しん)」川を渡るところはどこかと尋ねさせました。農夫さんは馬車の手綱を握っている背の高い紳士が気になったそうです。あの人はだれなんですかと逆に質問をしてきました。まあ、普通は、こちらから名乗らないと、見知らぬ人からは受け入れられないものです。
子路さんは、「孔丘(こうきゅう)です。」とそのまんま答えました。孔子さんは特に肩書きもないし、どこかで自分の理想を聞いてくれる主人がいないだろうかと、諸国を放浪していました。
「魯の孔丘」というふうに聞いて、農夫はピンと気づいて、「だったら、川の渡し場だって、わかるだろう」とイジワルな発言をします。えらく突き放されています。どうして素直に教えてくれないのでしょう。放浪中の孔子さんって、よくこんな目に遭うのです。
孔子さんが目立つからいけないのかな、立派そうに見えるから、みんなから冷遇されるのか、どうしてこう孔子さんにはいい風が吹かないのでしょう。気の毒な感じです。
孔子さん自身が、ノコノコと出かけていって、「渡し場はどこですか?」と尋ねたら、みんなすぐに教えてくれるんでしょうか。たぶん、無理な気がします。警戒して、逃げていくかもしれない。なかなかムズカシイですね。
でも、子路さんがいくのも考えものです。豪腕の子路さんだから、それでもみんな警戒したかもしれない。どっちにしろ、中国のお百姓さんって、何となく素直じゃないような気がしてきました。
いつまで経っても堂々巡りだから、もう1人の農夫に尋ねます。
桀溺(けつでき)に問う。桀溺曰わく、「子(し)は誰(たれ)とか為(な)す。」
曰わく、「仲由(ちゅうゆう)と為(な)す。」
曰わく、「是(こ)れ魯(ろ)の孔丘(こうきゅう)の徒(と)か。」
対(こた)えて曰わく、「然(しか)り。」
曰わく、「滔滔(とうとう)たる者は、天下みな是(こ)れなり。而(しか)して誰とともにかこれを易(か)えん。
且(か)つ而(なんじ)は其(そ)の人を辟(さ)くるの士に従わんよりは、豈(あ)に世を辟(さ)くるの士に従うに若(し)かんや」と。耰(ゆう)して輟(や)めず。
子路さんは、もう1人の農夫に尋ねました。すると、その人は子路さんの名前を尋ね、孔子さんの弟子であることを確認して、次のように言います。
滔滔(とうとう)たるもの、どんどん流れてゆくもの、せきとめられないもの、世界はみんなこれなのだ。それなのに、誰と一緒にこの世の中を変えようというのか。
それに君の師匠は、あれもダメ、これもダメと、「人を辟(さ)くる(選り好みする)」人なのに、どうしてそんな人間を切り捨てる男よりも、世の中そのものを避ける人に従う方がいいんじゃないかい」と言うと、農作業を黙々と続けていました。
さあ、子路さんも困りましたね。全くとりつく島のない人たちでした。
もうこのあたりで、この人たちが普通の農夫でないというのがバレてしまいました。こうした隠者って、どれくらい中国にいるのか、今もいるのか、よくわかりませんが、今の中国で隠者ってできるんでしょうかね。隠者だって搾取されるだろうし、農村は大変なことになっているだろうし、それでも隠者みたいな人がいてくれたら、何だかホッとしますね。
中国共産党も知らないし、清も知らない。国民党も、英国も、明も知らない人、いないかなあ。いるかもしれませんね。
子路(しろ)以(もっ)て告(つ)ぐ。夫子(ふうし)憮然(ぶぜん)として曰わく、
「鳥獣(ちょうじゅう)は与(とも)に群(ぐん)を同(おな)じくすべからず。
吾(わ)れ斯(こ)の人の徒(と)と与(とも)にするに非(あら)ずして、誰(たれ)と与(とも)にせん。
天下(てんか)に道(みち)あらば、丘(きゅう)与(とも)に易(か)えざるなり。 」
先生のところに子路さんが農夫たちの話を報告しました。すると先生はがっかりしていわれました。
「鳥やケモノと一緒に暮らすわけにはいかない。私は人間世界の中に生きているのだから、だれと一緒に暮らすというのか。人間世界の中でしか私たちは生きられないのですよ。
世の中で、普通の人間らしい世界が行われていたら、私は世の中を変えようとは思わないでしょう。でも、世の中に道は行われていないのです。だから、私は、世の中を変えたいと思っているんです。
私たちは人間なんです。トリやケモノではない。人間は人間の世界でしか生きていけない。だったら、その人間世界を少しでも住みよい世界にしなければいけないじゃないですか。
それをあの人たちはわかっていない。あの人たちは逃げているだけです。自分本位の、独善的な人たちです。そういう人たちと関わっている場合ではないのです。
さあ、君たち、私たちは人間世界を、人間らしく生きられるために、その方法を考えなくてはならないのです。
孔子さんたちの仕官の道、いつ開かれるんでしょうね。また、井上靖さんの「孔子」読んでもいいですね。それよりは「論語」を読む方がいいかな。
とにかく、孔子さんの放浪14年のできごとを読みました。私はこの妥協しないところ、ステキだなと思います。こんな強い信念がある人、そういないと思います。もう昔の話だけど、あこがれちゃいます。
★ 自分で書いたはずなのに、今初めて見たような感動があります。今は、2017年の1月3日の夜です。
「われこの人の徒とともにするにあらずして、誰とともにせん。」
私たちは、この人間世界の中で生きていくのであって、鳥やケモノたちと一緒に生きていくのではない。この人間世界を住みやすくするために頑張ることが私たちの使命であって、それをやりつづけることが私たちの生きる道なのだ。
わかっているけど、すぐ忘れてしまいます。趣味に走ったり、自分の殻にこもったり、余計な道に外れてばっかりです。もっとまっすぐに人間世界に向き合っていく。これを私も忘れずに、今年1年やっていきたいです。