芭蕉さんの旅の目的地の一つ、とうとう松島につきました。本文を読ませてもらって、ああ、こんないいところがあるのかと思ったんですけど、この年になっても、松島の良さって、味わったことないですね。
うちの奥さんというフィルターを通して松島を見るということが多くて、私だけで、ただ純粋に松島に行きたいということがなかった、ということもありますか。
彼女は、松島からクルマだったら2時間くらいのところに生まれ育ち、何度か見ているし、だいたいこんなところというのを彼女から教わる前にピュアな気持ちで松島に出会ったことがありませんでした。
芭蕉さんに教えてもらって、やっと少しだけ興味が出てきました。今度行くチャンスがあったら、観光船に乗って、松島を海から見てみたいです。さて、それはいつになることやら……。
そもそもことふりにたれど、松島は扶桑(ふそう)第一の好風(こうふう)にして、およそ洞庭(どうてい)・西湖(せいこ)を恥じず。
そもそも誰もが見聞きしていることではありますが、松島はこの国の第一位の名勝であり、かの国の洞庭湖や西湖に恥じないところではあります。
松島を語らなくてはならない、そういう気負いの感じられる文章です。そうなんです。いつも、力は言っているんですよね。日本で一番有名というのを「扶桑第一の好風」と表現するなんて、漢詩を読んでるわけじゃないんだけど、このテンションで最後までいくんですね!
東南より海を入れて、江(え)の中(うち)三里、浙江(せっこう)の潮(うしお)をたたふ。島々の数を尽くして、そばだつものは天を指(ゆびさ)し、ふすものは波にはらばう。
東南から方面に海は開けていて、入り江の中に三里ほどつづいていて、浙江省の潮のような様相なのです。島々の数限りなく、天をゆびさすようにとがっている形の島、海に伏せて波にはらばっているような島もあります。
芭蕉さんは、そんな中国の浙江省とか、行ったことないはずですよ。中国の山水画。水墨画からの知識ですね。確かに長江の南というのは、海なのか、川なのか、とにかく広大な水辺の風景は広がっていますけど、無理やりそっちにつなげようとしてるんですね。
あるは二重(ふたえ)にかさなり、三重(みえ)に畳みて、左にわかれ右につらなる。負えるあり抱(いだ)けるあり、児孫(じそん)愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉(しよう)汐風(しおかぜ)に吹きたはめて、屈曲(くっきょく)をのづからためたるがごとし。
あるいは、二重に重なったり、三つが折り重なってたいたり、左に分かれ、右に連なるようであります。背負うように、または抱きしめるように、子や孫を愛するようである。松の緑はこまやかで、枝葉は潮風に吹かれ、曲がりくねって自然に合わせて変化しているようでした。
ここは風景のスケッチをしたんですね。まあまあの感じ。熟語が多いのは、漢詩でも作れそうな雰囲気。いっそのことここだけ漢詩にしてもよかったですね。
★ 三重県にも、紀伊の松島と呼ばれる多島海はあります。でも、それらは紀伊山地が熊野灘に食い込んでるだけで、多島海で舟遊びするというゆとりの海ではありませんでした。
そのけしき、よう然として美人の顔(かんばせ)を粧(よそお)ふ。ちはやぶる神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化(ぞうか)の天工(てんこう)、いづれの人か筆をふるひ、詞(ことば)を尽くさむ。
その景色は、何とも言えずうっとりとした美人のようでした。はるか昔のちはやぶる神代の時代にオオヤマズミの神様が作り上げたものでしょう。こうした自然の美しさを、誰が筆をとり、ことばを尽くそうというのでしょうねえ。
最後は、「ちはやぶる」神様も呼んできて、中国にも負けない、日本の人々がずっと愛してきた風景だと書いてあります。
とはいうものの、松島の多島海をきれいだなと思うようになったのは、たぶん、中国の水墨画の影響じゃないですか。ということは、中世以降に讃えられるようになったんでしょうね。
不勉強で、いつごろからみんなの憧れになったのか、わかりません。そして、芭蕉さんは句を詠むことを放棄してしまいました。これも計算なんでしょうね。