1978年から、ずっとソニーのジルパップというラジカセを愛用してました。愛用しすぎて、旅にまで一緒に連れてったんだから、本当に私ってトンチンカンな人でした。
でも、昔はそういう人、たくさんいたような気がします。それほどに音楽と一緒にいたかったのか、それとも、旅先に音楽を鳴らす道具が必要だったのか。
今だったらスマホ一つで何から何までやってくれるというのに、昔は何か一つの用事は一つの道具と決まっていました。カメラも大きなの、欲しかったけど、あれは人のものを見てほしくなっただけかもしれない。実際には、ろくな写真を撮らないのだから、大きなカメラも必要なかったし、大きなラジカセも必要なかった。
でも、私みたいなオバカな若者は、それを背負って電車に乗ったんです。
夜の情景 (2)
夜の中の決まり文句が何度となく、
大勢の人々によって繰り返される。
そんな雰囲気の中では、それはとても大切なことだった。
同じ言葉の反復は人々を混乱の淵へと導く。
疲れ切った頭は、たくさんの羊の群れを発見できたら、
ようやく安心して、その活動を休めるのだった。
何だか、言葉にこだわっていますね。決まり文句って何だろう。愛しているよかな? お疲れさまかな? おやすみなさいかな?
夜になったら元気になる人って、たくさんいましたね。学生は夜の遊びが本業で、昼間はろくなことをしていなかったかも……。とんでもない若者たちがいたものです。
今の学生は、夜も昼も真面目だし、オンライン授業もちゃんと受けているんだろうな。昔の若者は、どれだけ世の中に貢献していたことか……。
言葉にならない言葉が街にあふれ、
犬や猫は、迷った言葉をすぐに食い尽くす。
びっくりしたネズミは、
車の前や深い夜の底へ飛び込んでしまう。
ある時、一瞬だがすべてのものは、
一切の行動を止め、同時に死んでいく。
これで(2)は終わりです。これで着地したと思っているんだから、当時の私もいい加減なもんでした。
これは「夜に交わされることば」がテーマの詩に似せたものだったはずですが、自分でもコントロールできかねて、最後は投げ捨ててしまっています。
確かに、夜だけのことばって、昔はあった気がするんですけど、もう今の世のなかにはありません。
淡々とした日常だけがある気がします。ことばは、交わされるものではなく、送受信されるものになりました。やり取りしたということが大事で、中身はあんまり意味がなくなりました。
そりゃ、国のトップが魂を抜けさせてボンヤリしゃべっている時代ですから、ことばに心はないはずでした。そういう世の中に抵抗して、こころのあることばみたいなもの書きたいけど、私には無理ですか。
つまらないことのなかに、何か大事なものがある気はするんだけどな。