1 都城から見上げる
高千穂峰は小さい頃からのあこがれの山であった。母の絵ハガキコレクションを何気なく見ていて、いつのまにかあこがれが生じていたのである。実際に行ったことも見たこともないのに、山の形は強くインプットされてしまっていた。
その山頂には矛が突き刺さったモニュメントがあるという。テレビか何かで見たのだと思うが、それはそれは衝撃的な山頂と見えた。実際に登ってみて、自分の目で確かめたいけれども、なかなかその雄姿を拝見することができていない。ひょっとすると、一生見ないで終わるかもしれない。やはり、見たいと思うのなら、強く見たいと念じなくてはならないのだろう。
山容はなかなか素敵で、両脇に同じ高さとボリュームのこぶがあり、真ん中にとんがった主峰がある。きれいでふっくらとした円錐形になっていて、いつかその山頂への道をたどることができたとしたら、それは私の人生の最良の日となるだろう。その日はまだ実現できていないけれども……。
ただし、このあこがれの山は、登ってしまうとそのすばらしい山容を見ることができない。そこが痛し痒しである。山容を見たいのなら、周辺の山に登るしかない。麓から山の姿形を味わいたくても、残念ながら下から見上げると、無表情なサボテンのような印象で、特に鹿児島側からはそのすばらしさが味わえない。やはりニニギノミコトさんは、美しく見える日向側に降りられたにちがいない。こちら側が断然ステキなのだ。
高千穂峰は霧島にある。宮崎県の南西部にあたる。高千穂峡でおなじみの高千穂は宮崎県の北西にある。どちらの地域もニニギノミコトゆかりの地として今に至っている。果たしてニニギさんはどちらに降りられたのだろう。それとも、ニニギさんはどちらにも来られたのではなくて、島伝いに来た原日本人の人々が作り上げたお話が、古事記の中に採用されて天孫降臨の伝説となったのだろうか。とにもかくにも、高千穂峰は山容も、それにまつわるエピソードも伝説的なのである。
私は、父の納骨のため、先に鹿児島入りしている母に十日ほど遅れて九州入りを果たした。たどりついたのは宮崎港であった。巨大ホテルと海岸沿いの美しい防砂林が見えたのは黄金週間後半の初日の朝である。
妻が「ものすごく大きなホテルが見える」と教えてくれて、入港直前の船のデッキに出た。港は市街地から少し離れていて、遠くに中心市街地が見えた。右手に巨大ホテルがそびえ立っていた。施設は遠くからでも見られるが、果たして立派な建物の中ではどのようなサービスが行われているのか。私には全く無縁の世界であるので、どんなに立派なホテルも無意味だし、もっと生活感あふれる街中へ行ってみたい。そこで少しでも誰かと関わりが持てたら、誰かの話し声を少しでも聞けたら、そちらの方が私にとっての旅なのである。人見知りの私は、どんどん人と交わってはいけない方なので、とりあえず話を何となくでもいいから聞かせてもらえたらと思う。
私たちの旅は葬送の旅であった。浮ついたことはできないし、観光も気分的には控えなくてはならない。とはいうものの、すぐにお腹もすいて、一度町の中心まで行ってみることにした。クルマを止めたところは、飲食街・繁華街のすぐそばであるらしく、多くの建物は昼間の睡眠中であった。あと何時間後かの日没直前まで眠っているのかもしれない。清掃のクルマと、酒屋のクルマと、1人で歩いている老若男女だけが起きている存在であった。
東西南北にフェニックスが植えられ、どこからでも南国情緒が引き出せるようになった町をしばらく妻と歩き、歩き疲れてしまった。昨夜の船旅と夫の実家への旅へのプレッシャー等で疲れてしまった妻が「ソバかうどんが食べたい」と言う。それなら彼女をリラックスさせられるお店をと、港でもらった地図で探したが見つからず、結局、中華料理店に入った。そこで揚げソバを食べた。長崎の揚げそばならもやしやキャベツ、ニンジン、ピーマンいろんな野菜と肉とかまぼこなど、それらを炒めてあんかけにして、油で揚げた麺にトロリとかけるのが定番だ。ところが宮崎の揚げそばはキャベツがメインで、麺は油で揚げた物ではなかった。太麺でラーメンに使えそうな舌触り、太さ・湿り気である。私は、これも宮崎の味なのかと、感心しながら食べて、大いに満足した。
妻はちゃんぽんを食べた。この選択が今回の旅を運命づけたらしく、彼女のお昼の外食は、どういうわけかずっとチャンポンを食べることになってしまう。彼女がチャンポンを選ぶなんて、珍しいことだから、今回の九州の旅は彼女にとって二十年ぶりだったのだが、どうやらあまり食べたいものにめぐりあえなかった旅だったのかもしれない。
妻が喜んで食べているお食事というのを、なかなか設定できていない私だが、以前、まだ結婚する前に新潟に遊びに行った折には、いい店にめぐりあって、彼女が本当にいきいきしながら飲み食いしていたことを思い出す。あれから、どれくらい彼女と楽しい外食ができたのか、考えてみると、あまりないような気がする。またこれから、何度でも妻と楽しく外食できることを夢見て、あれこれお店探しをしてみたいと思う。
ひとまず、連休初日のお昼ご飯はマルであった。それはよかった。
高千穂峰は小さい頃からのあこがれの山であった。母の絵ハガキコレクションを何気なく見ていて、いつのまにかあこがれが生じていたのである。実際に行ったことも見たこともないのに、山の形は強くインプットされてしまっていた。
その山頂には矛が突き刺さったモニュメントがあるという。テレビか何かで見たのだと思うが、それはそれは衝撃的な山頂と見えた。実際に登ってみて、自分の目で確かめたいけれども、なかなかその雄姿を拝見することができていない。ひょっとすると、一生見ないで終わるかもしれない。やはり、見たいと思うのなら、強く見たいと念じなくてはならないのだろう。
山容はなかなか素敵で、両脇に同じ高さとボリュームのこぶがあり、真ん中にとんがった主峰がある。きれいでふっくらとした円錐形になっていて、いつかその山頂への道をたどることができたとしたら、それは私の人生の最良の日となるだろう。その日はまだ実現できていないけれども……。
ただし、このあこがれの山は、登ってしまうとそのすばらしい山容を見ることができない。そこが痛し痒しである。山容を見たいのなら、周辺の山に登るしかない。麓から山の姿形を味わいたくても、残念ながら下から見上げると、無表情なサボテンのような印象で、特に鹿児島側からはそのすばらしさが味わえない。やはりニニギノミコトさんは、美しく見える日向側に降りられたにちがいない。こちら側が断然ステキなのだ。
高千穂峰は霧島にある。宮崎県の南西部にあたる。高千穂峡でおなじみの高千穂は宮崎県の北西にある。どちらの地域もニニギノミコトゆかりの地として今に至っている。果たしてニニギさんはどちらに降りられたのだろう。それとも、ニニギさんはどちらにも来られたのではなくて、島伝いに来た原日本人の人々が作り上げたお話が、古事記の中に採用されて天孫降臨の伝説となったのだろうか。とにもかくにも、高千穂峰は山容も、それにまつわるエピソードも伝説的なのである。
私は、父の納骨のため、先に鹿児島入りしている母に十日ほど遅れて九州入りを果たした。たどりついたのは宮崎港であった。巨大ホテルと海岸沿いの美しい防砂林が見えたのは黄金週間後半の初日の朝である。
妻が「ものすごく大きなホテルが見える」と教えてくれて、入港直前の船のデッキに出た。港は市街地から少し離れていて、遠くに中心市街地が見えた。右手に巨大ホテルがそびえ立っていた。施設は遠くからでも見られるが、果たして立派な建物の中ではどのようなサービスが行われているのか。私には全く無縁の世界であるので、どんなに立派なホテルも無意味だし、もっと生活感あふれる街中へ行ってみたい。そこで少しでも誰かと関わりが持てたら、誰かの話し声を少しでも聞けたら、そちらの方が私にとっての旅なのである。人見知りの私は、どんどん人と交わってはいけない方なので、とりあえず話を何となくでもいいから聞かせてもらえたらと思う。
私たちの旅は葬送の旅であった。浮ついたことはできないし、観光も気分的には控えなくてはならない。とはいうものの、すぐにお腹もすいて、一度町の中心まで行ってみることにした。クルマを止めたところは、飲食街・繁華街のすぐそばであるらしく、多くの建物は昼間の睡眠中であった。あと何時間後かの日没直前まで眠っているのかもしれない。清掃のクルマと、酒屋のクルマと、1人で歩いている老若男女だけが起きている存在であった。
東西南北にフェニックスが植えられ、どこからでも南国情緒が引き出せるようになった町をしばらく妻と歩き、歩き疲れてしまった。昨夜の船旅と夫の実家への旅へのプレッシャー等で疲れてしまった妻が「ソバかうどんが食べたい」と言う。それなら彼女をリラックスさせられるお店をと、港でもらった地図で探したが見つからず、結局、中華料理店に入った。そこで揚げソバを食べた。長崎の揚げそばならもやしやキャベツ、ニンジン、ピーマンいろんな野菜と肉とかまぼこなど、それらを炒めてあんかけにして、油で揚げた麺にトロリとかけるのが定番だ。ところが宮崎の揚げそばはキャベツがメインで、麺は油で揚げた物ではなかった。太麺でラーメンに使えそうな舌触り、太さ・湿り気である。私は、これも宮崎の味なのかと、感心しながら食べて、大いに満足した。
妻はちゃんぽんを食べた。この選択が今回の旅を運命づけたらしく、彼女のお昼の外食は、どういうわけかずっとチャンポンを食べることになってしまう。彼女がチャンポンを選ぶなんて、珍しいことだから、今回の九州の旅は彼女にとって二十年ぶりだったのだが、どうやらあまり食べたいものにめぐりあえなかった旅だったのかもしれない。
妻が喜んで食べているお食事というのを、なかなか設定できていない私だが、以前、まだ結婚する前に新潟に遊びに行った折には、いい店にめぐりあって、彼女が本当にいきいきしながら飲み食いしていたことを思い出す。あれから、どれくらい彼女と楽しい外食ができたのか、考えてみると、あまりないような気がする。またこれから、何度でも妻と楽しく外食できることを夢見て、あれこれお店探しをしてみたいと思う。
ひとまず、連休初日のお昼ご飯はマルであった。それはよかった。